境内の風景
幟を立てるアルミのポールがひときわ目立つほかは、境内はがらんとして、広場のような感じである。鳥居をくぐった石畳の参道両脇に二対の石灯籠と手水鉢(ちょうずばち)が置かれ、参道入口と本堂裏手に境内社が祀られている。
鳥居
朱塗りの木の鳥居は、本柱の左右に副柱を配した両部鳥居(りょうぶとりい)。貫には稲藁(いなわら)で編んだ注連縄が張られている。額束に神額は掛けられていない。両部鳥居は神仏習合の神社に多く見られる。三野宮香取神社の本尊は本地仏・十一面観音。鳥居が両部鳥居なのもうなずける。
石灯籠
参道の両脇に二対の石灯籠が配されている。竿の部分に「奉納 御神燈」と刻まれているが、年代は分からない。『越谷ふるさと散歩(上)』越谷市史編さん室(昭和54年8月2日発行)「三野宮香取神社とその集落」の項に「(三野宮香取神社)神殿の前には昭和8年奉納の御神燈がある」と書かれている。手前の石灯籠は比較的新しいので、昭和8年(1933)奉納の御神燈は、拝殿に近いほうの石灯籠と思われる。
手水鉢
手水鉢(ちょうずばち)。「奉納」「伊勢参宮記念」と刻まれている。右側面に「大正十一年四月八日 鈴木由五郎」「昭和四年二月七日 鈴木國蔵」とある。手水鉢の造立は大正11年(1922)で、昭和4年(1929)に伊勢神宮へ参詣したさいは、新たに手水鉢は寄進しないで、ここに追加して奉納者の名を刻んだのだろう。二人の男性の関係は兄弟または親子か。
社殿
瓦葺き木造の堂舎。簡素な造り。
本殿
堂舎(拝殿)の裏手に本殿がある。
『埼玉の神社 北足立 児玉 南埼玉』埼玉県神社庁(平成10年3月31日発行)越谷市「三野宮香取神社」の項に、社殿の再建と改築について次のように記されている。
本尊が安置されている厨子(ずし)の裏面に書かれた墨書の中に、江戸中期・享保3年(1718)11月8日の再建を伝える一文がある。享保3年の再建のあと、江戸末期・安政6年(1959)12月に焼失し、(明治元年を迎える1年前)慶応3年(1867)に再建が果たされた。さらに拝殿は昭和26年(1951)、本殿は昭和38年(1963)に改築が行なわれている。
引用元: 『埼玉の神社 北足立 児玉 南埼玉』三野宮香取神社
集会所
神殿の隣は集会所(三野宮集会所)になっている。
境内社|熊野三社権現
鳥居をくぐった参道左手に熊野三社権現を祀った境内社がある。
熊野三山供養塔
社には「 熊野三社権現 」(くまのさんしゃごんげん)と刻まれた祠型の石碑が安置されている。造立は江戸中期・明和2年(1765)。側面の脇銘は外からは確認できないが、『大袋地区の石仏』加藤幸一(平成9.10年度調査/平成27年12月改訂)「三野宮香取神社」(熊野三山供養塔)の項に「(左側面)明和二乙酉年(右側面)三月吉日」とある。
熊野三社(くまのさんしゃ)とは、紀伊半島南部(和歌山県)熊野にある熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)=本宮(ほんぐう)・熊野速玉大社(くまのはやたまたいしや)=新宮(しんぐう)・熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)=那智(なち)三社のこと。熊野三山(くまのさんざん)と呼ばれることが多い。熊野本宮大社は全国に3,000社ある熊野神社の総本社でもある。
熊野三社の主祭神は、本宮の家都美御子神(けつみみこのかみ)=スサノオノミコト、新宮の速玉男神(はやたまおのかみ)=イザナギノミコト、那智の牟須美神(ふすみのかみ)=イザナミノミコトの三柱。
平安後期、神と仏を一体とみなす神仏習合の影響を受け、本宮の主神の家都美御子神は阿弥陀如来、新宮の速玉神は薬師如来、那智の牟須美神は千手観音が本地仏(ほんじぶつ)=神の姿をかりて現れた仏としてあてられ、この三仏を熊野三社権現と呼ぶ。
境内社|稲荷社
本殿の裏手に稲荷社がある。社のうしろは畑地。その先に埼玉県立大学の校舎が見える。
「稲荷大明神」文字塔
社には「稲荷大明神」と刻まれた祠型の石塔が安置されている。造立は江戸後期・寛政4年(1792)。側面の脇銘は、外からは確認できないが、『大袋地区の石仏』加藤幸一(平成9.10年度調査/平成27年12月改訂)「三野宮香取神社」(「稲荷大明神」文字塔)の項に、「(左側面)寛政四子二月吉日(右側面)施主 新藏」とある。文字塔の横に、稲荷社を新築したときの世話人・施主・大工・石工の氏名が書かれた木板が置かれている。新築年月日は「昭和四拾五年七月壱日」とある。
参拝情報
住所は埼玉県越谷市三野宮333( 地図 )。郵便番号は 343-0036 。最寄駅は東武伊勢崎線の大袋駅。大袋駅西口から徒歩約20分。行き方は、須賀川通りを直進。埼玉県立大学が右手に見えたら左折。元荒川左岸と埼玉県立大学の中間地点にある。駐車場は境内(参道の横)に五、六台ほど駐められるスペースがある。