越谷市大吉調節池の東側道端にある天保3年(1832)造立の文字庚申塔を調べた。調査日は2023年11月28日。「増林河岸」の銘も刻まれている路傍の石仏を写真とともにお伝えする。

文字庚申塔|天保3年

文字庚申塔|大吉調節池東側路傍

上の写真、石塔の左手は、大吉調節池の桜並木と、堤防上のジョギングコース。正面前方に越谷市立新栄中学校の校舎が見える。

正面

文字庚申塔|正面

庚申塔の造塔は江戸後期・天保3年(1832)。石塔型式は山状角柱型。正面の上部には「庚申」(こうしん)と刻まれている。

下部

文字庚申塔|正面下部

下部には「村講中」「世話人」とあり、六人の名前が確認できる。染谷孫兵衛・小林清蔵・中山佐兵衛・染谷助右エ門・加藤重右エ門・加藤半之助。

右側面

文字庚申塔|右側面

右側面の脇銘は「天保三壬辰□□吉日」。「□□」の部分は磨耗していて読みとれない。

左側面

文字庚申塔|左側面

左側面の下部には「増林河岸」(※1)のほか、五人の名前が刻まれている。重右エ門・源四郎・□八・紋蔵・萬吉

※1 増林河岸(ましばやしかし)は、松伏溜井の水位を調整する古利根堰(ふるとねぜき)の下流側、古利根川の右岸(増林側)にあった河岸場。この庚申塔からおよそ東南東200メートルのところにあった。

脇銘にある「萬吉」ついて、越谷市郷土研究会の加藤幸一氏は、「増林河岸の萬吉は、幕末の頃から増林河岸を差配(さはい)した『萬屋』(よろずや)の祖先である」(※2)と述べている。

※2 加藤幸一「新方地区の石仏」平成7・8年度調査/平成31年1月改訂(越谷市立図書館所蔵)67頁

かつての場所

文字庚申塔

また、加藤氏によると、この庚申塔は、「もとは[中略]ここから東方10メートル先の路傍南側にあった」(※3)という。

※2 加藤幸一「新方地区の石仏」平成7・8年度調査/平成31年1月改訂(越谷市立図書館所蔵)67頁

場所

文字庚申塔|大吉調節池東

文字庚申塔の住所は埼玉県越谷市大吉583-1( 地図 )。郵便番号は 343-0008。場所は、大吉調節池の東側を通る小道のT字路角地。道沿いには特別老人ホーム・キャンベルホームがある。

参考文献

本記事を作成するにあたって、引用した箇所がある場合は文中に出典を明示した。参考にした文献は以下に記す。

参考文献

加藤幸一「新方地区石仏」平成7・8年度調査/平成31年1月改定(越谷市立図書館所蔵)
越谷市役所『越谷ふるさと散歩(下)』越谷市史編さん室(昭和55年4月30日発行)
日本石仏協会編『石仏巡り入門―見方・愉しみ方』大法輪閣(平成9年9月25日発行)
日本石仏協会編『新版・石仏探訪必携ハンドブック』青娥書房(2011年4月1日発行)