社殿前

山王日枝神社|越谷市相模町

社殿は少し高い場所に鎮座している。鳥居前の石段の両脇に石灯籠、石段上の両脇で、神使(しんし)の石猿が二体、しゃがんで、こちらを見ている。参道の右手には手水舎(※7)がある。

※7 手水舎は、「ちょうずや」のほかに、「てみずや」「てみずしゃ」「ちょうずしゃ」などと呼ばれているが、本記事では「ちょうずや」で統一する。

手水舎

手水舎

手水舎(ちょうずや)は銅板葺き屋根。手水鉢(ちょうずばち)は、江戸後期・嘉永6年(1853)寄進。正面に「奉納」の文字と、右三つ巴(みぎみつともえ)の家紋が刻まれている。側面には、寄進者名と「嘉永六年」「当所」の文字が確認できる。

三の鳥居

三の鳥居|朱塗りの両部鳥居

拝殿前の三の鳥居は、一の鳥居と同じ、朱色に塗られた木造の両部鳥居(りょうぶどりい)。本柱の台石に「氏子中」「安政四年」「丁巳八月」「吉旦勤建」とあり、「再建世話人」として九人の名前(※8)が刻まれているので、この鳥居は、江戸末期・安政4年(1857)に再建されたものと思われる。

※8 世話人…秋山六郎左衛門・山田平三郎・山崎新左衛門・池之谷□左衛門・池之谷荘藏・水野彦左衛門・水野甚右衛門・秋山久右衛門・秋山雄一郎

狛犬

拝殿の前でにらみをきかせている狛犬は昭和56年(1981)建立。台石に「昭和五十六年」「十月吉日建立」の銘と、総代二名の名前が刻まれている。

阿形の狛犬|玉取り

阿形の狛犬|玉取り

拝殿に向かって右側で、口を開けているのは「阿形」(あぎょう)の狛犬。左前足で玉を押さえている姿は「玉取り」と呼ばれる。

吽形の狛犬|子取り

吽形の狛犬|子取り

拝殿に向かって左側で、口を閉じているのは「吽形」(うんぎょう)の狛犬。右前足で子どもの狛犬を押さえている姿は「子取り」と呼ばれている。

力石

力石

吽形(うんぎょう)の狛犬の横、切り株の上に、卵形の力石(ちからいし)が置かれている。重さや奉納者、奉納年代を示す銘文などは確認できない。

石灯籠

石灯籠

阿形(あぎょう)の狛犬の裏手に、石灯籠が一基建っている。江戸後期・文政7年(1824)建立。竿の裏面に「文政七年甲申二月廿五日建」「厳願主」「江戸本所村井氏」とある。竿の表面には「自一降人界古令仰厥風」と刻まれているが、意味は分からない。

社殿

社殿|山王日枝神社

社殿は、手前が拝殿、奥が本殿の権現造り。本殿の周囲は瑞垣(みずがき)で囲われている。

拝殿

拝殿

拝殿は銅葺きの流れ造り。正面の屋根を前方に延ばして向拝(※9)にしている。

※9 向拝(こうはい)…社殿や仏堂で、屋根を正面の階段上に張り出した部分。参拝者の礼拝する所。階隠(はしがく)し。御拝(ごはい)ともいう。(出典)JapanKnowledge(https://japanknowledge.com)「向拝」デジタル大辞泉 (2023年7月9日閲覧).

向拝の彫刻

向拝の彫刻

向拝に彫られた龍や木鼻(※10)に彫られた獅子も見応えがある。こうした彫り物からも大社だった古がしのばれる。

※10 木鼻(きばな)…社寺建築で、頭貫(かしらぬき)・肘木(ひじき)・虹梁(こうりょう)などの端が柱の外側に突出した部分。握り拳や象・獅子などにかたどった彫刻などが施される。(出典)JapanKnowledge(https://japanknowledge.com)「木鼻」デジタル大辞泉 (2023年7月9日閲覧).

本殿

本殿 |山王日枝神社

銅板葺きの本殿は、瑞垣(みずがき)に囲われていて、中をうかがうことはできないが、杉木立を背にしている姿は神々しい。瑞垣は下部が石垣で上部が木の柵(さく)になっている。

石板

石板

石垣に、木枠にはめられた石板が埋め込まれていて、「神田今川橋 黒崎仙太郎」「日本橋中洲 井上直次郞」「神田今川橋 生稲源兵衛」「深川平富町 渡辺孫左衛門」「会所 鈴木 定四郎」の地名と名前のほか、「明治四拾□□」「第拾月□□」の文字が読みとれる。
 
もしかしたら、瑞垣を寄進した人たちの名前かもしれない。

続いて、社殿西側の風景を紹介していく。

社殿西側の風景