元荒川緑道

元荒川緑道

大聖寺をあとに、元荒川緑道に戻る。

堂端落しスポット広場

堂端落しスポット広場

堂端落しスポット広場、堂端落し排水機場を通過。前方にしらこばと橋が見える。

斎藤豊作生家跡

シイの巨木

堂端落しスポット広場から100メートルほど元荒川緑道を上流に向かって進むと、左手にシイの巨木が立っている。かつてこのあたり一帯は、幕末から明治にかけて「味噌屋」と呼ばれた醸造業で財をなした名主・斎藤家の屋敷だった。
 
斎藤家からは、大正から昭和にかけて活躍した洋画家・斎藤豊作(さいとう・とよさく)が出ている。豊作は、大正3年(1914)に画家仲間と二科会(現在も二科展などで知られる美術団体)を設立し、多くの画家を育成した。
 
明治43年(1910)ごろの作といわれる遺作の『風景』は、越谷市の有形文化財(絵画)に指定されていて、現在、越谷市立図書館に所蔵されている。

移動|元荒川緑道

元荒川緑道

元荒川緑道をさらに進む。瓦曽根堰(かわらぞねぜき)スポット広場を過ぎ、次の見学地、瓦曽根堰(旧赤水門スポット広場)へ向かう。

瓦曽根堰|旧赤水門スポット広場

瓦曽根堰|旧赤水門スポット広場

旧赤水門スポット広場に到着。
 
上の写真は瓦曽根堰(かわらぞねぜき)。慶長年間(1596~1615)に造成された瓦曽根溜井に、江戸前期・寛永10年(1633)、余水流し場が設置され、寛文4年(1664)に石堰(いしぜき)に改められた。江戸時代初期には草堰(くさぜき)だった。

案内役・秦野氏

大正8年(1919)から実施された「十三河川改修」に伴って、大正13年(1924)に鉄筋コンクリート造りの俗称「赤水門」が竣工。その後、取り壊されて、平成9年(1997)に現在の堰が完成しました。

赤水門のモニュメント

赤水門のモニュメント

広場の一画に、役目を終えた赤水門のモニュメントが置かれている。赤水門当時は、鉄筋コンクリート造りの赤い門が10門連なっていた。
 
現在、瓦曽根堰は、「旧赤水門スポット広場」として整備され、憩いの場として親しまれている。

赤水門があった場所

赤水門があった場所

瓦曽根堰の北東60メートルほど先、元荒川に人道橋(じんどうきょう)が架かっている(上の写真)。ガイド責任者の秦野氏が、「かつての赤水門は人道橋の延長線上にあった」と、赤水門のあった場所を教えてくれた。

しらこばと橋

しらこばと橋

※写真は秦野氏提供

赤水門スポット広場をあとに、しらこばと橋へ。しらこばと橋の下をくぐって、中土手に入る。写真の左手は葛西用水(瓦曽根溜井)。右手は元荒川。中央の遊歩道が中土手。
 
しらこばと橋は、橋塔から斜めに張ったケーブルで橋を支える越谷市内初の斜張橋(しゃちょうきょう)で、越谷周辺に生息するシラコバトにちなんで名づけられた。平成6年(1994)11月に開通。

中土手

元荒川中土手

中土手(なかどて)は、葛西用水(瓦曽根溜井)と元荒川の間にある遊歩道。元荒川中土手、葛西用水中土手などとも呼ばれている。春はチューリップ、初夏はハナショウブなどが楽しめ、市民の散策スポットとして親しまれている。

しょうぶ園

中土手のしょうぶ園

上の写真は中土手のしょうぶ園(葛西用水側)。今回の史跡めぐりの下見のときに撮影。撮影年月日は2023年6月13日。白と紫のハナショウブが花を咲かせていた。

瓦曽根溜井|葛西用水

瓦曽根溜井|葛西用水

瓦曽根溜井(かわらぞねためい)は、慶長年間(1596~1615)に造成されたと推定されている貯水池。昭和35年(1960)から昭和42年(1967)にかけて行なわれた葛西用水と元荒川に分ける用排水分離工事によって、元荒川と分離され、葛西用水の一部になった。
 
現在は、平和橋からしらこばと橋までの間の葛西用水路を瓦曽根溜井と呼んでいる。

旧平和橋跡

旧平和橋跡|葛西用水

※旧平和橋が架かっていたあたりの風景|瓦曽根溜井

旧平和橋跡に到着。

江戸時代に、現在の平和橋の下流に、「瓦曽根橋」(溜井橋)の名で橋が架かっていて、戦時中に橋はなく、戦後の昭和24年(1949)に「平和橋」と名を変えて再建されました。

※3 越谷リバーウォークガイドブック編集委員会(2022)「越谷リバーウォークガイドブック」NPO法人越谷住まい・まちづくりセンター/越谷リバーウォークプロジェクト実行委員会発行「平和橋」22頁から引用

昭和42年(1967)に完成した現在の平和橋の竣工に伴い、旧平和橋は姿を消した。旧平和橋が架かっていた場所は、朝日バス「瓦曽根一丁目」バス停あたり(上の写真参照)

アクセス道路跡

アクセス道路跡|元荒川

※アクセス道路が通っていたあたりの風景

旧平和橋があった当時は、元荒川と葛西用水(瓦曽根溜井)は分離していなかった。ガイド責任者の秦野氏が「旧平和橋が架かっていた当時、『旧平和橋』北北東詰への『アクセス道路』が通っていました」と、話をしてくれた。

団子屋の渡し跡

アクセス道路跡|元荒川

※団子屋の渡しがあったあたりの風景|瓦曽根溜井

また、かつて、旧平和橋から50メートルほど上流に、「団子屋の渡し」と呼ばれる渡し場があった。

帰途

今回の史跡めぐりは、これですべての行程を終えた。終着の越谷駅東口へ向かう。