天神宮社|中山中自治会館
天神宮社に到着。境内の横は中山中自治会館(越谷市増林2836-2)。勝林寺から西に150メートルほど歩いた場所にある。
舎楽翁の歌碑
拝殿前の松の木の下に自然石の歌碑がある。「あかるミを くらく過ぬる くやしさよ 雪にほたるの 学なくして」という舎楽翁による和歌の下には、短冊が置かれた机の前で、袖に涙する人物(舎楽翁)のしゃがんだ姿が刻まれている。
舎楽翁とはどんな人物なのか? 『越谷ふるさと散歩(下)』(※7)によると「当所は天満宮とあることからも、ここに寺子屋塾が設けられていたとみられるが、舎楽とは寺子屋の師匠であった人とも思われる」とある。
※7 『越谷ふるさと散歩(下)』越谷市史編さん室(昭和55年4月30日発行)「増林勝林寺」83頁~86頁
歌碑|裏面
歌碑が建てられたのは文久元年(1861)4月。裏面には「文久元酉年 四月建立」とある。その下には寄進者17人の名前と「画工 素雲」の銘が刻まれている。
舎楽翁が描かれたこの歌碑は、師匠(舎楽翁)をしのんで寺子(教え子)たちが寄進したものかもれしれない。
二基の記念碑
本殿の裏手には、自然石による明治34年(1901)建碑の「古峯神社」記念碑と、明治39年(1906)に建立された忠勇義烈碑が置かれている。
移動|雑木林
天神宮社をあとに小道を西へ100メートルほど進む。
小祠
角地の藪で小さな祠を見つけた。
成田山供養塔
祠の中に安置されているのは、江戸後期・天保13年(1842)造立の不動三尊梵字付き成田山供養塔。石塔型式は頭部山状角型。正面上部に不動三尊(※8)を表わす梵字(カンマン・タラ・タ)、下部に「成田山」と刻まれている。
※8 不動三尊(ふどうさんぞん)とは、不動明王の左右に矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいかどうじ)を脇侍とした形のこと。梵字は、不動明王がカンマン、矜羯羅童子がタラ、制多迦童子がタ。
左側面は「天保十三壬寅年十二月吉日」、右側面には「願主」三人の名前が確認できる。
釈迦三尊十六善神塔
祠の横にあるのは、釈迦三尊十六善神塔。江戸中期・延享3年(1803)。台石の上に顔が欠けた丸彫りの釈迦如来坐像が載っている。
台石の正面には釈迦三尊(※9)のうちの二尊、文殊師利菩薩(=文殊菩薩)と普賢菩薩のほか、玄奘(げんじょう)三蔵法師、真蛇対王(深紗大王=じんじゃだいおう)、法誦(ほうしょう)菩薩、常啼(じょうたい)菩薩の名が刻まれている。
※9 釈迦三尊(しゃかさんぞん)とは、釈迦如来を中尊として、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)と普賢菩薩(ふげんぼさつ)を左右の脇侍(わきじ)とする形式。この石塔では、台石の上の釈迦如来像が中尊、台石に刻まれた文殊師利菩薩(=文殊菩薩)と普賢菩薩を脇侍としている。
台石
台石の左側面と右側面には十六善神(じゅうろくぜんじん)の名が刻まれている。十六善神とは大般若経(だいはんにゃきょう)を守護する16の神々。刻まれている神名は割愛。
移動|路地
二基の石塔を調査し終え、平方東京線(埼玉県道102号)を渡って路地に入る。前方に十字路が見える。左右に延びているのは旧道。平方東京線に並行して、200メートルほど残っている。
閻魔堂跡地
十字路の角地は空き地になっている。
ここにはかつて閻魔堂と呼ばれたお堂がありました。
移動|養鶏場跡
十字路を渡って小道をまっすぐ進む。道の両脇には田畑が広がっている。班長の尾川氏が、このあたりも昔は養鶏場がたくさんあった、と教えてくれた。上の写真の空き地も養鶏場跡。
「馬頭観世音守護」文字塔
用水路脇に小さな石塔があった。正面の主銘は「馬頭観世音守護」。左側面に「昭和四十年四月建立」の文字と、祭主の名前が刻まれていた。
道標付き馬頭観世音供養塔
農道の丁字路角地に、小さな石塔が一基、取り残されたように立っている(上の写真の止まれ標識の脇)。この石塔は、道しるべを兼ねた馬頭観世音供養塔。
前方の左右に延びている道は、旧・市役所前中央通り。右に行くと、新方川に架かる東橋を渡って、越谷市役所、越谷駅東口に出る。左に行くと、増林小学校の前を通って勝林寺の山門にぶつかる。
案内役の尾川氏が、かつての道筋を指して教えてくれた。
銘文
石塔の型式は駒型。江戸中期・安永3年(1774)造立。正面の主銘は「馬頭観世音供養塔」。右側面は「左ふとうそん道」、左側面には「右 こしかや道」と刻まれている。
大神宮
丁字路の50メートルほど先(南西)に、大神宮と呼ばれている小さな社がある(増林二丁目)。
現在の大神宮は道路の北側にありますが、以前は道路の南東の南側にありました。
社の左手、樹木の下に、大小二基の石塔が並んでいる。
沖治霊神
向かって右側の自然石の石塔には「沖治霊神」と刻まれている。明治33年(1900)12月建立。左側の小さな駒型の石塔には「地□神」の文字が読みとれる。ともに、どういう神なのかは分からなかった。
移動|増林小学校横
大神宮をあとに勝林寺へ向かう。増林小学校の校庭の桜が見ごろを迎えている。あさっては入学式。入学式の練習を終えた児童たちが校門から出てきた。
「馬頭観世音」文字塔
増林小学校の校門前を通って、平方東京線(埼玉県道102号) の十字路に出る。信号脇の敷地の角地(個人宅)に、馬頭観音文字塔がある。
石塔型式は駒型。江戸後期・文化14年(1817)造立。正面最頂部に馬頭観音を表わす梵字・カン。中央の主銘は「馬頭観世音」。脇銘は「文化十四年丑正月吉日」と、願主の名前が読みとれる。
調査対象の石仏は、これですべて巡った。