2024年6月6日。越谷市恩間新田(おんましんでん)の石仏と石塔を調査した。稲荷神社を起点に、恩間新田公民館(能満寺)、薬師堂など、五箇所をめぐった。

恩間新田の石仏

恩間新田

恩間新田は、江戸前期の慶安年間(1648-1652)に、恩間村の世襲名主によって開発された。江戸後期には恩間村の持添新田(もちぞえしんでん)になっていたが(※1)、明治4年(1871)に分村し、単一の村(恩間新田村)になった。

※1 江戸後期・幕府が編さんした地誌『新編武蔵風土記稿』「忍間村」(恩間村)の項に、「持添新田あり、そこは慶安二年時の領主糺せり」とある。

持添新田とは、

村人たちによって新しく開墾された小規模な土地のこと。開発当初は、本村の支配下にあるが、やがて、村役人を置いたり、社寺を勧請(かんじん)したりして、一村として独立することが多い。

調査箇所

今回、調査したのは、恩間新田の北西部。
 
五箇所の石仏・石塔を調べた。

  1. 恩間新田稲荷神社
  2. 恩間新田公民館(能満寺跡)
  3. 恩間新田薬師堂
  4. 出羽三山供養塔(路傍)
  5. 道標石塔(路傍)

まずは、恩間新田稲荷神社に向かった。

恩間新田稲荷神社

恩間新田稲荷神社

稲荷神社の住所は、越谷市恩間新田559。獨協埼玉中学高等学校の北300メートル。中堀通り沿いにある。
 
創建の年代は不詳だが、『埼玉の神社』によると、「おそらくは(江戸前期)慶安年間の新田開発の直後のことと思われ、村の発展を祈って、作神(※2)である稲荷社を祀ったものであろう」(※3)という。

※2 作神(さくがみ)とは、農作の守護神。田の神とも呼ばれる。

※3 埼玉県神社庁神社調査団編『埼玉の神社(北足立・児玉・南埼玉)』埼玉県神社庁(平成10年3月31日発行)「恩間新田稲荷神社」1114頁

香取社・稲荷社

香取社と稲荷社の神額

大正2年(1913)に、村境にあった香取社が合祀され、現在は、香取大明神と稲荷大明神が祀られている。

石塔

石塔|恩間新田稲荷神社

恩間新田稲荷神社では、3基の石塔を調べた。

天神文字塔

天神文字塔

鳥居横に並んでいる、四基の石塔・記念碑のうち、向かっていちばん左の石塔は、天神文字塔。正面に「天神社」と刻まれている。年代不詳。石塔型式は角柱型。

台石

台石

台石には「恩間新田」の銘のほかに、寄進者たちの名前が刻まれているが、石塔と台石は年代が違うように見える。
 
この石塔を調査した越谷市郷土研究会の加藤幸一氏も、「この石塔(天神文字塔)と、その下にある台石は、石質が異なるため[中略]別物と思われる」(※4)と、述べている。

※4 加藤幸一「大袋地区の石仏」平成9・10年度調査/平成27年12月改訂(越谷市立図書館所蔵)80頁

石塔|主尊不明

祠型の石塔

天神文字塔の隣にある祠型(ほこらがた)の石塔は、劣化がひどく、正面の主尊などは不明。台石には寄進者七名の名前が刻まれている。

右側面

石塔|右側面

右側面も劣化が激しく、銘などは確認できない。

左側面

石塔|左側面

左側面には建立年代が刻まれていると思われる。上部は判読不能。下部には「十二月建之」と刻まれている。

天神塔?庚申塔?

この石塔について、越谷市郷土研究会の加藤幸一氏は、「『越谷市金石資料集』の天神十五番に載っている石塔(嘉永年間)と思われる」(※5)と、天神塔てあるとしている。
 
『埼玉の神社』には、この石塔は「青面金剛」(庚申塔)と書かれている(※6)

※5 加藤幸一「大袋地区の石仏」平成9・10年度調査/平成27年12月改訂(越谷市立図書館所蔵)80頁

※6 埼玉県神社庁神社調査団編『埼玉の神社(北足立・児玉・南埼玉)』埼玉県神社庁(平成10年3月31日発行)「恩間新田稲荷神社」1117頁

ここでは、「天神塔」「庚申塔」と、ふたつの解釈があることを紹介するにとどめる。

牛頭天王文字塔

牛頭天王文字塔

参道の奥、木の下にある祠型(ほこらがた)の石塔は、牛頭天王(ごずてんのう)文字塔。江戸中期・延享2年(1745)造塔。正面に「牛頭天王神」(※7)と刻まれている。

※7 牛頭天王は、京都祇園社(八坂神社)の祭神。疫病を防ぐ神(厄除けの神)として信仰された。

左側面

脇銘

左側面には「延享二乙丑九月吉日」とある。

その他

境内にあるそのほかの石碑を紹介する。

伊勢参宮記念碑

伊勢参宮記念碑<

牛頭天王文字塔の横にある自然石の石碑は「伊勢参宮記念碑」

奉納石塔

奉納石塔

鳥居の横、主尊不明の石塔の隣にあるのは「奉納石塔」。「奉納 金 □□□円也」の文字がうっすらと読みとれる。年代はわからない。

大典記念碑

大典記念碑

奉納石塔の隣にある自然石の石碑は「大典記念碑」。年代不詳。主銘は「御即位大典表慶記念」。脇銘は「埼玉県神職會□□□」
 
昭和3年(1928)11月10日、京都御所で行なわれた昭和天皇の即位を記念して建てられたものと思われる。
 
恩間新田稲荷神社の調査を終え、次の調査地へ向かった。

次の調査地へ

恩間新田公民館

次の調査地は、恩間新田公民館(能満寺跡)。恩間新田稲荷神社の鳥居を出て、中堀通りを右へ。200メートルほど進むと、前方右手に公民館、その先に、数基の石塔や小祠が見えてくる。