勝林寺

庚申塔群

庚申塔群

並んでいる庚申塔は5基。ここにある 5基の庚申塔は、もともとは鐘楼堂裏手の墓地の一画にあった。

文字庚申塔|文政7年

文字庚申塔|文政7年

江戸後期・文政7年(1824)造立の文字庚申塔。石塔型式は頭部山状角型。正面の最頂部に「日月」、中央に「庚申」と刻まれている。左側面は「文政七甲申歳」「四月吉祥日」、右側面には「増林村中組講中」とある。

道標付き「青面金剛」文字庚申塔

道標付き「青面金剛」文字庚申塔

道標付き「青面金剛」文字庚申塔。江戸後期・寛政10年(1798)造立。石塔型式は角型。正面の最頂部に「日月」、下部に「三猿」が陽刻されている。中央の主銘は「青面金剛」。脇銘は「天下泰平」「五穀豊穣」。
 
左側面に「わたしバ道」、右側面に「ふどう道」「寛政十年戊午三月吉祥日」などの文字が確認できる。台石は見あたらなかった。
 
ふどう道とは大相模不動尊(大聖寺)に向かう道のこと。

加藤氏

「わたしバ」(渡し場)とは、古利根川の対岸の上赤岩と増林を往来していた渡し場のことをさしていると思われます。この渡し場は「ばば渡し」とも呼ばれ、現在の越谷市斎場の建物の東端地点あたりにありました。

文字庚申塔|天保7年

文字庚申塔|天保7年

江戸後期・天保7年(1836)造立の文字庚申塔。石塔型式は頭部山状角型。正面の主銘は「庚申塔」、最頂部に「日月」が陽刻されている。左側面は「天保七丙申年八月吉日」、右側面は「増林村中組」とある。

文字庚申塔|文化4年

文字庚申塔|文化4年

江戸後期・文化4年(1807)の文字庚申塔。石塔型式は頭部山状角型。正面の最頂部に陽刻された「日月」、中央に「庚申塔」と刻まれている。「塔」が異字体になっている。左側面に「文化四丁卯□」、右側面に「二月吉祥日」の文字が確認できる。
 
石塔の下に、三猿と建立者(願主)の名前が刻まれた台石があったようたが、見あたらなかった。

青面金剛像庚申塔

青面金剛像庚申塔

舟型の青面金剛像庚申塔。江戸中期・正徳4年(1714)造立。最頂部に「日月」、中央に「合掌型の六手青面金剛像」、足元に「邪鬼」、その下に「三猿」が、浮き彫りされている。
 
脇銘は「奉造立庚申之尊像」「諸願成就之所敬白」「願主中組□□」「正徳四□□天二月」などの文字が確認できる。

法華経及び般若理趣経供養塔

法華経及び般若理趣経供養塔

ブロック塀に向かって左端にある石塔は、法華経及び般若理趣経供養塔。江戸中期・享保14年(1729)造立。この供養塔は、もともとは、この場所から北西100メートルほどの場所にあった「とうかん山」(前述)と呼ばれた小山の上に立てられていた。
 
正面の主銘は「大乗妙典一千部読誦供養塔」。大乗妙典(だいじょうみょうてん)とは、法華経(ほけきょう)のこと。この石塔は、大乗妙典を一千部、読誦(どくじゅ)した記念に建てられた。

左側面

左側面

左側面は「国家安寧風調風順五穀豊登万民康楽」などの文字が読みとれる。右側面はブロック塀に面しているので、銘は確認できない。

般若理趣経供養塔|裏面

般若理趣経供養塔|裏面

裏面は、般若理趣経(はんにゃりしゅきょう)供養塔になっている。
 
主銘は「大乗般若理趣分一千巻読誦供養塔」。「元文五庚申年十月十四日」と刻まれていることから、表面の大乗妙典読誦供養塔(享保14年〔1729〕)の11年後、元文5年(1740)に刻まれた。

加藤氏

般若理趣分(はんにゃりしゅぶん)とは、般若経典のひとつで、理趣経(りしゅきょう)ともいいます。この石塔の裏面の銘は、理趣経を一千巻、読誦した記念に刻まれたものです。


境内の調査を終え、続いては、西側にある墓地へ