勝林寺

勝林寺|山門

勝林寺へ戻る。「法恩山 勝林寺」と刻まれた寺標。山門は瓦葺き。柱には「曹洞宗」、冠木(かぶき)には「蒼龍窟」と書かれた額が掲げられている。
 
勝林寺は曹洞宗の寺院で、開山は、戦国時代の天文7年(1538)と伝えられている。
 
江戸後期・幕府が編さんした地誌『新編武蔵風土記稿』(※10)に「勝林寺、禅宗曹洞派、下荒井村福巌寺の末、法恩山と号せり、開山默堂闇契は天文七年四月寂す、十一面觀音を本尊となせり」と記されている。

※10 『新編武蔵風土記稿 第十巻(大日本地誌大系)⑯』雄山閣(平成8年6月20日発行)「増林村」勝林寺の項、179頁

山門

勝林寺|山門裏手

山門からまっすぐ伸びている道は、かつての越谷市役所前中央通り。昔は勝林寺から越谷駅東口まで道が続いていた。

尾川氏

今は、山門から1キロほど先で、現在の市役所前中央通りと合流し、越谷駅東口まで続いています。

境内と本堂

境内本堂

境内は整備が行き届いている。瓦葺きの本堂は、昭和50年代に改築されたものだが「建物自体は幕末期の建築になる」(※11)という。

※11 越谷市史編さん室編『越谷ふるさと散歩(下)』越谷市史編さん室(昭和55年4月30日発行)「増林勝林寺」84頁

越谷観音

越谷観音

境内の左手にある巨大な観音立像は、昭和50年(1975)9月に建立された越谷観音。47年間にわたって越谷を見守ってくださっている。

石仏調査終了

勝林寺|駐車場

石仏調査はこれで終了。調査時間は約2時間。班長をつとめた尾川氏の入念な準備のおかげで調査が円滑に進んだ。今回、調査した石仏や石塔はどれも貴重な史料なので、これから先もその姿を後世に伝えてほしいと願う。

今回の石仏調査が読売新聞に掲載された
今回、前半の勝林寺調査のときに、読売新聞の大須賀軒一記者が取材で同行。読売新聞(2022年)4月16日付朝刊・地域版(埼玉)「石仏や石塔 地域で見守る 越谷 市民らパトロール」に、掲載された。

謝辞

本記事をまとめるにあたっては、越谷市郷土研究会顧問・加藤幸一氏の指導を仰ぎ、校閲もしていただいた。加藤氏には心からお礼申しあげます。

参考文献

調査にあたって、石仏や石塔の劣化や風化によって碑文が読みにくかったり、判読できない箇所も多々あった。正確を期するために、本記事を作成するにあたっては、関係書籍や調査報告書と照らし合わせた。参考にした文献を以下に記す。

参考文献

加藤幸一「増林地区の石仏」平成16・17年度調査/平成31年7月改訂(越谷市立図書館蔵)
越谷市史編さん室編『越谷ふるさと散歩(下)』越谷市史編さん室(昭和55年4月30日発行)
『新編武蔵風土記稿 第十巻(大日本地誌大系)⑯』雄山閣(平成8年6月20日発行)
庚申懇話会編『日本石仏事典(第二版新装版)』雄山閣(平成7年2月20日発行)
日本石仏協会編『石仏巡り入門―見方・愉しみ方』大法輪閣(平成9年9月25日発行)