越谷市七左町の四ッ谷集会所の横にある山王日枝神社(さんのうひえじんじゃ)の三猿庚申塔と二基の石仏のほか、境内の風景などを現地で取材した写真とともにお伝えする。場所は出羽公園の北200メートル、七左エ門通り沿いにある。

歴史

山王日枝神社|越谷市七左町

山王日枝神社の創建年代は、つまびらかでないが、江戸後期に幕府が編さんした地誌『新編武蔵風土記稿』「七左衛門村」の項に「山王社」(※1)の社名が見えることから、江戸後期には鎮座していたと思われる。今も地元では「山王様」(さんのうさま)と呼ばれることが多い。

※1 『新編武蔵風土記稿 第十巻(大日本地誌大系)⑯』雄山閣(平成8年6月20日発行)「七左衛門村」153頁に「山王社 観照院の持」と記されている。

江戸時代の社名は、山王社(さんのうしゃ)だったが、明治初年の神仏分離によって、日枝神社(ひえじんじゃ)と社号を改めたと思われる。
 
当社は、上七左日枝神社(かみしちざひえじんじゃ)と呼ばれることもある。これは、かつての七左衛門村(現在の七左町)が、大きく分けると、上(かみ)と下(しも)に二分されていて(※2)、当社は「上」に属していたことによる。

※2 現在の七左町四丁目から八丁目が「上」(上七左)、一丁目から三丁目が「下」(下七左)

四ッ谷は小名

四ッ谷集会所の標札

なお山王日枝神社の住所は七左町の八丁目になるので、七左衛門村当時は「四ッ谷」(よつや)と呼ばれた。神社の隣にある「四ッ谷集会所」という名称は、当時の小名(こな)による。小名とは村を小分けした区域のこと。
 
江戸時代、七左衛門村は、上組・四ッ谷・前谷・根郷・中組・下組(※3)と、六つの小名に分かれていた。

※3 『新編武蔵風土記稿 第十巻(大日本地誌大系)⑯』雄山閣(平成8年6月20日発行)「七左衛門村」152頁

 

三基の石仏

鳥居前

それでは鳥居前にある三基の石仏から見ていくことにする。

鞘堂

鞘堂

赤い柱が目を引くトタン屋根の鞘堂(さやどう)には三基の石仏が置かれている。向かって真ん中が三猿庚申塔、左は地蔵菩薩像塔、右は主尊不詳の石塔。

三猿庚申塔

三猿庚申塔

江戸前期・延宝8年(1680)造立の三猿庚申塔(さんえん・こうしんとう)。石塔型式は駒型。石塔の下部に三猿(見ざる・聞かざる・言わざる)が陽刻されている。
 
中央の銘文は風化のためほとんど読みとれない。主銘では「庚申」の文字がかろうじて読める程度。脇銘は左右ともにまったく読めない。
 
越谷市郷土研究会・顧問の加藤幸一氏は、この三猿庚申塔の主銘は「□□□供養庚申待(石一基二世ヵ)楽 祈所」(※)で、脇銘は「延宝八庚申」「十一月吉祥日」と解読している。

※4 加藤幸一(2016)「平成15年度調査 出羽地区の石仏 平成28年4月改訂」越谷市立図書館所蔵、13頁・50頁

また、越谷市史編さん室(1969)『越谷市金石資料集』(市史編さん昭和43年度調査報告)160頁では、この三猿庚申塔の主銘は「奉造立庚申待為二世安楽也」となっている。

三猿庚申塔は市内に14基

三猿庚申塔

三猿庚申塔は江戸時代の初期に多く見られる。主銘の下に、見ざる・聞かざる・言わざるの三猿(さんえん)が刻まれているのが特徴。
 
江戸中期以降になると、庚申塔の主尊として青面金剛が登場するが、三猿だけが彫られた三猿庚申塔は、青面金剛が庚申塔の主尊の主流になっていく前の貴重な史料といえる。
 
ちなみに越谷市内では14基の三猿庚申塔が確認されている。市内最古の三猿庚申塔は、増森の森西川自治会館横墓地にある、江戸前期・寛文4年(1664)のもの。山王日枝神社にある三猿庚申塔が造立される16年前になる。

地蔵菩薩像塔

地蔵菩薩像塔

合掌している地蔵菩薩立像が陽刻された石塔。年代は不詳。石塔型式は光背型と思われる。石塔全体が劣化しているというよりも、とくに地蔵菩薩は、全体に削り取られたような痕跡がみえる。明治初年の廃仏毀釈(※5)運動によるものかもしれないが、詳細は分からない。

※5 明治初年(1968)、神道を国の宗教にするために神仏分離令が発令され、全国で多くの寺院や仏像などが破壊・焼却された。このときの破壊運動を「廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)と呼ぶ。

銘文もほどんど読みとれないが、「四ッ□組」(四ッ谷組か)「若者中」「世話人」などの文字がなんとか読みとれる。地元(四ッ谷組)の若者たちの何らかの集まり(講中)を記念して造塔されたものかもれしない。

主銘不詳の石塔

主銘不詳の石塔

向かって右端の石塔は、刻まれている文字はまったく読みとれない。「吉」らしき文字が、かろうじて読める程度。主銘・脇銘・年代ともに不明。
 
続いて境内の風景を紹介する。

境内の風景

参道入口

参道入口

境内地は、盛土で一段高くなったところにある。正面に朱塗りの鳥居。参道入口の鳥居前には「山王 日枝神社」と赤字で刻まれた社号標がある。社号標は、平成8年(1996)に、鳥居を含めた神社の新築記念に建てられた。

参道

参道

鳥居をくぐると石畳の参道が10メートルほど続く。参道の両脇には手入れの行き届いた植木が植えられている。

イチョウの巨木

イチョウの巨木

ひときわ目を引くのが社殿前にあるイチョウの巨木。樹勢も旺盛。樹齢は200年を超えているかもしれない。

力石(?)

力石(?)

境内には石碑や石塔などは見あたらないが、参道の脇に力石のような石が一個、置かれている。文字らしきものが刻まれているようにも見えるが、確認できなかった。

拝殿

拝殿

トタン葺きのこぢんまりした拝殿は、平成8年(1996)に改築されたもの。境内の植木同様、きれいに保たれている。祭神は文献などをあたってみたが分からなかった。日枝神社なので、大山咋神(おおやまくいのかみ)が祀られているのかもしれない。

参拝情報

山王日枝神社(上七左日枝神社)

山王日枝神社の住所は、埼玉県越谷市七左町8-78( 地図 )。郵便番号は 343-0851。Yahoo!地図では「山王日枝神社」だか、Googleマップでは「上七左日枝神社」となっている。場所は、出羽公園の北100メートル。七左ヱ門通り沿い。ファミリーマート越谷七左エ門通り店の斜め前。鳥居(四ッ谷集会所)前に車を駐めるスペースがある。

参考文献

本記事を作成するにあたっては、石仏や石塔の金石文を確認するさいに、関係書籍や調査報告書とも照らし合わせた。参考にした文献を以下に記す。

参考文献

加藤幸一「出羽地区の石仏」平成15年度調査/平成28年4月改訂(越谷市立図書館蔵)
越谷市史編さん室編『越谷市金石資料集』越谷市史編さん室(昭和44年3月25日発行)
越谷市史編さん室編『越谷ふるさと散歩(下)』越谷市史編さん室(昭和55年4月30日発行)
『新編武蔵風土記稿 第十巻(大日本地誌大系)⑯』雄山閣(平成8年6月20日発行)
埼玉県神社庁神社調査団編『埼玉の神社(北足立・児玉・南埼玉)』埼玉県神社庁(平成10年3月31日発行)
日本石仏協会編『石仏巡り入門―見方・愉しみ方』大法輪閣(平成9年9月25日発行)
日本石仏協会編『日本石仏図典』国書刊行会(昭和61年8月25日発行)
庚申懇話会編『日本石仏事典<第二版>新装版』雄山閣(平成7年2月20日発行)