越谷市相模町にある大相模不動尊大聖寺で毎年9月4日に行なわれる梨市。徳川家康が大聖寺で関ヶ原の戦いの戦勝祈願をした日を記念して始まったと伝えらている。隆盛を極めた梨市も時代とともに衰退。伝統を絶やしてはいけないと立ち上がったのが梨市を守る会だった。

はじめに

本記事は、「大相模不動尊 梨市を守る会」のAさん(※1)への聞き取り取材と、越谷市郷土研究会顧問・加藤幸一氏の論考「大聖寺の九月四日の梨市と家康の戦勝祈願」(※2)を元に作成した。

※1 Aさん…昭和32年(1957)生まれの男性。本人の申し出により仮名にした。「オレは顔や名前を出すほどの人間じゃないから勘弁してよ」(Aさん談)

※2 加藤幸一氏の論考「大聖寺の九月四日の梨市と家康の戦勝祈願」は、越谷市郷土研究会のホームページで閲覧可能。URL を次に示す。http://koshigayahistory.org/150930_d_i_kk.pdf

梨市の歴史

大聖寺の梨市

1600年(慶長5年)9月4日(旧暦8月4日)。徳川家康が、関ヶ原の戦いの戦勝祈願を大聖寺で行なった。このとき家康は自分の刀を大聖寺に奉納した。その刀(家康公奉納の太刀)は現在も寺宝として大聖寺に保存されている。

家康公奉納の太刀

家康公奉納の太刀

上の写真(※3)は、大聖寺の寺宝・家康公奉納の太刀(たち)。室町時代の名工とうたわれた備前長船佑定(びぜんおさふねすけさだ)の作。

※3 写真の家康公奉納の太刀は、2017年(平成29年)9月5日、12年に一度、酉年に催される酉年御開帳(とりどしごかいちょう)で、特別公開されたものを許可を得て撮影したもの。禁転載。

梨市のはじまりは大会式

護摩祈祷

大聖寺のご本尊・不動明王のご加護もあって、徳川家康は祈願通りに関ヶ原の戦いで勝利し、1603年(慶長8年)、征夷大将軍となった家康は、江戸に幕府を開き、270年にわたる泰平の世を迎えた。
 
大聖寺では、江戸時代、家康が戦勝祈願をしたとされる旧暦8月4日に、毎年、大会式(おおえしき)と呼ばれる法会(ほうえ)が行なわれるようになった。
 
大会式が行なわれる旧暦8月4日には、市(いち)も立ち、「泰平の世になって、戦なし、災いなし」という縁起を担いで、梨農家や露天商が梨(なし)を売ったのが、梨市の始まり、と言われている。
 
明治時代、暦が改暦されたさいに、梨市の日程も旧暦8月4日にあたる新暦9月4日に改められ、現在に至っている。

梨市の盛衰

梨市の露店

江戸時代から続く大聖寺の梨市。「戦後、昭和20年代から30年代にかけては、越谷駅から臨時バスも出て、乗り切れなかった参拝客たちが、駅から大聖寺まで列をなして歩いた」「門前や境内だけではなく沿道にも見渡すかぎり露店が立ち並んだ」という話も伝わっている。
 
Aさんの話によると、

梨市を守る会のAさん

オレが子どものころ(60年前)も、そうとうなにぎわいだったよ。梨以外にも射的とかクジとか子ども相手のテキ屋(※4)も出てね、そりゃあ楽しかったよ。

※4 露天商のこと。縁日などで品物を売る業者。

かつては相撲大会も

越谷市郷土研究会・顧問の加藤幸一氏によると「かつては梨市翌日の五日に、地元の若者たちによって相撲大会を催す習わしもあった。相撲は戦後になっても何年か続けられたが、いつしかすたれてしまった」(※5)とのことである。

※5 「大聖寺の九月四日の梨市と家康の戦勝祈願」(加藤幸一)

起死回生!カラオケ大会

大聖寺山門

隆盛を極めた梨市も、昭和50年(1975年)を過ぎたころから、しだいに陰りが見え始め、人出もどんどん減ってきた。露店の数も激減。梨市は、さみしいものとなってしまった。
 
なんとかしなければ、と、地元の有志たちが相談し、当時、カラオケがブームになっていたこともあり、昭和56年(1981年)の梨市の日(9月4日)に、大聖寺の境内に舞台を設営。カラオケ大会を開いたところ、これが大当たり。
 
遠のいていた人出も年を追うごとに回復していった。以降、カラオケ大会は梨市の目玉として今も続いている。

ぴんころ地蔵

ぴんころ地蔵

大聖寺の境内に、カラオケのマイクを持った、ふくよかなお顔のお地蔵様がいらっしゃるが、これは、大聖寺のカラオケ大会30周年を記念して、不動梨の会が、平成23年(2011年)に奉納したぴんころ地蔵尊。大聖寺の人気スポットにもなっている。
 
カラオケ大会のおかけで梨市にも活気が戻ったように見えた。



ところがね……と、Aさんが話をしてくれた。

人出は回復したと思われたが…

梨市を守る会のAさん

たしかに梨市に人は戻ってきたんだけど、ほとんどが、カラオケ目的。カラオケ大会は夕方からなので、それまでは境内の人出もまばら。露店の数も減ってきちゃってさ。


梨市なんだかカラオケ大会なんだか分からなくなってしまった。梨を売るお店もAさんのお父さんの露店だけになってしまった。ちなみにAさんもお父さんも露天商。
 
このままでは梨市本来の伝統が途絶えてしまう……。

梨市を守る会の発足

梨市を守る会の露店

梨市の将来を危惧したAさんのお父さんが中心になって「梨市を守る会」を発足。梨市本来の伝統を守ろうと、活動を続けた。

梨市が開かれる前には、梨を大聖寺に奉納。露店に並べる梨を大聖寺の本堂に積み上げ、大聖寺のお坊さんが、厄除けの祈願をしてくれる。そのありがたい梨を参拝者に届ける。
 
Aさんのお父さんの尽力によって、梨の露店は、今も守り続けられている。

梨の露店は終わらせない

梨

今、梨の露店は、Aさんが継いでいる。

梨市を守る会のAさん

いま、オレが梨の露店をたたんじゃったら、梨市の伝統は終わりだからねぇ。おやじたちにももうしわけないし、オレが子どものころ、梨市に並ぶ露店にワクワクしたあの気持ちを今の子どもたちにも味わってもらいたいしね。


Aさんは笑顔で語ってくれた。

梨市の灯は消えず

梨市の梨

梨市を守る会のAさん

オレは、この商売、テキ屋が大好きなんだよ。こんないい商売はないよ。お祭りに来た人たちがみんな笑顔で帰っていく。その笑顔を見ているだけで、この世界(テキ屋家業)に入ってよかったと思うよ。


後継者が育つまで梨市の露店はオレが守る、と、Aさん。
 
江戸時代から続く大聖寺の梨市の伝統は、これからもAさん(梨市を守る会)の心意気によって、後世に伝えれられていくことだろう。

梨市の梨で災いなし

梨市で買った梨

上の写真は、今年(2022年)の梨市で買った梨。「今年の梨はとくに甘くてうまいよ」と、 Aさんに言われたが、ほんとに甘くてみずみずしかった。これで「災いなし、ケガなし、病気なし」
 
ありがたや、ありがたや。

補足

梨市の看板

最後に大聖寺の梨市のおさらいを
 
梨市は毎年9月4日に行なわれるが、あくまでも「大会式」(※6)が本義。大会式(おおえしき)には本堂で護摩供養も執り行なわれる。秋の大祭には多くの参拝者でにぎわったので梨を売る露店が並んだことから梨市(なしいち)と呼ばれるようになった。

※6 大会式(おおえしき)…重要な法会(ほうえ)。 徳川家康が関ヶ原の戦いの前に大聖寺で戦勝祈願を行なった日(旧暦8月4日)を記念して執り行なわれる法会。秋の大祭。護摩祈祷は一般の人も参加できる。一日4回(事前申込・要祈祷料)

大会式(秋の大祭)に花を添えるのが露店やカラオケ大会であって、カラオケ大会をやる日が梨市なのではない。「この本末は転倒しないでほしいよね」と、梨市を守る会・Aさんからの伝言を最後に伝えておく。

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