境内の建物

境内|谷中観音堂

石仏調査がひととおり終わったので、続いて、境内の建物を見ていく。

鐘楼堂

鐘楼堂

鐘楼堂(しょうろうどう)。鐘は江戸中期・宝暦6年(1756)建立。「宝暦六丙子十一月吉日」の銘がある。鐘楼堂そのものは比較的新しい。平成に再建されたと思われる。
 
その他、鐘に「元祖為代々菩提也」「武州埼玉郡越谷領谷中村」「西福院住 秀敞代」の銘と施主の名前が確認できるほか、「迷故三界城 悟故十方空 本来無東西 何処有南北」と「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽」の四句の文(しくのもん)が刻まれている。四句の文の読み方と意味については割愛。

小祠|写し霊場

小祠

鐘楼堂の隣にある小祠(しょうし)は、四国霊場第二十二番札所・平等寺(徳島県)の写し霊場になっている。写し霊場とは、本場の霊場(四国八十八箇所霊場)を巡礼したのと同じご利益(りやく)が得られるとされて設けられた札所のこと。
 
谷中観音堂は、三郡送り大師(武蔵国八十八ヶ所=写し霊場)の第二十二番札所になっているので、四国霊場第二十二番札所の平等寺と同じご利益を得られることになる。

御詠歌

御詠歌

小祠の扉の上に「四国第廿二番阿波国平等寺写」「本尊十一面観音 弘法大師」と題した額が掛けられていて、「平等に へだてのなきと きく時は あらたのもし みほとげぞ見る」と、平等寺の御詠歌(ごえいか)が書かれている。
 
額の最後に書かれている「南無大師遍照金剛」(なむだいしへんじょうこんごう)とは弘法大師・空海のこと。四国霊場の札所にはそれぞれ御詠歌が掲げられている。

三郡送り大師と御詠歌

三郡送り大師と八十八箇所の霊場および御詠歌については、越谷市郷土研究会・顧問の加藤幸一氏が「弘法大師霊場八十八箇所の『三郡送り大師』」と題して論考している。論考は越谷市郷土研究会のホームページで閲覧可能。以下 URL を示す。
http://koshigayahistory.org/r03_01_k_katoh.pdf

四国霊場巡拝記念碑

四国霊場巡拝記念碑

小祠に向かって左手前に建っているのは、昭和56年(1981)3月に建立された、弘法大師 四国霊場巡拝記念碑。裏面には世話人10人の名前が刻まれている。

観音堂

谷中の観音堂

石畳の参道の先にあるのは観音堂。屋根は、昭和50年代に草葺きから瓦葺きに葺き替えられいるが、柱や基壇などはかなり古い時代のものと思われる。

扁額

扁額

堂舎の扉の上に昭和17年(1932)に奉納された「ありがたや 大慈大悲の観世音 念彼(ねんぴ)の力 福寿えんまん」と書かれた扁額が掛けられている。

堂舎

堂舎

古びた観音堂の堂舎を眺めていると、『ふるさと散歩(下)』(※10)にある「この建物(観音堂)は部分的には補修されているものの(江戸中期)宝暦6年(1756)の建立になるものかもしれない」という記述も、あながち否定できない気がする。

※10 『越谷ふるさと散歩(下)』越谷市史編さん室(昭和55年4月30日発行)「谷中西福院」189-190頁

この観音堂に奉納されている白馬が描かれている絵馬にまつわる伝説(谷中の白馬)が残っている。その伝説を紹介する。