旧別府村
旧・埼玉郡八條領別府村。現在の越谷市東町三丁目
久伊豆神社跡地
T字路を渡った角地に小さな社がある。この地はかつての別府村。江戸時代、この近くに別府村の鎮守・久伊豆神社があった。その後、別府久伊豆神社は、明治40年(1907)に、隣村の千疋伊南理神社(せんびき・いなりじんじゃ)に合祀された。ここにある社は、当時の面影をしのぶように「久伊豆神社」として設置されている。
続いて、久伊豆神社跡地の裏手にある金剛寺に向かった。
金剛寺
10時5分。10番目の見学地・金剛寺に到着。住所は越谷市東町3-354。金剛寺は、真言宗の寺院で、江戸時代は慈眼寺(じがんじ)と称していた。明治期に、近隣の妙音院や東眼寺を合併し、金剛寺と名を改めた。四箇領八十八箇所弘法大師霊場の六十三番札所にもなっている。
二童子庚申塔
山門をくぐった参道右手(六地蔵の隣)に、江戸前期・寛文2年(1662)の庚申塔がある。以前は金剛寺裏手にあったが、平成26年(2014)に、この場所に移された。
これは江戸時代の前期に建てられた庚申塔です。正面の主銘に「奉供養庚申」の文字が確認できます。正面の下部に注目してください。猿ではなく、青面金剛(しょうめんこんごう)の脇侍とされている二童子が刻まれています。よく見かける庚申塔には三匹の猿が刻まれていますが、二童子が刻まれている庚申塔は、たいへん珍しいものです。
太子堂
二童子庚申塔の横手にあるのは太子堂。お堂の前でボタンが咲き始めていた。もともとは隣の四条村の妙音院(現・金剛寺四条東墓地)にあった太子堂を昭和2年(1927)に再建したもの。太子堂には等身大の聖徳太子像が祀られていて、像の中に、体のない頭だけの太子像が胎内仏(※4)として収められている。この頭だけの聖徳太子像が霊験を示したという逸話も残されている。
※4 胎内仏(たいないぶつ)とは仏像の体内に収められた小さな仏像のこと。
移動|東町五丁目
10時15分。金剛寺を出て、南へ向かう。武蔵野線のガード(別府第3ガード)下を抜けて、道なりに進む。