越谷市増林を通る平方東京線沿いにある中妻組の文字庚申塔を調べた。調査した路傍の石仏を写真とともにお伝えする。場所は増林駐在所から南東200メートル先、民家の入口にある。

中妻組の庚申塔

中妻組の庚申塔|越谷市増林

調査したのは 2023年12月12日。増林の上組地区には、◇笹原(ささら)講◇中妻講◇椎の木講◇上組講――と、四つの庚申講があり、この庚申塔は「中妻組」の庚申講(中妻講)が、江戸後期・天保3年(1832)に建てたもの。石塔型式は角柱型。

正面

主銘|庚申

正面の中央は平らに掘りくぼめられている。中央に大きく「庚申」と刻まれている。

日月清明

碑銘|日月・清明

上部の左右に「日月」「清明」と文字が刻まれている。
 
庚申塔の正面上部には、「太陽と三日月」(日月=じつげつ)が浮き彫りされているのが一般的だが、「日月」「清明」と、文字が刻まれている庚申塔は越谷市内では数が少なく、珍しい。

三猿

三猿

最下部には「三猿」(三匹の猿)が陽刻されている。風化が進んでいるので、断言はできないが、向かって左から「言わ猿」「聞か猿」「見猿」のように見える。

脇銘|左側面

脇銘|天保三壬辰歳

左側面の脇銘は「天保三壬辰歳」

脇銘|右側面

脇銘|三月吉祥日

右側面の脇銘は「三月吉祥日」

台石

台石

台石には「中妻組講中」とあり、10人の名前と、「世話人」の名前が刻まれている。この台石から、この庚申塔は増林・中妻講の講員たちによって建てられたことがわかる。

増林上組の庚申講

このあたり(増林上組地区)では、平成の時代まで庚申講が行われていた。
 
越谷市郷土研究会の加藤幸一氏によると、「地元[……]の一部の人たちによって毎月一回程度持ち回りで 庚申講 が行われていたが、平成11年(1999年)のはじめごろに廃止された」(※1)という。

※1 加藤幸一「増林地区の石仏石塔」平成11・12年度調査/令和4年改訂(越谷市立図書館所蔵)77頁

庚申講(こうしんこう)とは

庚申(かのえさる)の日、青面金剛(しょうめんこんごう)を祀り、徹夜する行事。この夜眠ると、そのすきに三尸(さんし)が体内から抜け出て、天帝にその人の悪事を告げるといい、また、その虫が人の命を短くするともいわれる。村人や縁者が集まり、江戸時代以来しだいに社交的なものとなった。庚申待。(※2)

※2 出典:デジタル大辞泉「庚申待」(こうしんまち)

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場所

増林・中妻組の文字庚申塔|平方東京線

増林・中妻組の庚申塔がある場所は、越谷警察署増林駐在所(越谷市増林3795-1)から平方東京線(埼玉県道・東京都道102号)を南東に200メートルほど進んだ先、民家の入口にある( 地図

参考文献

本記事を作成するにあたって、引用した箇所がある場合は文中に出典を明示した。参考にした文献は以下に記す。

参考文献

加藤幸一「増林地区の石仏石塔」平成11・12年度調査/令和4年改定(越谷市立図書館所蔵)
越谷市史編さん室編『越谷市金石資料集』越谷市史編さん室(昭和44年3月25日発行)
日本石仏協会編『石仏巡り入門―見方・愉しみ方』大法輪閣(平成9年9月25日発行)
庚申懇話会編『日本石仏事典(第二版新装版)』雄山閣(平成7年2月20日発行)