越谷市増林の上組地区にある庚申講中(笹原組・中妻組・椎の木組・上組)が、江戸時代の後期に講中ごとに建てた四基の文字庚申塔を調べたので、写真とともに紹介する。
増林上組地区の庚申塔
増林上組地区、四基の庚申塔のうち三基は、平方東京線(埼玉県道・東京都道102号)沿い、一基は平方東京線から折れた脇道沿いにある。
- 笹原組の庚申塔
- 中妻組の庚申塔
- 椎の木組の庚申塔
- 上組の庚申塔
それでは、笹原組の庚申塔から順番に見ていく。
笹原組の庚申塔
まずは笹原組の庚申塔。「笹原」は「ささら」と読む。越谷野田線の新方橋南三差路を折れて平方東京線を300メートルほど進んだ左手にある。
建てられたのは江戸後期・文化13年(1830)。石塔型式は角柱型。正面の主銘は「庚申」。下部に「三猿」が陽刻されている。
左側面の脇銘は「文政十三庚寅年」。右側面には「二月吉祥日」とある。台石には「笹原組」と刻まれている。
中妻組の庚申塔
二基目は中妻組の庚申塔。場所は、増林駐在所から平方東京線を300メートルほど進んだ左手、民家の入口にある。
建立は江戸後期・天保3年(1832)。石塔型式は角柱型。正面の主銘は「庚申」。最頂部に「日月」「清明」の文字が刻まれている。最下部には「三猿」が陽刻されている。
左側面の脇銘は「天保三壬辰歳」。右側面には「三月吉祥日」とある。台石の正面には「中妻組講中」のほか、「世話人」を含めて11人の名前が刻まれている。
椎の木組の庚申塔
三基目は椎の木組の庚申塔。場所は、増林駐在所から平方東京線を100メートルほど進んだT字路角地にある。
江戸後期・天保7年(1836)2月に建てられた。石塔型式は駒型。正面の主銘は「庚申」。最頂部の左右に瑞雲に乗った月と太陽。最下部には「三猿」が浮き彫りされている。
右側面の脇銘は「天保七丙申二月吉日」。台石には寄進者17人の名前が刻まれている。
上組の庚申塔
四基目は上組の庚申塔。場所は、護郷神社(もりさとじんじゃ)から平方東京線に向かう小道の途中、小さな祠(ほこら)といっしょに並んでいる。
建立は江戸後期・天保7年(1836)2月。石塔型式は駒型。最頂部の左右に瑞雲に乗った月と太陽。中央に「庚申」と、大きく刻まれている。最下部には陽刻された「三猿」
右側面の脇銘は「天保七丙申二月吉日」。台石には寄進者16人の名前が刻まれている。
増林の庚申講
越谷市郷土研究会の尾川芳男氏によると、増林の上組地区には、◇笹原講◇椎の木講◇中妻講◇上組講……四つの庚申講があったという(※1)
※1 尾川芳男(2014)「増林に残る庚申講」(越谷市郷土研究会 河川史研究倶楽部主催 増林の埋堀巡検 解説資料 平成26年)
増林に残る庚申講
尾川氏の論考「増林に残る庚申講」は、越谷市郷土研究会のホームページ「河川史研究倶楽部主催 増林の埋堀巡検 解説資料 平成26年4月」で閲覧可能。リンク先を以下に示す。
http://koshigayahistory.org/690.pdf
関連記事
越谷市増林を通る平方東京線沿いにある三基の庚申塔を調べた。調査した路傍の石仏を写真とともにお伝えする。場所は、越谷野田線の新方橋南三差路を折れて平方東京線を300メートルほど進んだ左手にある。
越谷市増林を通る平方東京線沿いにある天保7年(1836)造立の文字庚申塔を調べた。調査した路傍の石仏を写真とともにお伝えする。場所は増林駐在所から西北100メートル丁字路角地、祠の隣にある。
越谷市増林を通る平方東京線沿いにある中妻組の文字庚申塔を調べた。調査した路傍の石仏を写真とともにお伝えする。場所は増林駐在所から南東200メートル先、民家の入口にある。
越谷市増林上組(ましばやし・かみぐみ)の文字庚申塔を調べた。調査した路傍の石仏を写真とともにお伝えする。場所は、護郷神社(もりさとじんじゃ)から平方東京線に向かう小道の途中、小さな祠(ほこら)といっしょに並んでいる。
参考文献
本記事を作成するにあたって、引用した箇所がある場合は文中に出典を明示した。参考にした文献は以下に記す。
加藤幸一「増林地区の石仏石塔」平成11・12年度調査/令和4年改定(越谷市立図書館所蔵)
日本石仏協会編『石仏巡り入門―見方・愉しみ方』大法輪閣(平成9年9月25日発行)