越谷市宮本町一丁目自治会館(十王堂)の庚申塔と石仏を調べた。調査した石塔を写真とともにお伝えする。場所は、宮子通りと四丁野通りが交差する信号から四丁野通りを元荒川方面に向かった150メートル先の右手にある。

宮本町一丁目自治会館|十王堂

宮本町一丁目自治会館|十王堂

調査したのは、2023年12月17日。現在の宮本町一丁目自治会館は、かつては十王堂と呼ばれる寺院だった。『新編武蔵風土記稿』「四町野村」の項に「十王堂 弘誓寺持」(※1)とある。弘誓寺も今はない。
 
越谷市郷土研究会の加藤幸一氏によると、十王堂集会所には、閻魔大王をはじめとする十王像など多くの仏像が祀られている、という(※2)

※1 『新編武蔵風土記稿 第十巻(大日本地誌大系)⑯』雄山閣(平成8年6月20日発行)「四町野村」152頁

※2 加藤幸一「出羽地区の石仏」平成15年度調査/平成28年4月改訂(越谷市立図書館蔵)「旧四丁野村」32頁

四町野村

越谷市宮本町一帯は、江戸時代は、四町野村(しちょうのむら)と呼ばれていた。四丁野村とも表記される。

石仏・石塔

石仏石塔|十王堂(越谷市宮本町)

自治会館の前は墓地になっていて、庚申塔や地蔵像などが並べられている。

  1. 阿弥陀如来像庚申塔
  2. 青面金剛像庚申塔
  3. 地蔵菩薩立像
  4. 六地蔵座像
  5. 宝篋印塔
  6. 如意輪観音像墓標

それでは石仏と石塔を順番に見ていく。

庚申塔

庚申塔|十王堂(越谷市宮本町)

道路(四丁野通り)脇に並んでいる二基の石仏は庚申塔。

阿弥陀如来像庚申塔

阿弥陀如来像庚申塔

向かって右手の石塔は、阿弥陀如来を主尊とする庚申塔。江戸前期・寛文3年(1663)建立。石塔型式は舟型。阿弥陀如来を主尊とする庚申塔は、越谷市内には四基しか確認されていない。庚申塔の主尊が青面金剛に一般化する前の形態を示す貴重な石仏といえる。
 
上部に「弥陀」の文字。主尊を表わす種子(※3)ではなく「弥陀」と文字で刻まれているのも珍しい。

※3 種子(しゅじ)とは、各尊を梵字一文字で表わしたもの。阿弥陀如来は「キリーク」、青面金剛は「ウーン」、地蔵菩薩は「カ」など。

中央に蓮華座に乗った阿弥陀如来立像が丸彫りされている。両脇の銘は「奉待庚申講人数 地蔵院」「寛文三癸卯年九月廿三日」「施主 敬白」とあり、9人の名前が刻まれている。

地蔵院

銘

かつて四町野村には 地蔵院 と呼ばれた寺院があった。『新編武蔵風土記稿』四町野村の項に「地蔵院 迎摂院の門徒なり、慶長八年尊栄造立せり」とある。慶長8年(1603)は、徳川家康が江戸幕府を開いた年。この庚申塔は、もともとは地蔵院にあったものが移されたようだ。
 
越谷市郷土研究会の加藤幸一氏は、地蔵院について、「『武蔵野国群村誌』によると、[中略]村の南東にあったが、明治四年に廃止されたという。[中略]地蔵院は、現在の宮本町一丁目の天満宮のそばにあったと推定できる」(※4)と、述べている。

※4 加藤幸一「出羽地区の石仏」平成15年度調査/平成28年4月改訂(越谷市立図書館蔵)「旧四丁野村」32頁

台石

台石

阿弥陀如来像の庚申塔は、江戸前期・寛文3年(1663)の造塔だが、台石には「安永七戊戌」と刻まれている。安永7年(1778)は江戸中期にあたる。
 
越谷市郷土研究会の加藤幸一氏は、阿弥陀像付き庚申塔と台石は製作年代が異なっているので、二つは元々別物と思われる、と指摘している(※5)

※5 加藤幸一「出羽地区の石仏」平成15年度調査/平成28年4月改訂(越谷市立図書館蔵)「旧四丁野村」32頁

青面金剛像庚申塔

青面金剛像庚申塔

向かって左側は、江戸中期・明和8年(1771)造塔の青面金剛像庚申塔。石塔型式は角柱型。日月・青面金剛像・邪鬼・三猿が陽刻されている。
 
青面金剛の像容は六手合掌型。顔は忿怒相(ふんぬそう)で、髪は怒髪(どはつ)。持物は、左上手に法輪、左下手に弓、右上手に三叉鉾、右下手に矢。

左側面

銘|明和八辛卯

左側面には「明和八辛卯」の銘と、六人の名前が刻まれている。

右側面

銘|三月吉日

右側面には「三月吉日」の銘と、六人の名前がうっすらと読みとれる。

地蔵菩薩と六地蔵

地蔵菩薩と六地蔵

庚申塔のうしろ(墓地の手前)には、地蔵菩薩立像と六地蔵座像が置かれている。地蔵菩薩立像は明治27年(1894)造塔。六地蔵座像の建立年代は不詳。

地蔵菩薩立像

地蔵菩薩立像

地蔵菩薩立像の台石正面には六地蔵を表わす梵字・六文字が刻まれているほか、側面には「明治廿七年甲午四月」「施主名」「廿四世 迎摂院住職」「戒名」などの銘が確認できる。

宝篋印塔

宝篋印塔

六地蔵の横にあるのは宝篋印塔(ほうきょういんとう)。江戸中期・宝暦6年(1756)造塔。
 
塔身の部分には四仏(※6)を表わす梵字、基礎の部分には「奉供養寳塔」「天下泰平 國土安全」「寳暦六丙子天」「十一月初九日」のほか、宝篋印陀羅尼(※7)の文句が刻まれている。

※6 四仏(しぶつ)とは、四方に鎮座する仏のこと。東の阿閦(あしゅく・ウーン)、南の宝生(ほうしょう・タラーク)、西の阿弥陀(あみだ・キリーク)、北の不空成就(ふくうじょうじゅ・アク)

※7 宝篋印陀羅尼(ほうきょういんだらに)とは、釈尊が路辺の朽塔を礼拝し、これこそ如来の全身舎利を集めた宝塔であるとして、その塔の功徳や陀羅尼などを述べた『宝篋印陀羅尼経』に説く陀羅尼。四十句よりなる。(出典)JapanKnowledge(https://japanknowledge.com)「宝篋印陀羅尼」仏教語大辞典 (2023年12月20日閲覧).

如意輪観音像墓標

如意輪観音像墓標

宝篋印塔の隣は如意輪観音を主尊とした女性の墓標。江戸中期・元禄7年(1694)建立。石塔型式は光背型。最頂部に梵字「ア」。中央部に如意輪観音座像が浮き彫りされている。
 
向かって右脇の銘は、戒名(妙心禅定尼)と下文字(霊位)。禅定尼(ぜんじょうに)は女性につける戒名。左脇の銘は「元禄七甲戌歳二月十一日」

像容

如意輪観音座像

如意輪観音の像容は一面六臂(顔がひとつで腕が六本)。座像で、右膝を立てた輪王座(りんのうざ)、右手のひらをほほにあてた思惟形(しゆいがた)
 
持物は、左上手に法輪、左下手に金剛杵(こんごうしょ)のようなもの。右上手に数珠、右下手に宝珠(ほうじゅ)

表情

如意輪観音の表情

もの思わしげな端麗なお顔は悩ましくもある。建立から329年間、おだやかな表情で、風雪に耐えながら故人を見守り続けてきたのかと思うと、思わず手を合わせたくなる。

十王堂の場所

向畑観音堂|越谷市向畑

宮本町一丁目自治会館(十王堂)の住所は埼玉県越谷市宮本町1-106( 地図 )。郵便番号は 343-0806。場所は、宮子通りと四丁野通りが交差する信号から四丁野通りを元荒川方面に向かった150メートル先の右手。

参考文献

本記事を作成するにあたって、引用した箇所がある場合は文中に出典を明示した。参考にした文献は以下に記す。

参考文献

加藤幸一「出羽地区の石仏」平成15年度調査/平成28年4月改訂(越谷市立図書館蔵)
『新編武蔵風土記稿 第十巻(大日本地誌大系)⑯』雄山閣(平成8年6月20日発行)
日本石仏協会編『新版・石仏探訪必携ハンドブック』青娥書房(2011年4月1日発行)
日本石仏協会編『石仏巡り入門―見方・愉しみ方』大法輪閣(平成9年9月25日発行)
庚申懇話会編『日本石仏事典(第二版新装版)』雄山閣(平成7年2月20日発行)
日本石仏協会編『日本石仏図典』国書刊行会(昭和61年8月25日発行)