越谷市砂原の鎮守・砂原久伊豆神社の石仏や石塔のほか、境内の風景などを現地で調査した写真とともにお伝えする。歴史も調べた。場所は、大砂橋の東、元荒川右岸沿いの土手下にある。
石仏と石塔
まずは境内にある石仏と石塔を調査した。
猿田彦大神文字塔
第一鳥居の手前、道角の樹木の下にある石塔は、猿田彦大神(さるたひこおおかみ)と刻まれた庚申塔。明治5年(1872)造立。石塔型式は兜巾(ときん)型。正面の主銘は「 猿田彦大神 」
脇銘は「維持明治五壬申 霜月吉辰」「埼玉郡 砂原村」。台石には、世話人と寄進者の名前が 40人近く刻まれているが、風化や破損で、すべては読みとれない。
日本神話に登場する神。アマテラスオオミカミの命を受けて天孫降臨するニニギノミコトを待ち受けて道案内をつとめた神。「さるたひこだいじん」とも呼ばれる。
江戸末期から明治にかけて、庚申塔の主尊を青面金剛とした仏教系に対抗して、神道系の人たちが猿田彦大神を庚申塔の主尊とし、「猿田彦大神」と刻んだ文字塔が、各地で見られるようになった。
道しるべ
この石塔は道しるべになっている。石塔の左側面に「此方 こしがや一り」、右側面に「此方 まくりへ 一り かすかべへ三り」、台石の正面に「いわつき二り」と刻まれている。
道しるべになっているこの石塔は、もともとは別の場所にあった。越谷市郷土研究会の加藤幸一氏は「もとは、近くの県道路傍にあった。県道越谷岩槻線から砂原久伊豆神社に入る道の角地」(※1)にあったと述べている。
※1 加藤幸一「荻島地区の石仏」平成14年度調査/平成29年3月改訂(越谷市立図書館蔵)「砂原久伊豆神社」45頁
和歌
左側面には、和歌が刻まれているようだが、文字が薄れてしまって、読みとれない。越谷市郷土研究会の加藤幸一氏が解読した内容を以下、引用する。
君か代や
常磐か□ば
かぎり□人
□□□しむの
あらむ限りハ引用元:「荻島地区の石仏」(※2)
※2 加藤幸一「荻島地区の石仏」平成14年度調査/平成29年3月改訂(越谷市立図書館蔵)「砂原久伊豆神社」44頁
庚申塔
参道左手、ブランコの横に、庚申塔が二基並んでいる。二基とも、もともとは別の場所にあったようだ。
『越谷ふるさと散歩(上)』によると「おそらくこれら(この二基)の庚申塔は、もと岐れ道の角に置かれていたものだが、道路の拡張工事などのさい当所に移されたものであろう」(※3)という。
※3 越谷市史編さん室編『越谷ふるさと散歩(上)』越谷市史編さん室(昭和54年8月2日発行)「砂原の集落と久伊豆神社」170頁
青面金剛像庚申塔|嘉永元年
向かって左側は、江戸後期・嘉永元年(1848)造立の青面金剛像庚申塔。石塔型式は兜巾(ときん)型。
青面金剛は六手剣人型。右手に宝剣、右上手に三叉鉾(さんさぼこ)、右下手に矢。左手でショケラと呼ばれる女人の髪をつかみ、左上手に法輪、左下手に弓を持ち、両足で邪気を踏みつけている。
石塔の最頂部には日月、邪気の下には三猿が陽刻されている。台石の中央には「砂原 東組 講中」と刻まれれ、世話人と寄進者の名前が 33人確認できる。
脇銘
左側面には「岐太神」(くなどのおおかみ)と刻まれている。「くなどのおおかみ」は、岐神(くなどのかみ・ふなどのかみ)とも呼ばれ、猿田彦大神のこと。右側面には「天明八申年正月吉祥日」と刻まれている。
青面金剛像庚申塔|文化二年
右側は、江戸後期・文化2年(1805)の青面金剛像庚申塔。石塔型式は兜巾(ときん)型。正面に陽刻されている青面金剛は六手剣人型。両足で邪気を踏みつけている。最頂部には日月、邪気の下には三猿がうっすらと確認できる。
脇銘は、右側面に「砂原村講中」、左側面に「文化二乙丑十一月吉祥日」とある。台石には寄進者30人の名前が見える。
道しるべ
この青面金剛像庚申塔は道しるべを兼ねている。
石塔|左側面
「是よりこしかや」(これより越ヶ谷)
石塔|右側面
「是よりしめきり」(これより〆切橋)
台石|中央
「いはつき」(岩槻)
二基の石塔と境内社
参道右手、ご神木の脇に、二基の石塔と境内社が一宇並んでいる。
境内社の御祭神は不明。『埼玉の神社(北足立・児玉・南埼玉)』によると「御獄」(※4)とあるので、この境内社は御嶽神社と思われる。
※4 埼玉県神社庁神社調査団編『埼玉の神社(北足立・児玉・南埼玉)』埼玉県神社庁(平成10年3月31日発行)「砂原久伊豆神社」1213頁
榛名神社文字塔
自然石の石塔は、榛名神社文字塔。明治30年(1897)造立。正面に「榛名神社」と刻まれている。裏面の脇銘には「明治三十年五月奉祀」とある。
和歌
石塔の裏面には和歌が刻まれている。「埴山(はにやま)の 神の功(いさおし) あるゆへに 五穀豊熟 祈るひと/\」(※5)
※5 「/\」は、くの字点。横書きのくの字点(踊り字)はパソコンでは変換できないので、記号で代用した。和歌については、読みにくい箇所もあったので、加藤幸一「荻島地区の石仏」平成14年度調査/平成29年3月改訂(越谷市立図書館蔵)「砂原久伊豆神社」46頁に従った。
天神像塔
祠型の石祠は天神像塔。江戸後期・天明8年(1788)に砂原村の天神講中(てんじんこうじゅう)によって寄進された。台石の正面に「講中」、脇銘に「砂原村」「天明八申年正月吉祥日」とある。
天神座像
石祠の最下部に天神座像(菅公像)が浮き彫りされている。菅公(かんこう)とは菅原道真(すがわらのみちざね)のこと。江戸時代、学問の神様・菅原道真の命日である2月25日にしのぶ天神講が、各地で行なわれた。