辞世の句|墓塔

辞世の句が刻まれている墓塔は四基ある。

辞世の句|筆子建立墓塔

筆子建立墓塔

一基目。江戸後期・天保12年(1841)、筆子中(ふでこちゅう)造塔の墓塔。下段の台石に「筆子中」と刻まれている。
 
筆子とは、江戸時代に庶民の教育機関であった寺子屋の教え子(寺子=てらこ)のこと。筆子中は、筆子一同の意。
 
この墓塔は、寺子屋で学んだ教え子たち(筆子中)が、師匠をしのんで建てた。

辞世の句|側面

辞世の句

右側面(向かって左側)に「降る雪も 面白いもの 死出の旅」と、辞世の句が刻まれている。

辞世の句|筆子建立墓塔

筆子建立墓塔

二基目。江戸後期・文政3年(1820)年建立の自然石墓塔。この墓塔も筆子中によって建てられた。台石に「筆子中」と刻まれている。

辞世の句|側面

辞世の句

右側面(向かって左側)に辞世の句「桐一葉 無理いふましと おもひけり」が刻まれている。

辞世の句|墓塔

墓塔

三基目。江戸中期・延享元年(1744)の墓塔。

辞世の句|側面

辞世の句

左側面(向かって右側)に辞世の句「かせそよく うちハゝいらず ひとねいり」(風そよぐ 団扇〈うちわ〉はいらず ひと寝入り)が刻まれている。
 
『越谷ふるさと散歩(上)』に、照光院の辞世の句が刻まれているこれらの墓塔について、「江戸文化の影響を受けた宿場町の風流な匂いを感じさせる」(※5)とあるが、まさに、言い得て妙。

※5 越谷市役所『越谷ふるさと散歩(上)』越谷市史編さん室(昭和54年8月2日発行)「弘福院と照光院」17頁

辞世の句|墓塔

辞世の句が刻まれた墓塔

四基目。江戸末期・安政6年(1859)建立の墓塔。右側面(向かって左側)に、辞世の句「居ごころの よき学の戸や 秌(秋)の風」が刻まれている。
 
この辞世の句が刻まれた墓塔は、江戸時代、越ヶ谷宿の本陣(大名などが泊まる幕府公認の旅籠=はたご)を代々勤めた福井家の墓地内にある。

【参考】福井猷貞の墓塔

福井猷貞の墓塔

上の写真は、福井家の七代目当主・福井猷貞(ふくい・ゆうてい)(※6)の墓塔。猷貞は本陣などの要職を勤めるかたわら多くの本陣記録や地誌を書き残した。

※6 福井猷貞…江戸中期・明和6年(1769)生まれ、江戸後期・文政5年(1822)病没。享年53。法名は「賢照院泰与猷貞居士」

猷貞が著した地誌『大沢猫の爪』(おおさわ・ねこのつめ)『越ヶ谷瓜の蔓』(こしがや・うりのつる)は、江戸時代の大沢と越ヶ谷を知るうえで貴重な資料になっている。猷貞は『越ヶ谷瓜の蔓』の下書きを執筆中に病没した。

参拝情報

照光院|越谷市大沢

照光院の住所は埼玉県越谷市大沢2-4-6。場所は、東武伊勢崎線・北越谷駅東口から旧日光街道を大沢橋(越谷駅方面)に進んだ200メートル先右手( 地図 )。駐車場は参道横と墓地裏手(北側)にある。

参考文献

本記事を作成するにあたって、引用した箇所がある場合は文中に出典を明示した。参考にした文献は以下に記す。

参考文献

加藤幸一「大沢町・越ヶ谷町の石仏」平成13年度調査/平成31年7月改訂(越谷市立図書館蔵)
『新編武蔵風土記稿 第十巻(大日本地誌大系)⑯』雄山閣(平成8年6月20日発行)
越谷市役所『越谷ふるさと散歩(上)』越谷市史編さん室(昭和54年8月2日発行)
『ときの風~ふるさと大沢今昔物語』大沢地区コミュニティ推進協議会(2018年4月発行)
日本石仏協会編『石仏巡り入門―見方・愉しみ方』大法輪閣(平成9年9月25日発行)
日本石仏協会編『新版・石仏探訪必携ハンドブック』青娥書房(2011年4月1日発行)
庚申懇話会編『日本石仏事典(第二版新装版)』雄山閣(平成7年2月20日発行)