伏越
水神宮から新方川(にいがたがわ)を望む。新方川は千間堀(せんげんぼり)とも呼ばれている。正面中央(新方川左岸)に見える施設は制水ゲート。
ゲートのうしろから流れてくる逆川は、ゲート下のコンクリート管を通って新方川の下をくぐり(伏せ越して)、こちら側(新方川右岸)に流れてくる。サイフォンの原理を利用していることから伏越は、逆サイフォンとも呼ばれる。
上千間堀と下千間堀
「かつては千間堀(現在の新方川)が、葛西用水(逆川)の下を伏せ越して、下流に流れていた。当時の伏せ越しの地点(現在の定使野橋あたり)から上流は「上千間堀」(かみせんげんぼり)、下流側は「下千間堀」(しもせんげんぼり)と呼ばれていた」(秦野氏の解説)
現在の「伏越」は、「河川激甚災害対策特別緊急工事」として新方川と葛西用水(逆川)の潜る上下を逆転させて昭和60年(1985)に竣工しました。
上千間堀と下千間堀については秦野氏が「越谷市増林地区における『新方川の流路変遷」で詳しく論考している。リンク先を以下に示す。
http://koshigayahistory.org/200424_niigatagawa_h_hatano.pdf
かつて定使野橋はなかった
ツアーに同行した越谷市郷土研究会の顧問・加藤幸一氏が、「昔は、新方川(せんげん堀)が現在の定使野橋付近で、樋管(ひかん)を通って、逆川の下をくぐって流れていた」という話をしてくれた。樋管は水路を通すトンネルのこと。
上の写真は、当時の樋管が埋まっていた場所を指さしながら教えてくれている加藤氏。
地元ではこの樋管が埋まっているあたりを『樋管』と呼んでいて、当然そこには橋はありませんでした。地下にあった樋管が、現在は千間堀の大きな川に変貌し、その川の上に定使野橋が架けられることになったのです。
制水ゲート
上の写真は定使野公園内にある下流側制水ゲート。右手前方(新方川左岸側)に小さく見える施設は上流側制水ゲート。両施設は、伏越を通る用水のゴミや落ち葉などを取るために設けられている。
下流側制水ゲートの下から吐き出された逆川は、定使野公園内を通って南へ流れていき、産業道路とぶつかる逆川橋付近から南西に流下していく。
今回のツアーは、これですべての行程を終えた。
解散|定使野公園
12時30分。ガイドツアー責任者をつとめたNPO法人越谷市郷土研究会の副会長・秦野氏のあいさつのあと、定使野公園で解散となった。所用時間およそ 4時間。歩いた距離は約 6キロ。歩数およそ 9,000歩。
第518回越谷市郷土研究会史跡めぐり兼越谷リバーウォーク(Bコース前半)ガイドツアーは、これにて終了。
帰路|小田急弥栄団地入口バス停
参加者の大半が、北越谷駅東口までバスで帰ることになった。定使野公園の最寄の停留所「小田急弥栄(やさか)団地入口」(茨急バス・朝日バス)でバスに乗車。
北越谷駅東口
終点の北越谷駅東口に到着。みなさんおつかれさまでした。
秦野氏と福田氏
今回のツアーの案内役をつとめた秦野氏と、名アシスタントぶりを発揮した福田氏とのツーショット写真。上の写真の左が、秦野氏、右が福田氏。お二人のおかげで、ツアーも無事に終えることができました。ありがとうございました。
後記
今回のコースは、葛西用水中土手から逆川緑道を歩いたので、リバーウォークの趣旨である「水郷こしがやの豊かな自然にふれる」ことができた。緑道沿いの街路樹も紅葉を迎えていたので紅葉狩りも楽しめた。特別に拝観させていただいた光明院の薬師如来座像も神々しかった。
関連記事
今回のガイドツアーは、越谷リバーウォークBコース前半でしたが、2022年11月9日に行なわれたBコース後半の様子は下記の記事にまとめてあります。
2022年11月9日・水曜日。越谷市郷土研究会〈地誌研究倶楽部〉巡検兼越谷リバーウォークガイドツアーに同行。越谷駅東口を起点に葛西親水緑道・東越谷緑道・新方川緑道などを歩いて、遺跡や石仏などを巡った。
参考文献
本記事を作成するにあたって、石仏や石塔の年代や碑銘については、越谷市郷土研究会・顧問の加藤幸一氏の調査報告書 ◇「大沢町・越ヶ谷町の石仏」平成13年度調査/平成31年7月改訂(越谷市立図書館所蔵)◇「新方地区の石仏」平成7・年度調査/平成31年1月改訂(越谷市立図書館所蔵)と照らし合わせた。
関連リンク
謝辞
本記事をまとめるにあたっては、越谷市郷土研究会の副会長・秦野秀明氏の指導を仰ぎ、資料も提供していただいた。秦野氏には心からお礼申しあげます。