しらこばと水上公園入口|越谷岩槻線

しらこばと水上公園入口|越谷岩槻線

越谷岩槻線の交差点に出た。交差点を越えて直進すると、しらこばと水上公園に着く。しらこばと水上公園は昭和54年(1979)6月30日にオープンしたが、それまでは、見渡すかぎりの田園地帯だった。

この先に軍用飛行場があった

第二次大戦中、終戦の年(昭和20年〈1945〉8月上旬)に、現在のしらこばと水上公園から南南東にかけて、陸軍飛行場が建設された。正式名称はなかったので、地元では「荻島飛行場」などと呼ばれた。戦後を迎え、食料増産の国策にもとづき、軍用飛行場は開拓地に開放された。
 
軍用飛行場を建設するにあたって、農家13軒が強制的に立ち退かされ、近隣住民は勤労奉仕にかり出され、炎天・荒天にかかわらず、突貫工事が行なわれたという。しかも滑走路が短かったために一度も使わることはなかったという話だ。
 
越谷市民として、こういう歴史はぜひとも記憶にとどめておきたい。

幻の荻島飛行場

なお通称・荻島飛行場の歴史については、NPO法人越谷市郷土研究会・顧問の加藤幸一氏が、「戦後六〇年の幻の荻島飛行場」という論考を発表している。この論考は越谷市郷土研究会のホームページで閲覧可能。以下 URL を示す。
http://koshigayahistory.org/357.pdf

共同墓地|烏八臼の墓塔

共同墓地|越谷岩槻線沿い

交差点を右折。しばらく歩くと、越谷岩槻線沿いにブロック塀の共同墓地がある。

烏八臼の墓塔

烏八臼の墓塔

墓地の一画に、烏八臼(うはっきゅう)と呼ばれる珍しい文字が刻まれた墓塔がある。造塔は江戸中期・元禄11年(1698)。石塔型式は光背型。正面中央に大日如来坐像が陽刻されている。
 
墓塔の右手に「鵮為涼屋松影信女」と刻まれているが(上の写真の黄色い□印で囲んだ部分)、一文字目の「鵮」(たん)という文字が、烏八臼(うはっきゅう)と呼ばれている。
 
烏八臼の解釈については諸説あるが、越谷市郷土研究会・顧問の加藤幸一氏は、「『鵮』(たん)は『ついばむ』という意味の漢字で、『鵮為涼屋松影信女』は『涼屋松影信女の為(ため)についばむ』と読む」と、述べている。根底に「鳥葬」があるのではないかという。

烏八臼については

別記事で詳しく考察している。記事の URL は本記事の末尾に「関連記事」として載せている。参照願いたい。また加藤氏の「烏八臼に関する論考」も紹介している。

移動|越谷岩槻線

越谷岩槻線|小曽川

共同墓地をあとに越谷岩槻線を先へ進む。200メートルほど歩くと、前方右手、丁字路の角地に石塔が一基建っている。

六十六部廻国供養塔

六十六部廻国供養塔

この石塔は、江戸中期・明和5年(1768)に造立された六十六部廻国供養塔。六十六部廻国塔とは、全国66か国の寺院を巡礼して法華経を奉納した記念に建た供養塔のこと。
 
石塔型式は頭部山状角型。正面の主銘は「六十六部願満塔」、脇銘は「天下和順」「日月清明」。裏面には「願以此功徳」「普及於一切」「我等与衆生」「皆共成仏道」とある。

左側面

左側面

左側面には、和歌と、六十六部廻国巡礼を行なった行者(ぎょうじゃ)の俗名と法名などが刻まれている。行者の俗名は斎藤徳右衛門、法名は植道宗本自題とある。
 
和歌は、
 
おひの身で
廻る日の本
今爰(ここ)に
如我有祈願
まくうれしき
 
と読める。

右側面

右側面

右側面には漢文がびっしり刻まれている。
 
内容は、

野島村に生まれて小曽川で暮らしている斎藤徳右衛門という人物が、このまま年老いて死んでいくのは悔いが残ると言い残し、六十六部廻国遍歴の旅に出、無事、満願成就して戻ってきたので、徳右衛門の功徳を讃えて、この供養塔を建立する…云々

といったようなことが、野島の浄山寺・住職によって記されている。
 
漢文の内容については「荻島地区の石仏」(※6)を参照した。

※6 加藤幸一「荻島地区の石仏」平成14年度調査/平成29年3月改訂(越谷市立図書館蔵)「六十六部廻国塔」41頁

帰路|越谷岩槻線

越谷岩槻線|小曽川

六十六部廻国供養塔をあとに帰路につく。

越谷西高校入口

越谷西高校入口看板

左手に「埼玉県立 越谷西高等学校 入口」の看板が見えてきた。
 
越谷西高校といえば、1995年(平成7年)の夏、市内の高校としてはじめて甲子園に出場し、1回戦を突破。2回戦で敗れはしたが、当時、越谷市民はこの快挙に大きな声援を送った。あれからもう27年もたつのかぁ……。

帰着|小曽川久伊豆神社

朝日バス「越谷西高校入口」停留所

小曽川久伊豆神社(朝日バス「越谷西高校入口」停留所)に帰着。調査を始めたときは曇り空だったが、今は、青空に白い雲が浮かんでいる。今回は越谷市小曽川で 7箇所の石仏と史跡をめぐった。まだ田園風景が多く残ってはいるが、やがては宅地化され、小曽川の景色も変わってしまうのかもしれない。

関連記事

参考文献

本記事を作成するにあたって参考にした文献を以下に記す。引用した場合は該当箇所に引用文献を明示した。

参考文献

加藤幸一「荻島地区の石仏」平成14年度調査/平成29年3月改訂(越谷市立図書館蔵)
越谷市史編さん室編『越谷市金石資料集』越谷市史編さん室(昭和44年3月25日発行)
越谷市史編さん室編『越谷ふるさと散歩(上)』越谷市史編さん室(昭和54年8月2日発行)
日本石仏協会編『石仏巡り入門―見方・愉しみ方』大法輪閣(平成9年9月25日発行)
日本石仏協会編『新版・石仏探訪必携ハンドブック』青砥書房(2011年4月1日発行)