越谷市三野宮の鎮守・三野宮香取神社。元荒川左岸沿いを通る大野島越谷線と埼玉県立大学のほぼ中ほどに位置する。南東400メートルほど先には真言宗の寺院・一乗院がある。境内には、江戸時代後期、力持ちを見世物として日本各地を興行して歩いた三ノ宮卯之助の名が刻まれた力石をはじめ馬頭観音像供養塔や「妙見星神筑波山両大権現」と刻まれた笠付の文字塔など石仏も多く見られる。

由緒

三野宮香取神社

創建は不詳。北条政子(※1)が建立したとも、さる高貴な人物の三男がこの地に流れてきて没したのを悼んで建立したとの伝説や言い伝えが残っているが(※2)、たしかな証拠はない。

※1 平安時代末期から鎌倉時代初期の女性。鎌倉幕府を開いた源頼朝の妻。頼朝の死後は尼になって政治の実権を握ったことから尼将軍と呼ばれた。

※2 『埼玉の神社 北足立 児玉 南埼玉』埼玉県神社庁(平成10年3月31日発行)越谷市「三野宮香取神社」歴史の項に次のような記述がある。「三野宮は、三之宮とも書き、地内には(鎌倉中期)元仁元年(1224)に北条政子(ほうじょうまさこ)が建立し、その念持仏を寄進したとの由緒を持つ真言宗の一乗院がある。地名の由来は、『一乗院伝記』によれぱ、(室町時代)応永11年(1404)に没した足利義満(あしかがよしみつ)の第三子・義教(よしのり)を三野宮大明神(三野宮稲荷大明神ともいう)としてこの地に祀ったことにちなむものであるという」

本尊は十一面観音

三野宮香取神社の境内

江戸後期・幕府が編さんした地誌『新編武蔵風土記稿』三之宮村の項に「香取社 村の鎮守なり、密蔵院の持」とあることから、一乗院の塔頭(※3)であった密蔵院とのかかわりがうかがわれる。本尊は、本地仏(※4)十一面観音座像。

※3 塔頭(たっちゅう)…本寺の境内にある小寺。わきでら

※4 本地仏(ほんじぶつ)…仏教が興隆した時代に発生した神仏習合思想で、神道の神々は、人々を救うために日本の地に現われた仏や菩薩の仮の姿で、本来の仏や菩薩のこと。十一面観音は本地仏として祀られることが多い。

三ノ宮卯之助銘の力石

三ノ宮卯之助銘の力石

境内で目につくのが、地元・三野宮出身で、幕末、力持ちを見世物として一座を結成、諸国を興行して歩いた三ノ宮卯之助(さんのみやうのすけ)銘のある四基の力石(ちからいし)。
 
いちばん大きいのは嘉永元年(1848)の大磐石(約520キロ)、続いて白龍石(約200キロ)、山王石(約170キロ)、指石(110キロ)。どの石も諸国を興行していたときに使われた石を奉納したものとみられる。これらの力石は越谷市の有形文化財(歴史資料)に指定されている。

石塔

石塔

境内左手の茂みの下には九基の石仏や記念碑などの石塔が並べられている。

天神像塔

天神像塔

江戸末期・安政5年(1858)の天神像塔。石祠に梅の花を配した菅公(菅原道真)像が陽刻されている。石塔型式は祠型。左側面には「安政五午年」「筆子中」「十二月吉辰」とあり、右側面には、筆子の師匠とみられる一学の名で「神垣に 春をとなえや 梅の華」という句が刻まれている。台石には筆子中27人の名前がみえる。三野宮村21人、大森村6人。

向佐夘之助

天神像塔

台石に向佐夘之助という名前がみえる。「夘」は「卯」の俗字。向佐卯之助と同じ。この向佐夘之助について、『大袋地区の石仏』加藤幸一(平成9.10年度調査/平成27年12月改訂)に「筆子中の中に『向佐夘之助』(夘は卯と同じ)の名前が刻まれているが、これは日本一の力持ちといわれた三ノ宮卯之助(嘉永7年没)の息子であろうか」とある。
 
三ノ宮卯之助の没年は嘉永7年(1854)。天神塔の造立は安政5年(1858)。天神塔が造立されたときは、三ノ宮卯之助はすでに没している。私には、台石の向佐夘之助という人物が、三野宮卯之助の息子であるかどうかは立証できない。加藤氏の説を紹介するにとどめる。

馬頭観音供養塔

馬頭観音供養塔

二基の馬頭観音供養塔。もともとはそれぞれ別の場所にあったが、道路拡張工事のさいに、この場所に移された。

馬頭観世音像供養塔

馬頭観世音像供養塔

江戸後期・文化8年(1811)造立。駒型。上半分には馬頭観音座像が浮き彫りされていて、下半分には、主銘「馬頭観世音」、脇銘は「文化八未年」「正月」と刻まれている。この馬頭観世音像供養塔は『越谷市金石資料集』越谷市史編さん室(昭和44年3月25日発行)「馬頭観音」(p184)に乗っている「14番」(三野宮橋傍)の石塔。三野宮橋は元荒川に架かる橋で、香取神社から西北400メートルほどの場所にある。かつては三野宮橋のたもとにあった。

「馬頭観音」文字塔

「馬頭観音」文字塔

主銘に「馬頭観音」と刻まれている文字塔。石塔の型式は駒型。年代不詳。劣化が進んでいて「年」の文字だけは確認できるが、ほかの文字は読みとれない。『越谷市金石資料集』越谷市史編さん室(昭和44年3月25日発行)「馬頭観音」の項に、三野宮にある馬頭観音文字塔が三基載っているが、形状と年代が、この文字塔とは違うように思える。