地蔵堂

地蔵堂

ここは地蔵堂(じぞうどう)と呼ばれている。

案内役・秦野氏

地蔵堂は過去二回移転していて、現在の場所は三箇所目になります。(※2)

◇天保十三年(1842)四月以前:「逆川右岸」◇天保十三年(1842)四月以降:「逆川右岸」南へ13間14尺5寸(約25m)移築しました。◇「?年」から現在まで:「逆川」左岸へ移築しました。

※2 「平成27年度 大沢地区コミュニティ推進協議会 大沢宿の歴史を学ぶまちあるき」レジュメ『地蔵堂」の場所の変遷

地蔵橋地蔵尊

地蔵橋地蔵尊

堂舎の中には、地蔵尊が陽刻された石塔が安置されているが、堂舎の壁に貼られた説明書きによると「この地蔵橋地蔵尊は、江戸中期・八代将軍吉宗の代、元文2年(1737)以前から、安産・子育てのお地蔵様として信仰されてきた」とのことである。

石塔群

石塔群

鞘堂の下には、江戸後期・天保7年(1836)の馬頭観音文字塔のほか、六十六部供養塔、上部が欠けた板碑などが並べられているが、どれも劣化が進んでいて、主尊や碑銘が確認できないものが多かった。

大沢町でいちばん古い板碑

板碑

案内役・秦野氏

上部が欠けている板碑(※3)がありますが、この板碑が建てられたのは、今から528年前、戦国時代の明応3年(1494)。大沢町ではいちばん古い板碑です。

※3 板碑(いたび)とは、鎌倉・室町時代にかけて盛んに造られた石造りの供養塔=卒塔婆(そとば)のこと。板状の平たい石で造られたことから板碑と呼ばれている。板石塔婆(いたいしとうば)ともいう。

移動|歩道橋

歩道橋

地蔵堂をあとに、地蔵橋の東詰(逆川の左岸沿い)に架けられている歩道橋を渡る。歩道橋の下を通っているのは越谷野田線(県道19号)。

歩道橋からの風景

歩道橋からの風景

歩道橋の上から周囲を望む。空は秋晴れ。逆川緑の街路樹が紅葉を迎えはじめている。

地蔵橋

地蔵橋

歩道橋をおり、地蔵橋脇の人道橋(じんどうばし)を渡って逆川の右岸側に出る。地蔵橋は二番目のチェックポイントになっている。秦野氏が「地蔵橋付近に『よこしこみ』(横シ込)という字名(あざめい)があった」と教えてくれた。

横シ込

案内役・秦野氏

日光道中造成以前の旧大澤村では、利根川が東西に流れていたので、自然堤防が東西に形成され、自然堤防の上に東西の道が形成されました。


案内役・秦野氏

この自然堤防の上に「東西」に形成された道は、旧大澤村の主要道になっていて、この道が「奥州古道」であると推定できます。

奥州古道については秦野氏が「『往古奥州道』と『押立堤』」で詳しく論考している。リンク先を以下に示す。
http://koshigayahistory.org/239.pdf

横シ込の桜

横シ込の桜

※上の写真(横シ込の桜)は越谷市郷土研究会副会長・秦野秀明氏提供

桜の咲く時期、地蔵橋の歩道橋から逆川上流を望むと、桜並木の絶景が楽しめる。地元では「横シ込(よこしこみ)の桜」とも呼ばれているそうだ。

逆川緑道

逆川緑の道

地蔵橋から逆川緑道(逆川緑の道)の右岸を上流に向かって進む。
 
逆川緑道(逆川緑の道)は、起点の古利根堰(ふるとねぜき)から地蔵橋先の伏越(葛西用水元荒川伏越)までの逆川沿いの道を緑豊かな遊歩道として、昭和62年(1987)から平成6年(1994)にかけて整備された。全長約 3.1 キロメートル。多くの市民に親しまれている。
 
100メートルほど歩くと左手に越谷市立大沢小学校が見えてきた。

外池跡|大沢七つ池

案内役の秦野氏が「かつて大沢小学校の北側に、大沢七つ池(※4)のひとつである外池(そといけ)があった」という話をしてくれた。

※4 大沢七つ池(おおさわななついけ)とは、かつて大沢地区の押堀(※5)にあった七つの池。内池・外池・浅間池・八郎兵衛池・観音坊池・嘉右衛門池・しじみ池。昭和40年代までは見られたが、今はすべて姿を消した。押堀とは、大河が決壊したさいに造られた窪地に水が溜ってできた池のこと。

※5 押堀(おっぽり)とは、大河が決壊したさいに造られた窪地に水が溜ってできた池のこと。

大沢七つ池については秦野氏が「『往古奥州道』と『押立堤』」で詳しく論考している。リンク先を以下に示す。
http://koshigayahistory.org/239.pdf

八郎兵衛池跡|大沢七つ池

逆川緑の道

150メートルほど緑道を進むとT字路にぶつかった。

案内役・秦野氏

ここの向こう側、逆川の対岸(左岸)には、大沢七つ池の八郎兵衛池(はちろべえいけ)がありました。八郎兵衛は土地の持ち主の名前に由来しています。40年前、わたしが小学生のころまではありました。

ななまがり

また、このあたりは、逆川が曲がりくねっていたことから、地元では「ななまがり」(七曲がり)と呼ばれている、との解説もあった。

移動|市道

市道

逆川緑の道に別れを告げ、ななまがりのT字路を左に曲がる。さらにまたT字路を左折し、市道を南西に進むと五差路にぶつかった。斜め左の小道を進む。前方に大きな更地が見える。

内池跡|大沢七つ池

内池跡

この更地は、去年(2021年)まであった、越谷市大沢地区センター・越谷市立第1・第2体育館の跡地。施設の老朽化が進んだために、2021年に解体された。

案内役・秦野氏

ここは大沢七つ池でいちばん大きな内池(うちいけ)跡です。施設が解体されて更地になったことで、52年ぶりに、かつての内池の全貌が姿を現わしました。たいへん貴重な光景です。内池では魚も獲れました。ぜひこの光景を目に焼きつけておいていただきたいと思います。


さらに秦野氏は「内池は、名主・問屋を勤めた江澤家の屋敷『内』にあった池」だと、話してくれた。

移動|光明院へ

市道

内池跡地の見学を終えて光明院へ向かう。光明院では今回のツアーの目玉である秘仏・薬師如来像を特別拝観させていただけることになっている。

薬師堂跡地(?)

更地

道の途中、右手(光明院墓地の南側)に、更地になっている一画があった。案内役の秦野氏によると「この更地はかつて光明院の薬師堂があった場所ではないかと推定されます」とのこと。もしかしたらこの場所に安置させれいたかもしれない薬師如来さまと、これから対面できるわけだ。期待が高まる。

光明院山門前

光明院山門前

路地を抜けると足立越谷線(県道49号)にぶつかる。右に曲ると光明院の山門前に出る。

案内役・秦野氏

光明院の参道入り口(日光道中からの)には「石橋」があり、入口の家の屋号は「石橋」です。