越谷市向畑(むこうばたけ)の鎮守・香取神社の石仏・石塔と境内の風景を現地で撮影した写真とともにお伝えする。

向畑香取神社

向畑香取神社|越谷市向畑

創建年代は、つまびらかでないが、江戸後期に幕府が編さんした地誌『新編武蔵風土記稿』「向畑村」の項に、「香取社 村の鎮守、千蔵院持、」「末社 妙義 稲荷 雷電 疱瘡神」(※1)とあるのが、向畑香取神社のこと。

※1 『新編武蔵風土記稿 第十巻(大日本地誌大系)⑯』雄山閣(平成8年6月20日発行)「向畑村」180頁

 
『埼玉の神社』によると、「かつて当地(向畑)は(隣村の)川崎村に含まれ、江戸中期・元禄8年(1695)に分村した。分村のさいに、川崎村の鎮守・香取神社の分霊をここに勧進(かんじん)したことは想像に難くない」(※2)という。

※2 埼玉県神社庁神社調査団編『埼玉の神社(北足立・児玉・南埼玉)』埼玉県神社庁(平成10年3月31日発行)「向畑香取神社」1174頁

それでは、境内の石造物(石仏石塔)を見ていく。

石仏石塔

調査した石仏石塔は 5基

  1. 敷石建立供養塔
  2. 「水神宮」文字塔
  3. 種別不明の石塔
  4. 「天神宮」文字塔
  5. 種別不明の石祠

①~④は参道脇、⑤は本堂裏手

敷石建立供養塔

敷石建立供養塔

参道入口脇(社殿に向かって右側)のフェンス沿いにある石塔は「敷石建立供養塔」。江戸後期・天保8年(1837)造塔。石塔型式は山状角柱型。正面に「敷石建立氏子中」(しきいし こんりゅう うじこじゅう)と刻まれている。

側面

敷石建立供養塔(側面)

左側面(向かって右側)の脇銘は「天保八丁酉年二月吉祥日」。その下に「世話人」と刻まれ、ふたりの名前が見える。
 
右側面(向かって左側)の脇銘は「武蔵野国埼玉郡向畑村」

二基の石塔

祠|二基の石塔

参道の左手(拝殿に向かって左側)、トタン葺きの小さな祠の中に、二基の石塔が置かれている。祠に張られた細いしめ縄には紙垂(しで)が下げられている。

「水神宮」文字塔

「水神宮」文字塔

向かって左側は「水神宮」文字塔。江戸後期・文化12年(1815)造塔。石塔型式は駒型。主銘は「水神宮」。脇銘は「文化十二亥年六月吉□」「向畑村」「講中十九人」の文字が確認できる。

千蔵院から移設

『埼玉の神社(北足立・児玉・南埼玉)』によると、この「水神宮」文字塔は、もともとは、向畑村の隣村である川崎村の千蔵院にあったが、明治維新直後に行なわれた新政府による神仏習合 (しんぶつしゅうごう) の禁止によって、千蔵院は廃寺となり、境内の「水神宮」文字塔は、向畑香取神社に移された、という(※3)

※3 埼玉県神社庁神社調査団編『埼玉の神社(北足立・児玉・南埼玉)』埼玉県神社庁(平成10年3月31日発行)「向畑香取神社」1174頁

種別不明の石仏

種別不明の石仏

「水神宮」文字塔の隣に、駒型の小さな石塔の上部が置かれている。
 
正面は劣化がひどく、文字が刻まれているようだが、読みとれない。側面にも文字らしきものが刻まれているが、判読不明。

「天神宮」文字塔

「天神宮」文字塔

参道をさらに進んだ左手にもトタン葺きの祠があり、中央に、石塔が一基、置かれている。この石塔は、江戸後期・文化7年(1807)造塔の「天満宮」文字塔。石塔型式は祠型。
 
正面の主銘は「天神宮」。側面には「文化七午年」「正月吉日」のほか、寄進者8人の名前が刻まれている。

新発見

この文化7年の「天神宮」文字塔は、向畑香取神社の石仏についての先行研究には記載されていない。管見のかぎり「未調査」「未報告」なので、「【新発見】越谷市向畑・香取神社の「文化七年『天神宮』文字塔」」という論考にまとめた。

論考のリンク先を以下に示す。
https://www.koshigayatanbo.com/bunka7-tenjinto-mukobatake-20260517.pdf

種別不明の石祠

種別不明の石祠

本堂の裏手、雑木林の片隅に小さな木の祠がある。中に、破損した石祠(せきし)のようなものがある。木祠の脇には、笠の部分が逆さに置かれている。
 
何かを祀った石祠と思われるが、年代も祀られている神仏の種別も分からない。

境内の風景

続いて境内の風景を紹介する。