出羽堀の終点

出羽堀の終点

出羽堀は、一里塚の20メートルほど先で、綾瀬川に落とされていた(上の写真の黄色い▼印が落し口)。案内役の加藤氏が、出羽堀の流路跡を歩いて示してくれた。
 
上の写真で見ると、加藤氏が立っている場所(黄色い▲印)が出羽堀。左手が一里塚。加藤氏の右手(出羽堀の右岸沿い)を日光街道が通っていて、そこにも一里塚があった。
 
現在、一里塚の前は石畳の暗渠になっているが、下を蒲生愛宕川が流れていて、上の写真の黄色い▲印のところで綾瀬川に合流している。

旧・出羽堀の落とし口

上の写真は、旧・出羽堀(現在の蒲生愛宕川)の落とし口。落とされた水は綾瀬川に注がれている。落とし口の上に架かっている橋は愛宕橋。前方に見える橋は槐戸橋(さいかちどばし)。

昔の綾瀬川

綾瀬川

愛宕橋を渡った綾瀬川左岸沿いの緑地帯で、案内役の加藤氏が、昔の綾瀬川の様子を教えてくれた。

案内役の加藤氏

昔は、綾瀬川の川幅は今の三分の一ほどしかありませんでした。河川敷には集落もありました。その後、川幅の拡張工事が行なわれ、河川敷に住んでいた人たちは別の場所に移され、集落だった跡地は川底に沈んでいます。


また、かつての蒲生大橋は、現在の蒲生大橋の下流50メートルほど先にあった、という話もしてくれた。

藤助河岸の荷揚場跡

藤助河岸の荷揚場跡

続いて、藤助河岸(とうすけがし)荷揚場跡を見学した。藤助河岸は、江戸中期・元禄時代ごろに造られた船着場=河岸(かし)で、河岸の舟問屋を営んでいた高橋藤助(たかはしとうすけ)の名前をとって藤助河岸と呼ばれた。
 
日光街道と綾瀬川が交差するという地の利を生かして栄えたが、大正9年(1920)、東武鉄道に越ヶ谷駅が開設されたのを機に衰退。昭和初期に廃止さた。
 
現在の木造の建物(上の写真)は、当時の船荷の積み降ろし小屋を復元したもので、実際はこの三倍ぐらいの大きさだった。

藤助河岸は出羽堀両岸にあった

荷揚場跡前

案内役の加藤氏

河岸場(船着場)は、ここにあった荷揚場から少し上流の綾瀬川と出羽堀が合流する地点、出羽堀の両岸にありました。

復路

愛宕橋手前

藤助河岸跡が往路の最終地点となる。復路は、藤助河岸跡で折り返し、綾瀬川の左岸沿いをたどりながら、出発地点の大間野村旧中村家住宅へ戻るコースとなる。

愛宕橋を渡って、蒲生の一里塚を抜け、蒲生大橋の東詰から旧日光街道へ向かった。

旧日光街道|綾瀬川左岸

旧日光街道|綾瀬川左岸

綾瀬川を左に見ながら、旧日光街道の歩道を綾瀬川上流に向かって歩く。旧日光街道の右手を流れているのは蒲生愛宕川(旧・出羽堀)
 
案内役の加藤氏から「かつて綾瀬川の川幅が狭かった時代、河川敷には家が建ち並んでいた」との解説があった。正面前方に、往路で通った追分が見えてきた。

追分

追分

追分に到着。日光街道と岩槻道の分岐点。右手が旧日光街道(通称・茶屋通り)、左手、綾瀬川左岸沿いの道が岩槻道(現・綾瀬川緑道)。上の写真では見にくいが、中央の土手下(茶屋通り側)に出羽堀跡が残っている。

案内役の加藤氏

現在の岩槻道は、綾瀬川の護岸工事のさいに、綾瀬川緑道としてあとから造られたものです。いわば現代の岩槻道です。

岩槻道|現・綾瀬川緑道

綾瀬川緑道

岩槻道(現・綾瀬川緑道)を綾瀬川の上流に向かって歩く。正面前方に見える橋は綾瀬橋。手前のクリーム色の建物は、越谷浄化施設。綾瀬川の水をきれいにするために設けられている越谷浄化施設の手前で岩槻道と離れて土手道を下りる。

旧出羽堀跡|暗渠

旧出羽堀跡|暗渠

土手を下りると、小道に出る。暗渠になっているこの小道は旧・出羽堀跡。

西幹排緑道|出羽堀跡

西幹排緑道|出羽堀跡

足立越谷線(東京都道・埼玉県道49号)を渡って、西幹排緑道(出羽堀跡)に入る。左手に、往路で見学した「成田山」道標石塔が見えた。出羽堀跡(現・西幹排緑道)を進む。

蒲生久伊豆神社の庚申塔

青面金剛像庚申塔

蒲生久伊豆神社に到着。鳥居の手前に庚申塔が一基、立っている。江戸中期・元禄13年(1700)造立。正面に主尊の青面金剛(しょうめんこんごう)が、浮き彫りされている。

像容の解説

庚申塔の解説をする加藤氏

庚申塔の像容について、案内役の加藤氏から説明があった。

案内役の加藤氏

太陽と月(日月=じつげつ)、青面金剛(しょうめんこんごう)、青面金剛に踏まれた鬼(おに)、いちばん下に三匹の猿(三猿)が描かれていますから、この石塔は庚申塔ですね。

移動|綾瀬川左岸の脇道へ

綾瀬川左岸の脇道

庚申塔を見学したあと、境内の脇から岩槻道(現・槍先通り)を渡って、綾瀬川左岸沿いの脇道を歩く。正面に見えるのは東武伊勢崎線の鉄橋。

遊歩道|綾瀬川左岸

遊歩道|綾瀬川左岸

高架下をくぐって綾瀬川左岸の遊歩道を歩く。前方右手に出羽堀樋門(でわぼりひもん)が見えてきた。

案内役の加藤氏

綾瀬川の川筋は、武蔵国(むさしのくに)の足立郡と埼玉郡の郡境でした。