「妙見・筑波山両大権現」文字塔

「妙見・筑波山両権現」文字塔

「妙見星神筑波山両大権現」と刻まれた笠付の文字塔。江戸後期・嘉永3年(1850)造立。主銘は「秩父 妙見星神(※5) 筑波山両大権現」。左側面の脇銘は「嘉永三戌年九月吉日」「天下泰平国家安穏」。右側面の脇銘は「熊野宮敷臺畝五歩七厘」。正面の下部に「永々代参」とあり、台石の正面と左側面に、「願主」「セ話人」「世話人」など14人の名が刻まれている。台石の右側面には「寄付之」とあり、一人の名前がみられる。

※5 妙見(みょうけん)信仰における北極星・北斗七星を神格化した呼び名。北斗七星(または北極星)を信仰の対象とする中国の道教(北辰信仰)と、北極星を神格化した妙見菩薩に対する仏教の信仰が習合したもので、妙見菩薩を祀る秩父神社(秩父大宮妙見宮)や千葉神社(千葉妙見宮)が有名。上の石碑にある「秩父 妙見星神」は、「秩父の妙見星神」という意味なので、秩父大宮妙見宮(秩父神社)のこと。

筑波山両大権現とは

筑波山の男体山に祀られている男神(イザナギノミコト)と、女体山に祀られている女神(イザナミノミコト)の二柱のこと。万葉集(第3巻382番歌)にも「鶏が鳴く 東の国に 高山は さはにあれども 二神の 貴き山の 並み立ちの 見が欲し山と 神世より 人の言ひ継ぎ 国見する 筑波の山…」と詠まれているように、筑波山は、神代の昔から男神・女神の二神が鎮座する尊い山として崇められてきた。

「水神社」文字塔

「水神社」文字塔

年代不詳の「水神社」文字塔。石塔正式は駒型。正面に「水神社」と陰刻され、右側面に「三野宮村中」「セハ人」(世話人)とあり、三人の名前(坂巻 榮蔵・金子清五郎・坂巻孫次郎)が刻まれている。

「稲荷大明神」文字塔

「稲荷大明神」文字塔|天保9年

江戸後期・天保9年(1838)の「稲荷大明神」文字塔。石塔型式は駒型。碑面の正面に「正一位稲荷大明神」と刻まれ、外枠の部分に「天保九戌二月初午」とある。右側面には建立者(坂巻吉蔵)の名が見える。

石燈籠供養塔を兼ねた稲荷大明神塔

「稲荷大明神」文字塔|元文5年

江戸中期・元文5年(1740)の稲荷大明神」文字塔。石塔の型式は角柱型。正面に「稲荷大明神」、左側面に「元文五庚申二月吉祥日」とある。

奉納石燈籠銘

奉納石燈籠銘

右側面には「奉納石燈籠」の銘がある。下部に「三ノ宮村・大道村・大竹村・恩間村・大森村」の村名が刻まれていることから、この稲荷大明神塔は、五村が共同で石燈籠を寄進したことを記念して建立された供養塔も兼ねている。

伊勢参宮記念碑|昭和29年

伊勢参宮記念碑|昭和29年

鳥居をくぐった参道左手にある昭和29年(1954)の伊勢参宮記念碑。地元の伊勢太太講(いせだいだいこう)の講員たちが伊勢神宮へ参詣し、伊勢大々神楽(いせだいだいかぐら)を無事に奉納し終えたことを記念して建てられたもの。石塔の型式は櫛型。
 
正面の主銘は「伊勢参宮記念碑」。裏面の最上部に横書きで「太々神楽奉奏」(だいだいかぐらほうそう)と刻まれ、他は縦書きで、右端に「昭和二十九年二月四日」とあり、中央に世話人3人のほか太々神楽奉納者15人の姓名が刻まれている。左端には「昭和二十九年五月吉午建立」、その下に石工の名前が見える。

伊勢参宮記念碑|大正11年

伊勢参宮記念碑|大正11年

力石の横にある大正11年(1922)の伊勢参宮記念碑。石塔型式は櫛型。正面の主銘は「伊勢参宮記念碑」。裏面の最上部に横書きで「太々神楽奉奏」と刻まれ、他は縦書きで、右端に「大正拾一年二月廿日」、中央に世話人8人のほか、太々神楽奉納者19人の姓名がイロハ順に刻まれている。 氏名の最後に「榥教書」とある。榥教は僧侶の名前か。左端に「今年四月吉辰建立」、その下に石工の名前が見える。