越谷市三野宮の南西・畑の角地にある小祠(しょうし)に二基の石仏が安置されている。片方は、道しるべ付き観音菩薩立像。もう一基は、青面金剛を主尊とした庚申塔とされてきたが、現地で調べた結果、馬頭観音を主尊とした供養塔の可能性が高いことがわかった。
小祠
調査日は、2024年5月24日。場所は、三野宮香取神社入口前の古道を120メートルほど北西に進んだ右手、畑の角地。20メートル離れたところに、三基の石塔が並んでいるが、それは別記事で紹介している(※1)
※1 三基の石塔については本記事の末尾で「関連記事」として表示している。
小祠の石塔
小祠には二基の石仏が安置されている。
- 馬頭観音像塔
- 道標付き観音菩薩像塔
特記事項
二基の石塔は、ともに劣化が進んでいて、文字や像容が確認しづらい箇所も多々あった。不確かな文字や像容などについては、万全を期すために、加藤幸一「大袋地区の石仏」平成9・10年度調査/平成27年12月改訂(越谷市立図書館所蔵)の該当箇所のスケッチと解説文とを照らし合わせた。
<
通説|青面金剛像庚申塔
向かって右側の石塔は、今までは、青面金剛像庚申塔とされてきた。
この石塔を青面金剛像庚申塔としている文献を以下に示す。
越谷市金石資料集
昭和44年(1969)に、越谷市史編さん室から発行された昭和43年度調査報告書『越谷市金石資料集』(※1)では、この石塔は庚申塔に分類されている。
[区分]庚申塔
[番号]一三四
[塔型]駒型
[年号]明和二年二月二十九日
[種別]彫像
[主銘]青面金剛・日月・三猿
[脇銘]三野宮講中
これによると、主尊は、青面金剛で、「日月」「三猿」の陽刻と、「三野宮講中」の脇銘が確認されている。
※1 越谷市史編さん室『越谷市金石資料集』昭和44年3月25日発行「庚申塔・一三四番」168頁
大袋地区石仏
(出典)加藤幸一「大袋地区石仏」表紙(※2)
平成9年(1997)に、この石塔を調査した、越谷市郷土研究会・加藤幸一氏の調査報告「大袋地区石仏」(※2)も、この石塔は「青面金剛像庚申塔」としている。
※2 加藤幸一「大袋地区の石仏」平成9・10年度調査/平成27年12月改訂(越谷市立図書館所蔵)9頁・62頁
青面金剛像庚申塔
(出典)「大袋地区石仏」(※3)
加藤氏は、この石塔と、『越谷市金石資料集』庚申塔一三四番は、同じものとしているが、加藤氏のスケッチには、『越谷市金石資料集』にあった、「日月」「三猿」と「三野宮講中」の銘は、描かれていない(上の図参照)
『越谷市金石資料集』では、脇銘は「三野宮講中」となっているが、加藤氏のスケッチには、脇銘に「三野宮講中」の文字はなく、「施主 三ノ宮村 森田佐七」とある(上の図参照)
※3 加藤幸一「大袋地区の石仏」平成9・10年度調査/平成27年12月改訂(越谷市立図書館所蔵)9頁
以上、先行資料を念頭に、あらためて、この石塔を見ていく。
新説|馬頭観音像塔
石塔の形式は駒型。脇銘の「明和丙戌天」「二月廿九日」「施主 三ノ宮村 森田佐七」から、この石塔が造立されたのは、江戸中期・明和3年(1766)で、三ノ宮村の森田佐七という人が施主になっている。
像容と持物
中央に陽刻されている主尊の像容は、顔がひとつで手が六本(一面六臂=いちめんろっぴ)。持ち物は、左上手に法輪、左下手に弓、右上手に宝棒、右下手に矢。持ち物については、一面六臂の青面金剛像と共通している。
馬頭
この主尊は、頭に馬頭を戴いているように見える。肝心な部分が劣化していて、馬頭を頭に戴いている、と、断言はできないが、青面金剛の怒髪よりも、馬頭に近いと判断できる。
馬口印
胸前の両手で合掌しているように見えるが、よく確認してみると、合掌ではなく馬口印(※4)を結んでいるのがわかる。
※4 馬口印(まこういん)とは、人差し指と薬指を伸ばして中指を折る印相(いんぞう)。「ばこういん」とも呼ばれる。この主尊も中指を折っている(上の写真の黄色い○印)
馬頭観音は、頭に馬頭を戴き、腕の前で馬口印を結んでいるのが大きな特徴だが、この石塔の主尊は、青面金剛よりも馬頭観音の特徴を兼ね備えている。
新説
この石塔の特徴は以下の三点。
- 頭に馬頭を戴いているように見える。
- 両手で馬口印を結んでいる。
- 庚申塔の特徴を示す日月・邪鬼・二鶏・三猿などがみられない。
以上の三点を根拠に、この石塔の主尊は、青面金剛ではなく馬頭観音で、庚申塔ではなく、馬の供養のために建てられた供養塔である可能性が高いと判断する。