東越谷三丁目

東越谷三丁目では、6基の石仏・石塔を調査した。

馬頭観音塔|文化7年

馬頭観音塔|文化7年

東越谷三丁目、個人宅の敷地内にある馬頭観音塔(写真は家主の許可を得て撮った)。江戸後期・文化7年(1810)造塔。石塔型式は駒型。正面最頂部に梵字「サ」。主銘は「馬頭観世音」。

左側面

左側面|脇銘

左側面には「文化七午歳」「六月吉日」のほかに施主の名前が刻まれている。

右側面

右側面|脇銘

右側面には「四国八十八箇所□」「□□□番」「廿七番」「東福寺」の銘が確認できる。
 
越谷市郷土研究会・顧問の加藤幸一氏によると「東福寺は、武蔵国の新四国八十八箇所 のひとつで、二十七番にあたる」(※12)という。

※12 加藤幸一「増林地区の石仏石塔」平成11・12年度調査/令和4年改訂(越谷市立図書館蔵)「旧小林村の石仏」122頁

武蔵国新四国八十八箇所とは、

東京都足立区にある西新井大師を一番札所として、草加市・越谷市・さいたま市・川口市・足立区を巡って、川口市安行の慈林寺を結願とする札所めぐりのこと。明治時代に「三郡送り大師」と呼ばれ、盛んに行なわれた。

馬頭観音塔|寛政11年

馬頭観音塔|寛政11年

東越谷三丁目、個人宅の敷地内にある馬頭観音塔(写真は家主の許可を得て撮影)。江戸後期・寛政11年(1799)造立。石塔型式は駒型。正面の主銘は「馬頭観世音」。脇銘は「寛政十一己未」「二月吉日」

左側面

左側面

左側面には「願主」「小林村」の銘が確認できる。
 
このお宅では、馬頭観音塔のほかに、二基の文字塔も見学させていただいた。

弁財天文字塔

弁財天文字塔

自然石に「辯才天」と刻まれた文字塔。年代は不詳。

木花開耶姫文字塔

木花開耶姫文字塔

「木花開耶姫神」(このはなのさくやひめのかみ)と刻まれた駒型の石塔。年代は不詳。

補足

越谷市郷土研究会・顧問の加藤幸一氏によると「このお宅の南側路傍に荒神(こうじん)文字塔があったが、現在は、西方日枝神社(にしかたひえじんじゃ)の裏に移されている」(※13)という。

※13 加藤幸一「増林地区の石仏石塔」平成11・12年度調査/令和4年改訂(越谷市立図書館蔵)「旧小林村の石仏」121頁

西方日枝神社|越谷市相模町

上の写真の黄色い○印の石塔が移された荒神文字塔(2023年4月16日撮影)

荒神文字塔

荒神文字塔|西方日枝神社

西方日枝神社(※14)に移された荒神文字塔。明治21年(1888)造立。石塔型式は角型。正面の主銘は「荒神」。左側面に「明治二十一子二月十一」、右側面に寄進者12名の名前が刻まれている。

※14 西方日枝神社の住所は埼玉県越谷市相模町6-481




続いて本日最後の調査場所へ

文字庚申塔

文字庚申塔

東越谷三丁目、個人宅の敷地内にある文字庚申塔(写真は家主の許可を得て撮影)。江戸後期・嘉永2年(1849)造立。石塔型式は兜巾型(ときんがた)。劣化がひどく、表面がはがれ落ちていて、文字は読みとれない。
 
平成11年(1999)平成12年(2000)に、越谷市郷土研究会・顧問の加藤幸一氏がこの文字庚申塔を調査したときの報告書(※14)には、正面の最頂部には、雲に乗った太陽と月が陽刻され、主銘に「庚申塔」と刻まれているイラストが載っている。
 
今は、最頂部(向かって右側)に、雲の一部がかろうじて残っているが、はがれ落ちるのも時間の問題かもしれない。

※14 加藤幸一「増林地区の石仏石塔」平成11・12年度調査/令和4年改訂(越谷市立図書館蔵)「旧小林村の石仏」121頁

台石

台石

台石の正面中央には両手で耳をふさいでいる猿(聞か猿)が陽刻されている。おそらくここには三猿が浮き彫りされていたと思われるが、中央の聞か猿以外は、劣化または破損にによって確認できない。
 
上記の加藤氏の現地報告書(「増林地区の石仏石塔」)には、台石の中央に聞か猿、向かって右側には言わ猿が描かれている。見猿については調査当時、すでに破損していて、姿はなかった。

言わ猿を発見

聞か猿と言わ猿

庚申塔のまわりに石塔のかけらが数個、まとめて置かれていた。ひっくり返してみると、「言わ猿」が見つかった(上の写真右)。加藤氏の調査以後、破損してしまったようだ。

左側面

左側面

左側面は「嘉永二酉年四月吉日」の文字がかろうじて確認できる。

右側面

右側面

右側面は、劣化がひどく、表面がすべてはがれ落ちてしまっている。文字はまったく確認できない。加藤幸一氏の現地調査報告書(「増林地区の石仏石塔」)によると、この庚申塔の右側面には「水神宮」の文字が刻まれていた。

「水」と刻まれた破片

石塔の破片

石塔の下に、はがれ落ちてしまった薄いかけらが数枚あったので、一枚、一枚、ひっくり返して調べてみたところ「水」の文字が刻まれている破片が見つかった(上の写真)
 
これはおそらく、右側面に刻まれていた「水神宮」の「水」だと思われる。

水神宮(?)

「水」と刻まれた破片

「水」の文字が刻まれてるかけらを右側面に合わせてみた。ここに「水神宮」と縦に文字が刻まれていたのだろう。この文字庚申塔が造立されたのは嘉永2年(1849)。174年の時の流れを感じた。

文化財パトロール終了

文化財パトロールの調査員

今回の文化財パトロールはこれで終了。班長をつとめた森田氏の尽力によって、予定していた 8箇所・28基の石仏・石塔は、すべて確認できた。

調査風景

文化財パトロール|東越谷区…2023年4月18日

本記事の写真について

本記事の写真は、2023年4月18日に行なわれた文化財パトロールで撮影したものだが、鮮明に撮れなかったものについては、2023年4月8日・11日の下見のときに撮影した写真を使った。

参考文献

調査にあたって、石仏や石塔の劣化や風化によって碑文が読みにくかったり、判読できない箇所も多々あった。正確を期するために、関係書籍や調査報告書と照らし合わせた。参考にした文献を以下に記す。

参考文献

加藤幸一「増林地区の石仏」平成11・12年度調査/令和4年改訂(越谷市立図書館蔵)
越谷市史編さん室編『越谷市金石資料集』越谷市史編さん室(昭和44年3月25日発行)
越谷市史編さん室編『越谷ふるさと散歩(下)』越谷市史編さん室(昭和55年4月30日発行)
庚申懇話会編『日本石仏事典(第二版新装版)』雄山閣(平成7年2月20日発行)
日本石仏協会編『石仏巡り入門―見方・愉しみ方』大法輪閣(平成9年9月25日発行)
日本石仏協会編『新版・石仏探訪必携ハンドブック』青砥書房(2011年4月1日発行)
外山晴彦・『サライ』編集部編『野仏の見方』小学館(2003年6月10日発行)

追記

今年度(2023年度)の文化財パトロールの様子が、2023年5月16日付の「東部よみうり」に掲載されました。