烏八臼(うはっきゅう)と呼ばれる文字が刻まれた墓塔が越谷市で見受けられる。字義については諸説あるが、一般的には「烏」「八」「臼」の三文字を組み合わせた合字もしくは印といわれている。これに異を唱えるのは、NPO法人越谷市郷土研究会・顧問の加藤幸一氏。烏八臼について加藤氏にたずねた。

横顔|加藤幸一

加藤幸一(かとう・こういち)…NPO法人越谷市郷土研究会・顧問。平成5年(1993)から平成19年(2007)、15年間をかけて、越谷市内全域およそ1,200基の石仏を調査。詳細なスケッチと時代考証を行ない、調査報告書(「越谷の石仏」全11地区)をまとめた。現在も補てんの調査を継続している。越谷の史跡や歴史に関する論考も多数発表。越谷市立図書館の郷土歴史講座の講師もつとめる。

烏八臼とは

――烏八臼(うはっきゅう)とは何でしょうか?

加藤  「烏八臼」とは、「烏」(う)「八」(はち)「きゅう」(旧=舊→臼)の三つの字を組み合わせた文字のことで、石仏愛好家の間で呼ばれている名称です。室町時代から江戸時代中期にかけて、曹洞宗の墓標(墓石)の上部に多く見られます。

烏八臼

たとえば上の画像ですが、黄色い○印で囲んだ中の文字が烏八臼です。上から「八」「臼」「鳥」と縦に三つの文字が組み合わされています。
 
加藤氏の解説の前に、一般的にいわれている烏八臼の主な解釈をいくつか紹介する。

烏八臼の字体

文字の形はいろいろある。「烏」が「鳥」になっていたり、「八」が「刀」、「臼」が「旧」や「日」になっているものも見られる。

烏八臼の書体

漢字字形自由共有サイト・グリフウィキより引用

文字の意味

字義については、いろいろな説があって、はっきりしていない。加藤氏によると「石仏愛好家の間では、墓塔に刻まれる謎の『烏八臼』などとも言われている」とのこと。

烏八臼の諸解釈

『日本石仏図典』(※1)によると、「字義については諸説多く[……]諸説を総合すれば、破邪・破地獄など死者に寄りつく魔物をはらいのける印である」としている。
 
『日本石仏事典』(※2)では、「この字義については[……]いろいろな説が提示され、それらを要約すると、◇鳥の意◇日月の意◇梵字合字の崩れ◇吽(うん)の合字◇(釈迦の弟子)大迦葉(だいかしょう)が成仏の印として弟子に授けた字形……など驚くほど多岐にわたっている」とある。
 
どちらも「印」や「合字」としている。

※1 日本石仏協会編『日本石仏図典』国書刊行会(昭和61年8月25日発行)40頁

※2 庚申懇話会編『日本石仏事典(第二版新装版)』雄山閣(平成7年2月20日発行)371頁

 
以上をふまえて、加藤氏に解説していただく。

烏八臼は鵮という漢字である

――加藤さんは、烏八臼は印や合字ではない、と?

加藤 「烏八臼」は、記号もしくは単なる印であるというのが定説ですが、私はその定義は誤りであると確信しています。
 
「烏八臼」は記号ではありません。「鵮」(たん)という漢字です。「ついばむ」という意味の漢字なのです。詳しい漢和辞典にも出ています(※3)。むずかしく考えることはありません。

※3 『広漢和辞典』(大修館)下巻、1367頁に「『鵮』(タン)。鳥がものをついばむの意。鵮(たん)は鳥が物を啄(ついば)むなり」とある。画像引用元:『広漢和辞典』(大修館)下巻

――なるほど。「鵮」(たん)という字は、「ク」「臼」「鳥」の三つの文字が組み合わさってできていますね。それが変形して、「ク」が「八」になったり「鳥」が「烏」になったりして、いつしか、「烏」「八」「臼」の三文字の合字と解釈(誤解)され、「うはっきゅう」と読まれるようになった、というわけですね。

加藤 立正大学の故・久保常晴先生(※4)も、「烏八臼は鵮(たん)という漢字」であると指摘されています。

久保先生によりますと、「鵮」という漢字は、随求陀羅尼(ずいぐだらに)という真言(呪文)の中にある「瑟鵮(しったん)布羅耶(ふらや)莎賀(そわか)」の「瑟鵮」(「吉祥成就」の意)から由来するとしています。
 
吉祥成就を意味する「瑟鵮」(しったん)は、梵字では一文字で、梵字の「シッ・タン(悉曇)」(※5)を漢字で表わしたのが「鵮」である、と述べています。
 

※4 久保常晴(くぼ つねはる)……歴史学者・仏教考古学者。立正大学教授。昭和58年(1983)没。論文「烏八臼の研究」著書『仏教考古学研究』の中で、烏八臼について考察している。

※5 上記〔悉曇の解説〕画像は『梵字事典』(雄山閣)11頁・14行目より引用

烏八臼(鵮)は鳥がものをついばむの意

――「鵮」(たん)は、吉祥成就を意味する梵字を漢字で表わしたもの、とするのが久保説で、「鵮」は「鳥がものをついばむ」という意味の漢字である、というのが加藤説、ということで、よろしいでしょうか。

加藤 「鵮」(たん)は「ついばむ」という意味の漢字であるという裏づけとして、越谷市内の小曽川(おそがわ)と増林(ましばやし)にある「烏八臼」の墓塔を紹介します。「鳥がものをついばむ」という意味で使われているよい例です。

烏八臼の墓塔|越谷市小曽川

烏八臼の墓塔|元禄11年

上の写真は、越谷市小曽川の共同墓地内にある江戸中期・元禄11年(1698)の墓塔です。向かって右手(黄色い○印で囲んだ中)に「鵮為涼屋松影信女」と刻まれています。最初の文字が「鵮」(たん)になっています。

「鵮為涼屋松影信女」は「涼屋松影信女の為(ため)に鵮(ついば)む」と読みます。「鵮」を「ついばむ」という意味で使っていることが分かります。

烏八臼の墓塔|越谷市増林

烏八臼の墓塔|寛文7年

こちら(上の写真)は、越谷市増林の勝林寺墓地にある江戸前期・寛文7年(1667)の墓塔です。正面の中央(黄色い□印の中)に「鵮(※6)為応順禅定尼菩提也」と刻まれています。
 
「鵮為応順禅定尼菩提也」は「応順禅定尼の為(ため)に鵮(ついば)む菩提なり」と読みます。ここでも「鵮」は「ついばむ」の意味で使われています。

※6 この墓塔では「鵮」の代わりに、「八」「臼」「烏」の三文字を縦に並べた「鵮」の変形体が使われている。
 

加藤 小曽川と増林の二例は、「烏八臼」は印や記号ではなく、文字(漢字)であることを示しています。「鵮」(たん)は「ついばむ」という意味の漢字なのです。また、「鵮」の異字体は、「烏八臼」(うはっきゅう)といわずに「鳥八臼」(ちょうはっきゅう)と呼ぶべきでした。

根底に鳥葬があった

――どうしてついばむという漢字を使ったのでしょうか?

加藤 私は、「鳥に死骸を食べさせる(ついばませる)鳥葬(※7)の風習が根底にある」と考えています。

※7 鳥葬(ちょうそう)……遺体を林や野に置いて鳥についばませる葬法。日本でも墓石が浸透する前は農村などで行なわれた。

 

――加藤さん、本日はありがとうございました。

加藤氏の烏八臼に関する論考

加藤氏は、烏八臼に関する論考「烏八臼の石仏―『鳥八臼』というべきか?―」を発表している。加藤氏の「烏八臼の石仏」は越谷市郷土研究会のホームページで閲覧可能。以下 URL を示す。ぜひ一読願いたい。
http://koshigayahistory.org/456.pdf

謝辞

本記事をまとめるにあたっては、越谷市郷土研究会顧問・加藤幸一氏の指導を仰ぎ、校閲もしていただいた。加藤氏には心からお礼申しあげます。