越谷市七左町にある観照院参道の馬頭観音塔群を調べた。調査した石仏を写真とともにお伝えする。
観照院の馬頭観音塔群
調査日は2025年9月13日。調べた石塔は全七基。
- 馬頭母子観音文字塔|宝永7年
- 馬頭観音刻像塔|文政10年
- 馬頭観音刻像塔|享保15年
- 馬頭観音刻像塔|文化3年
- 馬頭観音刻像塔|文化5年
- 馬頭観音刻像塔|享和3年
- 鬼子母神文字塔|寛永5年
それでは順番に見ていく。
馬頭母子観音文字塔
一基目。向かって右端の手前にあるのは馬頭母子観音文字塔。
昭和2年(1927)造塔。石塔型式は駒型。主銘は「馬頭」「母子観世音」。脇銘は「昭和二年□年」「四月二十九日」の文字が確認できる。
馬頭観音文字塔|宝永7年
二基目。後列の右端は馬頭観音文字塔。
江戸中期・宝永7年(1854)造塔。石塔型式は兜巾型(ときんがた)。主銘は「馬頭観世音」。脇銘は「□(※1)永七寅年八月吉日」「中組」のほか、寄進者名が刻まれている。
※1 「□永七寅」の□の部分は読みとれなかったが、宝永7年の干支は「寅」なので、「□永」は「宝永」で間違いないと思われる。
馬頭観音刻像塔|文政10年
三基目。後列の右から二番目は馬頭観音刻像塔。
頭に馬を戴いた馬頭観音座像が陽刻されている。石塔型式は舟型。江戸後期・文政10年(1827)造塔。最頂部に馬頭観音を表わす梵字(種子=しゅじ)「カン」。脇銘は「文政十亥二月吉日」のほか「きの」の文字が見える。「きの」は寄進者名か。
馬口印
馬頭観音は、胸の前で馬口印(ばこういん)を結んでいる。
通常、馬口印と呼ばれる馬頭観音の印相は、人差し指と薬指を伸ばして中指を折る形だが、この馬頭観音座像は、両手の人差し指と中指を伸ばして他の指を握っている。
馬頭観音刻像塔|享保15年
四基目。後列の右から三番目は馬頭観音刻像塔。
主尊に六手合掌型の馬頭観音立像が浮き彫りされている。石塔型式は角型。江戸中期・享保15年(1730)造塔。脇銘は「奉供養観世音」「菩薩為二世安楽」「享保十五庚戌天」「十月十八日」「施主 前谷組」「同行十三人」。前谷組は旧・七左衛門村の小名。
頭部に馬頭
この刻像について、越谷市郷土研究会・顧問の加藤幸一氏は次のように述べている。
観音像の頭部に馬頭らしきものが載せられているので、馬頭観音像と推定できる。多臂(たひ)であるので死馬の供養のための造立ではなく、馬頭観音の信仰を目的として建立した石仏である。
引用元:「出羽地区の石仏」(※2)
※2 加藤幸一「出羽地区の石仏」平成15年度調査/平成28年4月改訂(越谷市立図書館所蔵)「観照院」(8.馬頭観音菩薩像)53頁
馬頭観音刻像塔|文化3年
五基目。後列の右から四番目は、江戸後期・文化3年(1806)造塔の馬頭観音刻像塔。石塔型式は駒型の変形。
上部に馬頭観音座像。胸の前で馬口印(ばこういん/まこういん)らしき印相を結んでいる。石塔の下部には「文化三丙寅」「八月吉日」と刻まれている。
馬頭観音刻像塔|享和3年
六基目。後列の右から五番目は、江戸後期・享和3年(1803)造塔の馬頭観音刻像塔。石塔型式は駒型。
主尊は馬頭観音座像。この彫像も胸の前で馬口印らしき印相を結んでいる。
脇銘
左側面に「享和三癸亥八月□日」と刻まれている。
5基の馬頭観音塔は馬捨て場にあった
越谷市郷土研究会の加藤幸一氏によると、ここにある五基の馬頭観音塔は「もとは七左衛門村と越巻村の境にあった馬捨て場(新川と七左衛門川が交わる北西角地)に建てられていた」(※3)という。
※3 加藤幸一「出羽地区の石仏」平成15年度調査/平成28年4月改訂(越谷市立図書館所蔵)「観照院」53頁
鬼子母神文字塔
七基目。向かって左端は、江戸後期・嘉永5年(1852)造塔の「鬼子母神」文字塔。石塔型式は祠型。
正面上部の主銘は「鬼子母神」(きしもじん)。鬼子母神は、出産・育児の神として崇められている。
左側面
左側面(向かって右側面)の脇銘は「嘉永五壬子年」「八月吉辰日」
右側面
右側面(向かって左側面)には「武蔵国埼玉郡」「七左衛門村」と刻まれている。
かつての場所
この鬼子母神文字塔について、越谷市郷土研究会・顧問の加藤幸一氏は次のように述べている。
もとは七左衛門村と越巻村の村境付近に戦前まであった火葬場(七左町四丁目の南西の隅の綾瀬川に面した地)に建っていた。伝染病で亡くなり火葬された子供達を供養するために鬼子母神を祀ったのである。
引用元:「出羽地区の石仏」(※4)
※4 加藤幸一「出羽地区の石仏」平成15年度調査/平成28年4月改訂(越谷市立図書館所蔵)「観照院」(鬼子母神文字塔)54頁
関連記事
観照院の他の石仏石塔については別記事にしてある。
越谷市七左町の観照院にある庚申塔や馬頭観音塔など石仏と石塔を調査した。当日の様子を写真とともに紹介する。場所は出羽公園多目的広場(野球場)の北東200メートル。七左衛門通り沿いにある。
場所
観照院の住所は、埼玉県越谷市七左町7-278( 地図 )。郵便番号は 343-0851。場所は、谷中通りと七左園門通りが交差する「出羽小学校」交差点から七左園門通りを南西に(出羽公園方面に向かって)400メートル進んだ右手。
参考文献
本記事を作成するにあたっては、関係書籍や調査報告書も参考にした。参考にした文献を以下に記す。引用した箇所については記事中に引用箇所を明記した。
加藤幸一「出羽地区の石仏」平成15年度調査/平成28年4月改訂(越谷市立図書館所蔵)
越谷市役所『越谷ふるさと散歩(下)』越谷市史編さん室(昭和55年4月30日発行)
庚申懇話会編『日本石仏事典(第二版新装版)』雄山閣(平成7年2月20日発行)
日本石仏協会編『石仏巡り入門―見方・愉しみ方』大法輪閣(平成9年9月25日発行)
日本石仏協会編『新版・石仏探訪必携ハンドブック』青娥書房(2011年4月1日発行)