谷中の白馬伝説

谷中観音堂

谷中村の観音様の本堂の中に大きな白馬を描いた一枚の額がある。[……]たいへん大きなもので、[……]よく見ると、戦争で負傷したよろい姿の兵士を二人、大きな白馬が背中に乗せて走っている。
 
村の人々の話では、この額の絵は二百年以上も前からあるとのこと。そして昔から困ったときは、この絵にお祈りすれば、白馬に神様が乗ってきて助けてくれると信じられていた。
 
この絵は戦国時代に描かれたともいわれ、戦国の世に、谷中村から戦に出て、傷ついた兵士を助けたのが白馬で、あとで助けられた兵士が、この白馬を描いたとのことである。
 
その後、この白馬は、谷中村の守り神のようになり、大病にかかった人を治したり、悪いことをした人を改心させたりするようになったそうだ。
 
また、近い話では、太平洋戦争のとき、谷中村から出征した兵士たちが重い傷を負って、生死の境をさまよっているとき、この白馬がどこからともなく現われ、傷ついた兵士たちの手当てをしてくれた、という。
 
こうして守り神となった白馬が、この額から逃げ出さないように、手綱を描き足した、とも言われている。

※11 『越谷市の史蹟と傳説』越谷市教育委員会/越谷市文化財調査委員会(昭和35年4月15日発行)「出羽地区」(野口和雄)「谷中の白馬」116頁

上記の文章は昭和35年に書かれたもので、現在では、差別語・不快用語に当てはまる不適切な言葉が含まれていたため一部、現代表記に改めた。

集会所兼西福院本堂

谷中町集会所

集会所(谷中町集会所)は西福院の本堂を兼ねている。建物の中には、越谷市の有形文化財・彫刻に指定されている円空仏(※12)三体(不動明王三尊)が祀られている。

※12 円空(えんくう)は、江戸時代前期の修験僧。全国各地を巡って、生涯12万体にのぼる仏像を残したといわれている。円空が彫った木彫りの仏像は円空仏(えんくうぶつ)と呼ばれる。越谷市内には、谷中の西福院のほか、大泊の安国寺と北越谷の弘福院に、円空仏が安置されている。

墓地

如意輪観音墓塔

境内地の隣は墓地になっている。宝暦9年(1759)や安永5年(1776)など江戸中期の古い墓石も数基確認できることから、西福院は、江戸中期には建立されていたと思われる。

場所

谷中観音堂(西福院)

谷中観音堂(西福院)の住所は、埼玉県越谷市谷中町3-85( 地図 )。郵便番号は 343-0856。場所は、草加バイパス・宮本町交差点から南西200メートル。埼玉県立越谷総合技術高等学校の北北東250メートル。谷中通りの南、草加バイパスの西に位置している。周囲は道が狭いので路上駐車はできない。

参考文献

本記事を作成するにあたっては、石仏や石塔の金石文を確認するさいに、関係書籍や調査報告書とも照らし合わせた。参考にした文献を以下に記す。

参考文献

加藤幸一「出羽地区の石仏」平成15年度調査/平成28年4月改訂(越谷市立図書館蔵)
越谷市史編さん室編『越谷市金石資料集』越谷市史編さん室(昭和44年3月25日発行)
越谷市史編さん室編『越谷ふるさと散歩(下)』越谷市史編さん室(昭和55年4月30日発行)
『越谷市の史蹟と伝説』越谷市教育委員会/越谷市文化財調査委員会(昭和35年4月15日発行)
『新編武蔵風土記稿 第十巻(大日本地誌大系)⑯』雄山閣(平成8年6月20日発行)
日本石仏協会編『石仏巡り入門―見方・愉しみ方』大法輪閣(平成9年9月25日発行)
日本石仏協会編『新版・石仏探訪必携ハンドブック』青娥書房(2011年4月1日発行)
庚申懇話会編『日本石仏事典<第二版>新装版』雄山閣(平成7年2月20日発行)
日下部朝一郎『石仏入門』国書刊行会(昭和42年11月30日発行)