西方日枝神社|山王社
西方日枝神社(にしかた・ひえじんじゃ)に到着。旧・西方村(現・相模町)の鎮守で、江戸時代は山王社(さんのうしゃ)と称した。創建年代は不詳。
二匹の猿
鳥居の両脇には、山王さまの使い(神使=しんし)とされる丸彫り彫刻された二匹の猿が座っている。
日枝神社をあとに、奥州古道(堤土手道)を西に進む。
不動排水機場
70メートルほど歩くと、右手に不動排水機場が見えてきた。不動排水機場は、地元住宅地の浸水被害を未然に防ぐ役割を担っている。
相模町スポット広場|トイレ休憩
不動排水機場を過ぎた右手にあるのは、相模町スポット広場。ここで10分間のトイレ休憩。前方に見える橋は不動橋。相模町スポット広場は、毎年、昭和の日(4月29日)に行なわれる「不動橋こいのぼりフェスティバル」の会場にもなっている。
不動橋
10分間の休憩を終え、不動橋の下をくぐって、土手道(元荒川緑道)に上がる。
不動の渡し跡
※写真は秦野氏提供
上の写真の正面は元荒川、右手は不動橋。江戸時代、現在の不動橋の上流側に、「不動の渡し」と呼ばれる渡し場があった。不動の渡しがあった場所は、大聖寺の北側にあたる。渡し場から大聖寺までは50メートルから100メートルほどの距離だったと思われる。
元荒川緑道を降りて、大聖寺へ向かった。
大聖寺
大聖寺(だいしょうじ)に到着。今回は、東側の赤門から入った。
大相模不動尊として親しまれている大聖寺。由緒記によると、創建は、奈良時代の天平勝宝2年(750)、越谷最古の寺院と伝えられている。不動信仰の中心として栄えた。徳川家康ゆかりの寺としても知られている。
百庚申
赤門の参道両脇に並んでいるのは、江戸後期・天保6年(1835)造塔の百庚申(ひゃくこうしん)。左右に5基ずつ100基の石塔が並ぶ光景は壮観。
喜多向不動
鐘楼堂の裏手にあるのは喜多向不動(きたむきふどう)。二童子を従えた不動明王像のほか、卍亀碑(まんじかめひ)と呼ばれる珍しい石塔も置かれている。
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越谷市相模町にある大聖寺。通称・大相模不動尊。東門に通じる裏参道の両側には「庚申」と刻まれた文字塔が百基並ぶ百庚申をはじめ青面金剛像塔・二猿像・普門品供養塔・馬頭観音文字塔など多くの石塔が立ち並んでいる。石仏ファンには魅力的な撮影スポットにもなっている。