越谷市宮本町にある日帰り温泉施設「健美の湯」第二駐車場の一画に小さな社がある。この社は愛宕神社(あたごじんじゃ)跡。ここには、かつて四町野村(現在の宮本町)の名主・会田太郎兵衛の屋敷があり、神社は会田家が管理していた。境内には、江戸後期建立の大山祇命(おおやまつみのみこと)文字塔があったが、現在は大間野町旧中村家住宅の敷地内に移されている。この文字塔は、越谷で大山講による大山詣りが行なわれていたことを今に伝える貴重な史料にもなっている。

愛宕神社の歴史

愛宕神社|越谷市宮本町二丁目

この愛宕社は、かつては四町野村(しちょうのむら=現在の宮本町)の弘誓寺(ぐぜいじ)が別の場所で管理していた。『新編武蔵風土記稿』四町野村の項に「愛宕社 弘誓寺の持」とある。その後、明治期になって、四町野村の名主であった会田太郎兵衛(あいだたろべえ)が、ここに移転させた。弘誓寺は明治4年(1871)に廃寺となり、今は墓地だけになっている。
 
会田太郎兵衛は、もち米の改良にも取り組んだ人物で、作出したもち米は「太郎兵衛糯」(たろべえもち)と称され、徳川家康も絶賛。大奥御用達のもち米として献上されたほか、昭和天皇の即位式には太郎兵衛もちで作った鏡餅が飾られた。平成30年(2018年)には、こしがや愛されグルメにも認定され、400年もの歴史を誇る越谷市の特産品として今も親しまれている。
 
『出羽地区の石仏』加藤幸一(平成15年度調査/平成28年4月改訂)に、愛宕社の歴史について次のような記述がある。以下引用(抜粋)

この愛宕社は、弘誓寺(ぐぜいじ)の持ち分であった。それを明治に入って会田家がここに移転させた。(愛宕社は)太郎兵衛糯(たろべえもち)で有名な「会田太郎兵衛屋敷」(会田家)が管理していたが、会田家の屋敷は昭和30年代末に取り壊され、現在は住宅地となったが、愛宕社は現在地のまま残った。しかし時代の波にのまれて平成16年に取り壊され、同時にここにあった「大山祇命」(おおやまつみのみこと)石塔も取り除かれた。

松の大木が当時の面影を伝えている

社と松

現在、「越谷健美の湯」第二駐車場の一画に祀られている愛宕社は、平成16年(2004)に取り壊されたあと、新築されたもの。社の周囲はフェンスで囲まれていて、隣の松の大木が当時の面影を伝えている。祠の中には神体はないが御幣(ごへい)が立てられている。また、かつて愛宕社の境内にあった「大山祇命」文字塔は、平成27年(2015)に、越谷市大間野町にある「大間野町旧中村家住宅」(越谷市保存民家)の敷地内に移転された。

「大山祇命」文字塔

「大山祇命」文字塔|大間野町旧中村家住宅

こちら(上の写真)が、大間野町旧中村家住宅の敷地内に移転された、愛宕社の「大山祇命」文字塔。石塔の型式は祠型。江戸後期・文化14年(1817)造立。正面に「大山祇命」(おおやまつみのこみと)と刻まれている。

大山祇命文字塔

左側面に「文化十四丁丑歳」、右側面に「八月吉日」とある。台石の正面には「講中」(こうじゅう)と彫られ、右側面に「當宿 願主 権左衛門」とみえる。
 
大山祇命(大山祇神)は山を司る神。大山祇神を祀る神社として、埼玉県では、秩父神社、三峯神社、宝登山(ほどさん)神社などがあり、県外では、神奈川県の大山阿夫利(おおやまあふり)神社が有名。

大山詣りと大山講

なかでも大山阿夫利神社が鎮座する大山は、古くから霊山として信仰され、大山に参拝する「大山詣り」(おおやままいり)が、庶民の間で流行した。隆盛を極めた江戸時代には年間20万もの人々が来山したという。昔は、農民が遠出をするための旅費を工面するのは困難であったので、村ごとで「講」(こう)という互助会のような組織を作って(大山講と呼ぶ)、毎年、順番に、代表者が大山詣りをした。

銘文|講中

台石の正面に「講中」(こうじゅう)とあるのは、大山講のこと。側面には講員の名前が村名とともに刻まれている。名前が確認できるのは 27人ほど。村名は、大吉村・鷺後村・向畑村・船渡村・袋山村・大道村・大林村・大房村・小林村など、越谷の広い地域にわたっている。
 
『出羽地区の石仏』(平成15年度調査/平成28年4月改訂)で、著者の加藤幸一氏は、「この大山祇神の石塔は、広範囲の地域の人々が寄り集まって結成されてできた信仰集団である『講中』(こうじゅう)によって造立されたもので、市内には唯一ここしかないと思われる。当時の大山祇神の信仰の名残を伝えた貴重なものである。」と述べている。

越谷の大山講と大山詣り

越谷でも大山講と大山詣りが行なわれていた記録が残っている。『越谷市民俗資料』越谷市史編さん室(昭和45年3月1日発行)第8章「講・日待」の項に、村ごとの「講」についての記述がある。ほとんどの村で大山講の存在を確認できるが、愛宕社のあった四町野村(現在の宮本町)の講については次のように書かれている。以下引用(抜粋)

大山講には、四十歳くらいまでの人が三十人入っている。無尽式になっているので、入るとき講元で年限を契約して、掛金を決める。小学校を終えると三月末に山入りをするが、これがすむと一人前と認められる。世話人は若い衆である。近所の人たちからお祝いをもらうので、山まいりから帰ってきてから、ご恩返しといって、講に入っている人を呼んでお礼を配る。

そのほかの村でも「大山には十五歳になった者がかならず行くことになっていた。くじ当りの代参者の代りということにして話しあいで決めた。大山にはけわしい箇所があるので、それに登って他人の間にまじわる経験をするためである。」(向畑)「十代の青年が大山の阿夫利神社へ四月二十日ごろ出かけていった。」(増森)「男子は十五歳になると青年になったとし、相模の大山へ『初山』に行くことが元服のようなものであり、農家では、餅をついて親戚中でお祝いをした。これは戦前まで行なわれていた。」(大沢)などの記述がある。
 

大山祇命文字塔|越谷市大間野町

「大山祇命」文字塔と、台石に刻まれている「講中」の文字やさまざまな村名は、『出羽地区の石仏』の中で加藤幸一氏が指摘しているように、かつて越谷には村ごとに「大山講」があり、ある一定の年齢に達した青年が大山詣りをすることで、一人前の大人として認められた、という風習があったことを示すものといえる。また、村ごとの大山講を統括するような組織もあったのではないかと思われる。

参拝情報

健美の湯|第二駐車場

愛宕社跡・大山祇命文字塔

愛宕社跡の場所は、日帰り温泉施設「越谷健美の湯」第二駐車場の一画。住所は埼玉県越谷市宮本町2-172-1( 地図 )。公共交通機関でのアクセスは、越谷駅西口から国際興行バスまたは朝日バスに乗って「宮本町二丁目」で下車してすぐ。「大山祇命」文字塔のある大間野町旧中村家住宅の住所は、越谷市大間野町1-100-4( 地図 )。東武伊勢崎線・蒲生駅から徒歩15分。駐車場あり。