県道・越谷野田線から逆川に架かる新方橋を渡ると越谷市大吉(おおよし)に入る。右手に松伏溜井と古利根堰を望みながら、古利根川右岸沿いの平方東京線を100メートルほど行くと、右手前方に大吉香取神社の杜が見える。その手前のY字路を左に進む。正面に、ブロック塀に囲まれた墓地と寺がある。青龍山徳蔵寺(せいりゅうさん・とくぞうじ)と称する真言宗豊山派の寺院である。

歴史

徳蔵寺|越谷市大吉

創建の年代はつまびらかでないが、『新編武蔵風土記稿』大吉村の項に「徳蔵寺 新義真言宗、山城国醍醐三宝院の末、青龍山と号す、本尊は十一面観音を安ぜり、立像にて長二尺ほど、惠心の作、庵 十一面観音を安ず」とある。山城国(やましろのくに)醍醐(だいご)三宝院(さんぽういん)は、京都市伏見区にある真言宗醍醐派の総本山・醍醐寺の本坊。修験道当山派の本山でもある。

山門前の風景

山門前の風景

入口にはお堂と二階建ての集会所がある。参道の起点には「青龍山 徳蔵寺 真言宗 豊山派」と刻まれた平成13年(2001)12月建立の寺標が建っている。正面に山門が見える。参道の両脇は墓地。江戸時代の墓標も多い。右手の墓地の一画には墓石と並んで六地蔵陽刻供養塔が二基置かれている。

不動堂と大吉農村センター

不動堂と大吉農村センター

瓦葺き白壁のお堂は不動堂。成田山の不動明王が祀られている。二階建ての建物は大吉農村センターだが、かつては「庵」(あん)と呼ばれ、十一面観音が安置されていた。『新方地区の石仏』加藤幸一(平成7・8年度調査/平成31年1月改訂)徳蔵寺の項に、不動堂と集会所で講が行なわれていたことなどが記されている。以下引用(抜粋)

参道入口には、成田山の不動明王を祀るお堂がある。幕末の安政年間には「吉釼講」(きっけんこう=のちに吉建講)として遠方からも講員をかかえ活動していた。大吉農村センターの中に、十一面観音像が安置され、女性たちによって念仏講が行なわれていたが、すでに廃れた。
 
『新編武蔵風土記稿』大吉村の項に「庵 十一面観音を安ず」との記述が見られるが、「庵」とは現在の大吉農村センターをさすものと思われる。庵の十一面観音像は、かつては本尊の十一面観音座像(秘仏)の前立(まえだち)として本堂に置かれたこともあったと思われる。平成28年(2016)に、庵から徳蔵寺の本堂に移された。

力石

力石

不動堂の角地に埋め込まれている力石。江戸後期・文政8年(1825)奉納。力石には「文政八酉九月吉日」「六十五〆目」「大吉村 中村一力」と刻まれている。「六十五〆目」の「〆目」は「貫目」のこと。65貫は約244キログラム。

六地蔵供養塔

六地蔵供養塔

参道の右手に、六地蔵陽刻供養塔が二基、置かれている。向かって左が江戸後期・文化14年(1817)造立。正面に、六地蔵が三体ずつ二段に浮き彫りされている。右側面には「為代々早世再建立」とあり、左側面には「文化十四丁丑年 七月 施主」と刻まれ、施主の名前が見える。右側は、江戸後期・文政10年(1827)造立。正面に六地蔵が三体ずつ上下二段に陽刻されている。地蔵の姿が鮮明。かなり状態がいい。右側面に「再建立 為惣檀中菩薩也」、左側面には「文政十丁亥歴六月廿四日」と刻まれている。

境内の風景

山門

瓦葺きの山門をくぐると正面に本堂が見える。参道から本堂までは石畳になっていて、境内には砂利が敷かれている。境内の生け垣や植木の手入れも行き届いている。

六地蔵

六地蔵

山門をくぐった右手に、丸彫りの六地蔵が青銅葺き雨よけの中で並んでいる。平成20年1月に奉納されたものなので、状態はとてもいい。

無縁仏と庚申塔

無縁仏と庚申塔

山門をくぐった左手の生け垣に沿って無縁仏と庚申塔が一画にまとめられている。

青面金剛像庚申塔

青面金剛像庚申塔

最前列の中央に置かれている青面金剛像庚申塔。江戸後期・文政6年(1823)造立。石塔型式は駒型。正面に邪鬼を踏みつけている一面六臂の青面金剛像が浮き彫りされている。右側面に「文政六癸未十二月吉日」「世ハ人」と刻まれ、世話人二人の名前がみえる。

文字庚申塔

文字庚申塔

前列の右端にあるのは江戸後期・文政5年(1822)の文字庚申塔。石塔型式は角柱型。石の厚みも幅と同じくらいある。正面の最上部に日月、中央に「庚申」の二文字が陽刻されている。左側面には「文政五壬午年」、右側面には「正月吉日」とある。台石の正面には三猿が浮き彫りされていて、左側面に「大吉村」、右側面に「講中」と刻まれている。

道標付き文字庚申塔

道標付き文字庚申塔|左側面

文字庚申塔のうしろに道標付き文字庚申塔がある。江戸後期・文化2年(1805)造立。石塔型式は駒型。正面の主銘は「庚申塔」。上部に日月が陽刻。脇銘は「文化二乙丑年」「十一月吉日」。下部に願主三人、講中三人の名前がみえる。左側面には「左江戸道」「日本橋六里三十丁」と刻まれている。

道標付き文字庚申塔|右側面

右側面には「右」「関宿」「 宝珠花」「野田」「岩井」「猿嶋道」と刻まれ、下部に講中五人の名前がみえる。道しるべに記されている地名から判断すると、もともとは別の場所にあったものをこの場所(徳蔵寺)に移したと思われる。

あと二基、庚申塔があるはずだが…

無縁仏

このほかには庚申塔らしい石塔は見あたらないが、『越谷ふるさと散歩(下)』越谷市史編さん室(昭和55年4月30日発行)大吉徳蔵寺の項に、「山門をくぐった左手の一画に文字庚申塔が二基、青面金剛庚申塔が三基(合計五基)ある」ことが記載されている。『新方地区の石仏』加藤幸一(平成7・8年度調査/平成31年1月改訂)徳蔵寺の項にも五基の庚申塔のデッサンと解説が載っている。加藤幸一氏のデッサンを元に、残り二基の青面金剛像庚申塔を探してみた。

青面金剛像庚申塔|享保6年

青面金剛像庚申塔

最後列の右から二番目、五輪塔の隣に、それらしい駒型の庚申塔があった。正面は風化が進んで彫像や銘文などは判読できない。よくみると中央に浮き彫りされている顔がうっすらと確認できる。石塔は上下二つに割れてしまっている。
 
『新方地区の石仏』(徳蔵寺)に載っている加藤幸一氏のデッサン画と照らし合わせると、江戸中期・享保6年(1721)の青面金剛像庚申塔に間違いない。『越谷市金石資料集』越谷市史編さん室(昭和44年3月25日)庚申塔の項に、この庚申塔の正面には日月・青面金剛像・三猿が陽刻されていることが記載されいる。

青面金剛像庚申塔|年代不詳

青面金剛像庚申塔

最後列の右から三番目にも青面金剛像が浮き彫りされている庚申塔があった。石塔型式は駒型。『新方地区の石仏』(徳蔵寺)加藤幸一氏のデッサン画で確認した。合掌六臂の青面金剛像。これに間違いない。『越谷市金石資料集』越谷市史編さん室(昭和44年3月25日)庚申塔の項にも、この庚申塔には日月・青面金剛像・邪鬼・三猿が陽刻されていることが記載されいる。年代は不詳。

大師堂と御詠歌

大師堂

無縁仏と庚申塔群に並んで小さな大師堂がある。軒下に御詠歌(ごえいか)が記された扇子型の額が掲げられている。御詠歌とは、信者が寺院や霊場巡礼のさいに唱える歌のこと。五・七・五・七・七の三十一文字からなる和歌に節をつけたものが多い。

御遠忌
 
第十九番 徳蔵寺
 
御詠歌
 
いへもみも
ともにさかひて
かぎりなく
ふくとくちいを
さづけたまいよ
 
昭和九年
七月廿一日

寺子師匠の墓石

寺子師匠の墓石

大師堂裏手の生け垣の中は、徳蔵寺歴代住職の墓所になっている。その片隅に、明治2年(1869)没の「意照院寿山光永居士」という戒名の墓石がある。台石に「筆子中」とあり、松伏・増林・向畑・大吉など寺子師匠の教え子とみられる数十人の氏名が刻まれている。江戸時代、徳蔵寺は寺子屋の教舎に利用されていたようだ。この墓石の人は、寺子師匠で、生徒(筆子)たちが、先生の死を悼んで建てた墓石だろう。

慰霊碑

慰霊碑

歴代住職墓所の隣には、生け垣に沿って、昭和42年(1967)建立の慰霊碑が建てられている。裏面には、地元・大吉出身の太平洋戦争戦没者7名の名が戦没地とともに刻まれている。北支那・ソロモン島・ニューギニア・満州・フィリピン・外蒙古・済州島…。どの地も激戦地であった。

青龍大権現「文字塔」

青龍大権現「文字塔」

本堂に向かって右手前方、植木の中に、江戸末期・元治元年(※)建立の「青龍大権現」(せいりゅうだいごんげん)と刻まれた自然石の文字塔がある。裏面にも碑銘が刻まれているが、欠損部分が多く、「二月建之」「元甲子」「□海謹書」の文字しか確認できない。「□海謹書」の下には花押が刻まれている。

※ 『越谷ふるさと散歩(下)』越谷市史編さん室(昭和55年4月30日発行)大吉徳蔵寺の項に、この文字塔について「瓦葺きの本堂前には元治元年(1864)建碑の青龍大権現と刻まれた自然石の供養塔がある。」とあるので、建立年月は、それに従った。

青龍大権現とは

青龍大権現の「青龍」は、徳蔵寺の山号「青龍山」からとったものと思われる。青龍の「龍」は、水の神でもある。なお台石には、世話人をはじめ増林・松伏・大吉・向畑などの寄進者の名前のほかに、「井戸師」「井戸側師」の名もあるので、この石塔は、井戸を掘ったときに、井戸の神=龍神(青龍大権現)を祀るために建てられたものかもしれない。

かつて徳蔵寺は大吉学校の教舎だった。

徳蔵寺の本堂

徳蔵寺は、明治18年(1885)から一年間、越谷・七ヵ村組合立の大吉学校(おおよしがっこう)の教舎として使われていた。向畑の観音堂を教舎にしていた向畑学校を徳蔵寺に移したもの。一年後、明治19年(1886)、再び、徳蔵寺(大吉学校)から向畑観音堂(向畑学校)に校舎が移されるが、この向畑学校が現在の新方小学校の前身である。

交通案内

徳蔵寺(越谷市大吉)

徳蔵寺

住所は埼玉県越谷市大吉1064-1( 地図 )。郵便番号は 343-0008 。公共交通機関を使った場合、東武スカイツリーライン北越谷駅東口から朝日バス(弥栄団地循環)に乗って、弥栄二丁目バス停で下車。新方川に架かる新栄橋を渡ってたんぼ道を直進。古利根川(右岸側)手前の道を左折。バス停から徳蔵寺まで約600メートル。徒歩約8分。本堂前に3台分駐められる駐車スペースが用意されている。