砂原久伊豆神社

砂原久伊豆神社

砂原の鎮守・砂原久伊豆神社。創建年代は不詳。

案内役・秦野氏

江戸時代後期に編纂された地誌『新編武蔵風土記稿』には、旧・砂原村の項には久伊豆神社は記載されておらず、隣村の旧・小曽川村(おそがわむら)の久伊豆神社を両村の鎮守としていますが、明治前期に編纂された『武蔵国郡村誌』では、旧・砂原村の項に久伊豆神社は記載されています。


少なくとも江戸後期にはこの場所にあったと思われる。
 
案内役の秦野氏は、「かつて砂原村の鎮守は現在の小曽川久伊豆神社だった。当時、小曽川村はなかった。その後、砂原村から小曽川村が分村し、現在の小曽川久伊豆神社が両村の鎮守社になった」(※5)、と推定している。

(※5)上記については秦野氏が「旧砂原村と旧小曽川村の鎮守から推定した両村の来歴」で詳しく論考している。リンク先を以下に示す。
http://koshigayahistory.org/221018_sunaharamura_h_h.pdf

境内の風景

砂原久伊豆神社|境内の風景

境内には庚申塔や天神像塔などの石塔のほか、ご神木でもある巨木のイヌマキなど、見どころも多い。両部(りょうぶ)型の朱塗りされた二の鳥居(木鳥居)も美しい。
 
ガイドツアーに同行した小林さんの話。

小林さん

昔は、境内に神楽殿があって、巫女舞(みこまい)や稚児舞(ちごまい)などが行なわれていました。

聖動院跡

聖動院跡|不動堂

※上の写真(不動堂)は 2022年10月16日の下見時に撮影。

神社の南西に隣接している墓地は、かつて聖動院(しょうどういん)と称された真言宗の寺院跡。本尊は不動明王。現在は、当時の名残(なごり)のように不動堂だけが残っている。

境内の風景

聖動院跡|境内

※写真右端の「宝篋印陀羅尼」梵字文供養塔は 2022年10月16日の下見時に撮影。

寺院境内跡(墓地)には、江戸中期・元文4年(1739)の地蔵菩薩像付き石橋供養塔や年代不詳の不動明王像のほか、「宝篋印陀羅尼経」(ほうきょういんだらにきょう)が梵字で刻まれている江戸後期・天明6年(1786)造塔供養塔などがある。

移動|市道

市道

砂原久伊豆神社をあとに、鳥居前の市道を東へ。この道をまっすぐ進むと〆切橋にぶつかる。

小祠と二基の石塔

小祠と二基の石塔

神社から50メートルほど先の角地に小さな木の祠と二基の石塔がある。祠の扁額(へんがく)には『第六天』と書かれている。隣の石塔は、弁財天文字塔と稲荷文字塔。
 
20メートルほど歩いて右折。脇道(市道)に入る。

角堂坊跡

角堂坊跡

小さな墓地に着いた。ここは、かつて角堂坊(かくどうぼう)と称された寺院の跡地。

石に小さな穴があいている

トタン造りの小屋

トタン造りの古い小屋の脇に、力石のような形をした卵形の細長い石が置かれている。よく見ると、石のところどころに小さな穴があいている。

盃状穴

盃状穴

案内役・秦野氏

この穴は「盃状穴」(はいじょうけつ)と呼ばれています。盃状穴は、なんらかの目的で人為的に彫られたと考えられている盃状(さかずきじょう)の穴で、呪術や土俗信仰と深くかかわっていると推定されます。

盃状穴については越谷市郷土研究会・顧問の加藤幸一氏が「石造物にみられる謎の『盃状穴』」で詳しく論考している。リンク先を以下に示す。
http://koshigayahistory.org/67.pdf

角堂坊墓地の盃状穴は、今回のガイドツアー責任者でもある越谷市郷土研究会・副会長の秦野秀明氏が 2022年2月18日に発見した。

移動|元荒川緑道

元荒川緑道

角堂坊跡を出て、砂原久伊豆神社へ。本堂裏手から元荒川緑道に戻る。大砂橋(おおすなばし)の下をくぐって、元荒川の右岸を上流に向かって歩く。

砂原堤防の石塔群

砂原堤防の石塔群

大砂橋から300メートルほど歩くと、土手道の右手に石塔群が見えてきた。

6基の石塔

石塔群

並んでいる石塔は全部で 6基。1基は木像。向かって左端は江戸中期・宝暦3年(1753)の馬頭観音塔(ばとうかんのんとう)。あとの石塔は墓塔。小さな木彫りの像は恵比須さまと思われる。
 
今回のツアーはここが終着点。

帰着|砂原土手バス停

砂原土手バス停

元荒川緑道を下りて、越谷岩槻線(県道48号)沿いにある「砂原土手」バス停(朝日バス)に帰着。バスに乗って終点の越谷駅西口へ。

解散|越谷駅西口

越谷駅西口|解散

12時25分。ガイドツアー責任者をつとめたNPO法人越谷市郷土研究会の副会長・秦野氏のあいさつのあと解散となった。所用時間およそ3時間50分。歩いた距離は 5.5キロ。歩数 8,000歩。
 
第517回越谷市郷土研究会史跡めぐり兼越谷リバーウォーク(Aコース後半)ガイドツアーは、これにて終了。

後記

ガイドツアーの資料

今回のガイドツアーの目玉はなんといっても海道西遺跡の現地説明会。実際に現場に立ってみると、1200年ほど前、人々が暮らしていた当時の息吹を感じた気がした。また、越谷の公害問題の原点の地でもある魚油工場の話は、かなり勉強になった。

関連記事

今回のガイドツアーは、越谷リバーウォークAコース後半でしたが、2022年10月26日に行なわれたAコース前半の様子は下記の記事にまとめてあります。

越谷リバーウォーク|2022年10月26日
参考文献

本記事を作成するにあたって、石仏や石塔の年代や碑銘については、越谷市郷土研究会・顧問の加藤幸一氏の調査報告書 ◇「荻島地区の石仏」平成14年度調査/平成29年3月改訂(越谷市立図書館所蔵)◇「大袋地区の石仏」平成9・10年度調査/平成27年12月改訂(越谷市立図書館所蔵)と照らし合わせた。

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