越谷市増林を通る平方東京線沿いにある椎の木組の庚申塔を調べた。調査した路傍の石仏を写真とともにお伝えする。場所は増林駐在所から西北100メートル丁字路角地、祠(ほこら)の隣にある。

文字庚申塔と祠

庚申塔と小社|越谷市増林

調査したのは 2023年9月14日。丁字路の角地、民家の生け垣の前が、外溝に囲まれていて、そこに文字庚申塔と祠(ほこら)が並んでいる。

  1. 文字庚申塔|天保7年
  2. 洞|稲荷社

まずは文字庚申塔から見ていく。

椎の木組の庚申塔

文字庚申塔|天保7年

文字庚申塔の造立は、江戸後期・天保7年(1736)。石塔型式は駒型。正面の中央は平らに掘りくぼめられている。最頂部の左右に瑞雲に乗った月と太陽。中央に「庚申」の文字。石塔の最下部には「三猿」が陽刻されている。

しめ縄

しめ縄

石塔の上部には、しめ縄が張られている。この庚申塔は、今でも地元の人たちによって管理されている。このあたりはかつて増林村の椎の木組(しいのきぐみ)と呼ばれた。
 
越谷市郷土研究会の加藤幸一氏によると、「地元(椎の木組)では2か月に一回程度の庚講(かのえこう)が平成8年〈1997〉まで行われた」(※1)という。

※1 加藤幸一「増林地区の石仏石塔」平成11・12年度調査/令和4年改訂(越谷市立図書館所蔵)「椎の木組の庚申塔」67頁

庚講(かのえこう)とは

庚申(かのえさる)の日、青面金剛(しょうめんこんごう)を祀り、徹夜する行事。この夜眠ると、そのすきに三尸(さんし)が体内から抜け出て、天帝にその人の悪事を告げるといい、また、その虫が人の命を短くするともいわれる。村人や縁者が集まり、江戸時代以来しだいに社交的なものとなった。庚申待。(※2)

※2 出典:デジタル大辞泉「庚申待」(こうしんまち)

三猿

三猿

石塔の最下部には「三猿」が陽刻されている。左から「言わ猿」「聞か猿」「見猿」

脇銘|右側面

脇銘

右側面の脇銘は「天保七丙申二月吉日」

台石

台石

台石には寄進者17人の名前が刻まれている。

祠|稲荷社

祠|稲荷社

文字庚申塔の隣の祠(ほこら)は稲荷社。お稲荷様が祀られている。建立年は不詳。

新旧写真

増林・文字庚申塔と祠|新旧写真

昭和54年(1979)10月に撮影された、この文字庚申塔と祠の写真が、越谷市デジタルアーカイブ(※3)で公開されているので、新旧写真を比べてみた。
 
上の写真の上段が昭和54年(1979)10月当時。下段が今回調査した令和5年(2023)9月14日。44年間たっているが、ほとんど変化はない。洞の屋根は葺き替えられているが、神殿部は当時のままである。
 
当時から今も変わらず地元の方々に大切に守られてきた証である。

※3 出典:越谷市デジタルアーカイブ( 増林・文字庚申塔と祠

場所

文字庚申塔と洞|平方東京線

文字庚申塔と洞がある場所は、越谷警察署増林駐在所(越谷市増林3795-1)の北西100メートル。平方東京線(埼玉県道・東京都道102号)沿い丁字路の角地( 地図

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参考文献

本記事を作成するにあたって、引用した箇所がある場合は文中に出典を明示した。参考にした文献は以下に記す。

参考文献

加藤幸一「増林地区の石仏石塔」平成11・12年度調査/令和4年改定(越谷市立図書館所蔵)
越谷市史編さん室編『越谷市金石資料集』越谷市史編さん室(昭和44年3月25日発行)
越谷市役所『越谷ふるさと散歩(下)』越谷市史編さん室(昭和55年4月30日発行)
日本石仏協会編『石仏巡り入門―見方・愉しみ方』大法輪閣(平成9年9月25日発行)
日本石仏協会編『新版・石仏探訪必携ハンドブック』青娥書房(2011年4月1日発行)