2023年4月13日。越谷市郷土研究会が主催する文化財パトロールに参加した。今回調査したのは、越谷市花田(はなた)地区。西円寺とスナッカラの地蔵など、3箇所19基の石仏や石塔を巡った。

文化財パトロール|概要

文化財パトロール

NPO法人・越谷市郷土研究会では、平成17年(2005)から越谷市内にある石仏や石塔の現状調査(文化財パトロール)を毎年、行なっている。今年度(令和5年度)は増林地区南部。増林地区南部を五つの区域に分け、五、六人で編成された班ごとに受け持ちの区域を調査した。

石仏調査開始

西円寺|入口

今回、私が配属されたのは花田地区。調査員は 5人。午前9時。花田一丁目にある西円寺(さいえんじ)の入口で待ち合わせ。班長の尾川(おがわ)氏が、本日の調査箇所を説明。まずは西円寺の石仏と石塔の現状を調べた。

西円寺

西円寺|越谷市花田

西円寺は真言宗の寺院。境内には、本堂・薬師堂・墓地・集会所、入口脇に稲荷社がある。調査対象は、12基の石仏と石塔。

稲荷社の文字塔

稲荷社|西円寺

稲荷社では、2基の文字塔を調べた。
 
『越谷ふるさと散歩(下)』によると、2基の文字塔は、もともとは西円寺前の路傍にあったが、「昭和54年(1979)西円寺境内の一角に新造の石垣で囲まれた稲荷神社の境内地に移された」(※1)という。

※1 越谷市史編さん室編『越谷ふるさと散歩(下)』越谷市史編さん室(昭和55年4月30日発行)「元荒川の河道跡と花田西円寺」112頁

猿田彦文字庚申塔

猿田彦文字庚申塔

自然石の正面中央に「猿田彦大神」(さるたひこおおかみ)と刻まれた庚申塔。江戸末期・安政5年(1858)造立。
 
上部の左右には雲にのった「太陽」と「月」が陽刻されている。脇銘は「天下泰平」「風雨順時」「真斎寿敬書」とある。
 

裏面

裏面

裏面には「安政五戊丑年十一月吉祥日」と刻まれ、その下に、願主と38人の名前のほか、石工(いしく)の名前が見える。

「天満大自在天神」文字塔

「天満大自在天神」文字塔

「天満大自在天神」と刻まれた笠付き角柱型の文字塔。江戸後期・寛政12年(1800)造立。正面中央の主銘は「天満大自在天神」(※2)。脇銘は「天下泰平」「国土安全」。台石には「氏子」「講中」「三十四人」と刻まれている。

※2 越谷市郷土研究会の加藤幸一氏は「天満大自在天神」について、同会・秦野秀明氏の論考として「『天満大自在天神』とは菅原道真に対しての『神号』。『大自在天』(シヴァ神)も『牛に乗る』という共通点から『大自在天』を選んだと推測される」という話を「増林地区の石仏石塔」(※3)の中で紹介している。

※3 加藤幸一「増林地区の石仏石塔」平成11・12年度調査/令和4年改訂(越谷市立図書館蔵)旧花田村の石仏「西円寺」109頁

側面

側面

左側面は「寛政十二庚申歳」、右側面には「九月吉祥日」とある。

刻経塔

刻経塔

「大随求陀羅尼」(だいずいぐだらに)が梵字で刻まれた刻経塔(こくきょうとう)。江戸中期・明和元年(1764)造立。石塔型式は笠付き角柱型。

大随求陀羅尼

梵字文

石塔の全面(四面)に梵字で大随求陀羅尼(だいずぐにだらに)が、びっしり刻まれている。「大随求」(だいずいぐ)は大随求菩薩のこと。密教における菩薩の一尊。観音菩薩の変化身とされる。
 
陀羅尼(だらに)は真言(しんごん)と同じ「呪文」の意だが、一般に「真言」は短い呪文、「陀羅尼」は長い呪文として区別される。
 
越谷市郷土研究会・顧問の加藤幸一氏は、この刻経塔について次のように解説している。

「大随求陀羅尼」の呪文の梵字文が刻まれた石塔はとても珍しい。古来より、この長い梵字文を書き写し携帯すれば莫大なご利益を受け、他人がこの長い梵字の呪文を唱えているのを耳にするだけでもさまざまな苦難が免れるといわれている。

※4 加藤幸一「増林地区の石仏石塔」平成11・12年度調査/令和4年改訂(越谷市立図書館蔵)旧花田村の石仏「西円寺」109頁

「増林地区の石仏石塔」は越谷市郷土研究会のホームページで閲覧可能。以下 URL を示す。加藤氏が書き写した「大随求陀羅尼」の梵字文も見ることができる。
http://koshigayahistory.org/220815_sekibutsu_mashibayashi.pdf

笠|

笠の部分に刻まれている梵字は、正面が「アー」、裏面に「アク」、左側面は字「ア」、右側面に「アン」

台石

台石

台石の銘文は、正面に「于時明和元年」「甲申十二月日」、左側面に「為法界萬霊也」「謹言」、右側面には施主の名前が確認できる。

供養塔

供養塔は念仏供養塔が1基、月待供養塔(十九夜塔)が 4基。

念仏供養塔

念仏供養塔

鞘堂に安置されているのは、阿弥陀如来立像が浮き彫りされた念仏供養塔。石塔型式は舟型。江戸前期・寛文6年(1666)造立。

阿弥陀如来

阿弥陀如来立像

正面中央の主尊は阿弥陀如来。最頂部の三種類の梵字は阿弥陀三尊をあらわす。中央の「キリーク」は阿弥陀如来、向かって左の「サク」は勢至菩薩、右の「サ」は観世音菩薩。
 
脇銘は、「奉造立 阿弥陀如来 念仏講中 人数四十人 二世安楽処」「寛文六年丙午十一月拾五日」「花田邑」「結衆中」「敬白」

十九夜塔|万延二年

十九夜塔|万延二年

江戸末期・万延2年(1861)の十九夜塔。石塔型式は駒型。主銘は「十九夜念佛供養」。脇銘は「萬延二辛酉年」「二月吉辰」
 
最頂部に浮き彫りされているのは主尊の如意輪観音。蓮台(れんだい)に座り、光背が描かれている。顔の部分は摩耗していて表情は確認できない。

十九夜塔|文政元年

十九夜塔|文政元年

江戸後期・文政元年(1818)造立の十九夜塔。石塔型式は駒型。主銘は「十九夜念佛供養」。脇銘は「文政元寅九月吉日」「女人講中」

主尊

主尊

最頂部に座像の主尊が陽刻されているが、劣化によって、何の仏かは分からない。一般的には十九夜塔の主尊は如意輪観音だが、この主尊は如意輪観音とは像容が違うようだ。

十九夜塔|宝永七年

十九夜塔|宝永七年

江戸中期・宝永7年(1710)造塔の十九夜塔。石塔型式は舟型。正面中央に如意輪観音座像が浮き彫りされている。脇銘は「拾九夜念佛」「宝永七庚寅八月吉日」。最下部(如意輪観音の下)に、「供養講中二世安楽攸」「龔言」(※5)とある。

※5 越谷市郷土研究会・顧問の加藤幸一氏によると「『龔言』(きょうげん)とは『謹言』という意味」という。(出典)加藤幸一「増林地区の石仏石塔」平成11・12年度調査/令和4年改訂(越谷市立図書館蔵)旧花田村の石仏「西円寺」110頁

十九夜塔(?)明和五年

如意輪観音が刻まれた石塔

如意輪観音が浮き彫りされた舟型の石塔。江戸中期・明和5年(1768)造立。脇銘は「明和五戊子」「正月吉日」
 
如意輪観音の左側(石塔に向かって右側)の部分が、はがれ落ちてしまって、銘文は確認できない。
 
如意輪観音は十九夜塔の主尊であり、他の十九夜塔といっしょに並べられていることから、この石塔も十九夜塔かもしれない。

参考記事|越谷市内の月待塔

庚申塔

庚申塔

庚申塔は全部で 6基。文字塔が 4基、主尊が刻まれているものが 2基。

文字庚申塔|文久3年

文字庚申塔|文久三年

江戸末期・文久3年(1863)の文字庚申塔。石塔型式は兜巾型(ときんがた)。正面中央の主銘は「庚申塔」。最頂部には雲にのった「太陽」と「月」、下部には「三猿」が陽刻されている。

側面

側面

左側面の脇銘は「文久三癸亥年」「三月中浣日建」(※6)。右側面には「世話人」と刻まれ、男性7人の名前がみえる。

※6 越谷市郷土研究会・顧問の加藤幸一氏によると「『中浣』(ちゅうかん)とは『中旬』の意味」という。(出典)加藤幸一「増林地区の石仏石塔」平成11・12年度調査/令和4年改訂(越谷市立図書館蔵)旧花田村の石仏「西円寺」110頁

台石

台石

台石には「女講中」(おんなこうじゅう)と刻まれている。右側面に、「とよ」「りよ」「はつ」「つね」「とめ」など、28人の女性の名前がみえる。「女講中」で建てた庚申塔は珍しい。

文字庚申塔|寛政12年

文字庚申塔|寛政12年

江戸後期・寛政12年(1800)の文字庚申塔。石塔型式は駒型。主銘は「青面金剛」。脇銘は「寛政十二庚申年」「九月吉祥日」

女人講中の銘

銘文|女人講中

「女人講中」(※7)「拾七人」の銘があることから、この庚申塔も女性だけ(女人講中=女性の庚申講の仲間17人)で建てたもの。

※7 ※女人講(にょにんこんう)とは、女性どうしで構成される集まりのこと。信仰や親睦の場であった。講中(こうじゅう)とは、講の仲間のこと。

参考|越谷市内の女性だけで建てた石仏

2021年に「越谷市内の女性だけで建てた石仏」という論考を発表しました。西円寺の二基の庚申塔も紹介しています。

「越谷市内の女性だけで建てた石仏」は越谷市郷土研究会のホームページで閲覧可能。以下 URL を示します。
http://koshigayahistory.org/r03_02_k_sudoh.pdf

文字庚申塔|文政7年

文字庚申塔|文政7年

江戸後期・文政7年(1824)の文字庚申塔。石塔型式は兜巾型(ときんがた)。主銘は「庚申塔」。最頂部に雲にのった「太陽」と「月」。左側面の脇銘は「文政七甲申年」。右側面には「十月吉祥日」と刻まれている。

文字庚申塔|天保14年

文字庚申塔|天保14年

江戸後期・天保14年(1843)の文字庚申塔。石塔型式は駒型。主銘は「庚申塔」。脇銘は「天下泰平」「五穀成就」。最頂部に雲にのった「太陽」と「月」が陽刻されている。右側面には「天保十四卯三月□□」とある。

文字庚申塔|安永7年

文字庚申塔|安永7年

江戸中期・安永7年(1778)の文字庚申塔。石塔型式は角型。主銘は「庚申供養塔」。脇銘は「安永七戊戌天」「二月吉祥日」「越谷領華田邑」「講中廿一人」

道標付き文字庚申塔

道標付き文字庚申塔

道しるべが記されている文字庚申塔。江戸中期・寛延3年(1750)造立。石塔型式は隅丸型。主銘は「庚申供養」。脇銘は「寛延三庚午七月吉日」「講中二十人」「花田村」
 
上部の中央に浮き彫りされた地蔵菩薩像。両脇に「右江戸道」「左庄内道」と刻まれている。
 
西円寺の石仏調査はこれで終了。

後半