越谷市相模町にある山王日枝神社(さんのうひえじんじゃ)の猿像をはじめ境内の風景などを現地で取材した写真とともにお伝えする。場所は元荒川に架かる不動橋の東250メートル、旧吉川道(奥州古道)沿いにある。

由緒

山王日枝神社の入口|越谷市相模町

日枝神社(ひえじんじゃ)は、江戸時代までは山王社(さんのうしゃ)と称された。
 
創建年代は、つまびらかでないが、江戸後期に幕府が編さんした地誌『新編武蔵風土記稿』「西方村」の項に「山王社 村の鎮守なり」(※1)とあることから江戸後期には鎮座していたと思われる。今も地元では「さんのうさま」(山王様)と呼ばれている。

※1 『新編武蔵風土記稿 第十巻(大日本地誌大系)⑯』雄山閣(平成8年6月20日発行)「西方村」p.171.

歴史

山王日枝神社の境内|越谷市相模町

もとは、東光院・利生院・神王院・安楽院・薬王院・観音寺の六寺院をおさめていた大きな社だったが、江戸時代に、利生院・安楽院・薬王院・観音寺が大聖寺に移され、神王院は廃絶した。山王社を管理していた別当(べっとう)の東光院は、明治初年の神仏分離(※2)によって廃寺となった。

※2 神仏分離(しんぶつぶんり)…明治初年に維新政府が天皇の神権的権威の確立のためにとりいれた神道保護と仏教抑圧のための宗教政策。(出典)JapanKnowledge(https://japanknowledge.com)「神仏分離」世界大百科事典 (2023年7月8日閲覧).

また、『埼玉の神社』(※3)よると、山王日枝神社の神職をつとめている家の先祖は「武田家の残党で、武田勝頼の一子『せんとくまる』を奉じて当所に落ちて来たと伝える」いう。

※3 埼玉県神社庁神社調査団編『埼玉の神社(北足立・児玉・南埼玉)』埼玉県神社庁(平成10年3月31日発行)「日枝神社」p.1200.

祭神

境内の案内板によると「明治初年(1868)に山王社は日枝神社と改称、明治40年(1907)同村の八幡神社、稲荷神社、愛宕社、天神社などを合祀している、現在は大山咋命(※4)、素盞嗚尊(すさのうのみこと)菅原道真(ふじわらのみちざね)大己貴命(おおくにぬしのみこと)など15柱を祭神として祀っている」という。

※4 大山咋命(おおやまくいのみこと)は、日枝神社・山王社の主祭神。

見どころ|猿像

山王日枝神社の猿像|越谷市相模町

山王日枝神社の見どころのひとつは二体の猿像(石猿=せきえん)。拝殿前にある石段の両脇で、二体のお猿さんが、参詣者を出迎えてくれる。造立年代はわからない。

雌猿

/石猿|雌

向かって右側にいるのは雌猿。膝の上に子猿を載せて押さえつけているように見える。顔の部分が劣化しているので判断しかねるが、子猿ではなく邪鬼を押さえつけているようにも見えるが、ここでは「子猿」としておく。

雄猿

石猿|雄

向かって左側は雄猿。腰を下ろしてこちらを向いている雄猿は、なんとも愛嬌のある顔をしている。

山王社と猿

日枝神社・山王社・日吉神社など日吉大社系の神社は、山王権現(さんのうごんげん)とか山王様(さんのうさま)と呼ばれ、稲荷社のキツネと同様、サルが神使(しんし=神のお使い)とされている。どうしてサルが山王権現の神使となったのかは、よくわかっていないようだ。
 
ちなみに、全国に約3,800社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である日吉大社(滋賀県大津市)では、神の使いである猿は「神猿」(まさる)と呼ばれ、魔除けの象徴とされている。

それでは参道入口に戻って、境内の風景を順番に紹介していく。

境内の風景