越谷市新方(にいがた)地区の大吉(おおよし)と向畑(むこうはた)。東端を流れる大落古利根川(おおおとしふるとねがわ)に沿った地で、今も多くの田畑が現存。昔ながらの農村風景が見られる。古利根川の水を葛西用水(通称・逆川=さかさがわ=)に分水する古利根堰(ふるとねせき)手前の新方橋を起点に、古利根川上流の堂面橋までのおよそ二キロ、大吉と向畑の社寺と石仏を巡った。

新方橋

新方橋

北越谷駅東口から茨急バスに乗って新方橋(にいがたばし)バス停で下車。ひとつめの信号を左折すると新方橋に出る。かつては木橋だったが、昭和50年代前半ごろに鉄筋コンクリートに改められた。
 
上の写真は新方橋の東詰めから北方を臨んだ風景。向かって右端の二本の木は、かつて大吉の香取社があったときの香取社境内の入口跡、その裏手に古利根堰が見える。

逆川|葛西用水

逆川

橋を正面に見て左手の川は葛西用水。通称・逆川(さかさがわ)。鷺後用水(さぎしろようすい)とも呼ばれる。江戸前期・寛永年間(1624年~1644年)に、中島用水(現在の葛西用水)の開発にともない人工的に造られた流路(人工流路)である。上の写真は新方橋の東詰から逆川の下流方面を見た景色。

古利根堰公園

新方橋の右手にある敷地は古利根堰公園(ふるとねせきこうえん)。大吉の香取神社の跡地。住所は越谷市大吉888。公園といっても遊具はない。ベンチと公衆トイレはあるが敷地内はがらんとしている。五月になるとバラの花が咲く。

大吉香取神社跡地

大吉香取神社跡地

古利根堰公園は大吉香取神社の跡地である。平成3年(1991)の治水調節池建設(逆川の水路改修や古利根堰などの改修工事)に伴い、神社は、500メートルほど北(古利根川右岸沿い)に移された。信号の間にある二本のケヤキの巨木はかつての境内入口。

参道跡

参道跡

二本のケヤキの間には、かつての参道の敷石がそのまま残っている。この参道を境に、向かって右側が増林村、参道とその左側が大吉村。

社殿跡

社殿跡

社殿があった場所にはベンチを兼ねたモニュメントが建てられている。前方に見えるのは古利根堰。移転前の大吉香取神社の様子について『越谷ふるさと散歩(下)』越谷市史編さん室(昭和55年4月30日発行)「大吉香取神社と松伏溜井」に次のように記されている。以下引用。

新方橋のたもと、樹木に覆われた一角が大吉の鎮守・香取社の境内地である。道路に沿って三抱えほどもある大欅が二本、その幹から幹に注連縄が張られており、境内への入口になっている。注連縄をくぐったところに花崗岩の鳥居が建てられている。
 
参道の両側に氏子中による嘉永4年(1851)の御神燈、その先に安政2年(1855)の年号銘と佐七・庄蔵・武助など大吉村有志による奉納者名が刻まれた屋根囲いの御手洗石、それに水神宮の石祠が置かれている。
 
参道の正面は瓦葺屋根格子戸扉の拝殿で、その奥殿は銅板葺屋根、その裏は、満々と水をたたえた湖のような松伏溜井であり、水のあるきとないときそれぞれ趣を添えた眺望が木立を通して見渡される。この大吉香取神社の敷地は、松伏溜井の鷺後用水の間にはさまれ、ちょうど湖に突き出た出島のような形をなしている。

古利根堰

古利根堰

古利根堰公園(大吉香取神社跡)の横は古利根堰(ふるとねせき)。古利根川の流量を調整するために川の水を堰(せ)き止めたり流出したりする。対岸は松伏町(まつぶしまち)。この場所は松伏溜井(まつぶしためい)とも呼ばれ、かつては河岸場(かしば)があった。河岸場とは船着場のこと。松伏側には民部河岸、大吉側には増林河岸。舟運が盛んだった時代は荷物を積んだ多くの舟が行き交ったという。

増林河岸周辺図|戦前の様子

増林河岸周辺図

※上の図(増林河岸周辺図)は越谷市郷土研究会顧問・加藤幸一氏が鈴木進志氏からの聞取りを元に作成

越谷市郷土研究会・顧問の加藤氏から戦前の増林河岸周辺の様子を描いた「増林河岸周辺図」を提供していただいた(上の図)。当時の様子が手に取るように分かる。大吉の香取神社や河岸場・船着場の場所をはじめ沿道にあった店も載っている。トロッコの線路があったとは驚きだ。

馬頭観音供養塔

馬頭観音供養塔

新方橋を渡って右折。20メートルほど先の路傍・左手に、昭和2年(1927)に建てられた自然石の馬頭観音供養塔がある。古利根堰管理所の前。正面には「馬頭観世音」と刻まれ、裏面には「昭和二年五月十四日 力駒死ス 八才」「同年五月 □□□□建立」とある。□は個人名に付き伏せた。

Y字路|古利根川右岸沿いの道

Y字路

馬頭観世音文字塔をあとに古利根川右岸沿いの道(平方東京線)を川上(北)に向かって歩くとY字路に出る。Y字路の右手前方に大吉香取神社のケヤキ、左手前方には徳蔵寺の不動堂が見える。左手の道は古道。右手の道は新道。右に進んで大吉香取神社へ。

大吉香取神社

大吉香取神社

大吉香取神社の住所は越谷市大吉1055。平成3年(1991)に、新方橋たもと(現・古利根堰公園)からこの場所に遷座(せんざ)された。御祭神は経津主命(ふつぬしのみこと)。創建についてはつまびらかでないが、境内の制札(せいさつ)には「江戸前期・慶安2~3年(1649~50)の『田園簿』(※1)には既に村名が見えるので、慶安期以前に村が開発される過程で祀られたものと思われる。江戸幕府が編さんした地誌『新編武蔵風土記稿』大吉村の項には『徳蔵寺の持』と記されており、江戸期には徳蔵寺(※2)の管理を受けていたことが分かる」とある。

※1 江戸初期・正保(しょうほう)年間(1644年から1648年)に徳川幕府によって編さんされた地誌。正保田園簿(しょうほうでんえんぼ)とも呼ばれる。

※2 大吉香取神社の西150メートルほど先にある真言宗の寺。

境内

大吉香取神社の境内

境内には、末社(水神宮と稲荷社)のほか、移転時に建立された御神燈や手水石(ちょうずいし)が置かれているが、移転前の境内にあった江戸末期・安政2年(1855)の手洗石と、江戸後期・嘉永4年(1851)の御神燈も見られる。

末社|水神宮

末社|水神宮

拝殿を正面に見て左手にある末社は水神宮。かつてこの場所には、ここに屋敷を構えていた家の屋敷神として、稲荷神社があった。かつてここは、この地に屋敷を構えていた家の飛び地であった。そこに屋敷神として稲荷神社が祀られていた。この水神宮も屋敷神だったが、明治40年(1907)に稲荷神社の末社として合祀された。現在、稲荷神社は、水神宮とは別に、末社として境内に祀られている。

「水神宮」文字塔

「水神宮」文字塔

水神宮の社には、「水神宮」と刻まれた祠型の文字塔が祀られている。江戸後期・享和元年(1801)建立。側面の銘は確認できないが、『新方地区の石仏』加藤幸一(平成7・8年度調査/平成31年1月改訂)に、「左側面には『奉建立 願主 染谷伴三次 小林直右ヱ門 加藤源六』、右側面には『享和元酉年六月吉日』『大吉村氏子中』と刻まれている」とある。

(資料)大吉村の稲荷神社|加藤氏作成

越谷市郷土研究会の顧問・加藤幸一氏が作成した「旧・大吉村の稲荷神社」に関する資料を加藤氏から提供していただいた。資料は写真・図・解説文で構成されているが、そのまま縮小すると、せっかくの写真や文字が見づらくなってしまう。そこで、加藤氏の許可を得て、資料から写真・図・文章を切り離し、写真と図は縮小して表示(図は解説の補足として一部手を加えた)。文章は転載して引用させていただいた。以下、加藤氏から提供された資料(写真・図・解説文)を紹介する。

古利根川堤上眺望図

古利根川堤上眺望図

※上の画像は原田民自氏が国立公文書館において写真撮影版として入手したもの(加藤氏提供)

上図は、新編武蔵風土記稿に添付された資料に掲載されている「古利根川堤上眺望図」である。大きく描かれた川は、向かって左から右へと流れる古利根川である。その手前は、現在の越谷市大吉(おおよし)、対岸は砂丘が広がる松伏町である。対岸の中央には天神社(現在も当時の砂丘上にある)が見られ、その北方は桃林が盛大に続いている様子が描かれている。向かって左上遠方の山は筑波山。
 
図中で、古利根川の下流に架かる橋は重ね土橋(現・寿橋)で、向かって右端手前の水路は「葛西西用水」と書かれ、葛西用水である。向かって右端は、大吉村の香取社裏から古利根川に半島のように突き出た香取社(この図には出ていない)の土地である。
 
上図の中央手前、古利根川の河川敷の小島にあるのは稲荷社(現在の大吉香取神社のあたり)。

旧・稲荷社周辺図

かつての大吉香取神社周辺図

古利根川の河川敷の小島にあった稲荷社(上の画像の赤い○印=現在・大吉香取神社がある場所)はまったく現存していないが、現在の大吉香取神社のあたりに、江戸時代は〔古利根川の河川敷の小島に稲荷社が〕あったのである。
 
この稲荷社の手前陸地側には徳蔵寺がある(上の画像の青い○印)。徳蔵寺に隣接する半円形の道筋の土手道(上の画像の緑の線)は、古利根川沿いの古道であった。また、染谷家(江戸時代の名主の家柄)から稲荷社の小島に渡る道があった(上の画像の青い▼印)。
 
上記の右側の地図は、明治政府の参謀本部陸軍部測量局の陸地測量部が、軍事上の必要性から近代的な測量技術を用いて明治13年(1880)に測量されて作成された地図の一部である。
 
右側の画像中央にある「稲荷社」(赤い▼印)は現在の大吉香取神社がある場所。

大吉香取神社から徳蔵寺へ

大吉香取神社から徳蔵寺へ向かう道

大吉香取神社をあとに徳蔵寺へ。神社から西へ向かう道の先に、徳蔵寺の本殿の屋根が植木越しに見える。

徳蔵寺

徳蔵寺|越谷市大吉

徳蔵寺は、青龍山徳蔵寺(せいりゅうさん・とくぞうじ)と称する真言宗豊山派の寺院で、参道や境内には、六地蔵供養塔や庚申塔のほか、寺子師匠の墓石などの石仏も点在している。徳蔵寺については別記事にまとめてあるのでそちらを参照されたい。