2023年12月9日。黄葉を迎えた越谷市向畑・観音堂のイチョウと根元にある三基の石仏を写真におさめてきた。場所は古利根川に架かる堂面橋から大杉公園通りを250メートルほど直進した右手にある。
向畑観音堂
向畑観音堂の創建年代は不詳だが、もともとは華光院(けこういん)と称された真言宗の寺院であった。この地区は「堂面」(どうめん)と呼ばれていることから、堂面の観音堂とも呼ばれる。
境内のイチョウ
境内のイチョウは、黄葉を迎えると、全体が丸みをおびた美しい姿になる。樹齢は不明だが、200年から300年はあると思われる。今回、訪れたのは2023年12月9日だが、今年は、例年より黄葉の時期が、二週間ほど遅い。
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向畑観音堂裏手(北側)にある聖徳寺(しょうとくじ)のイチョウも見事。黄葉を迎えた聖徳寺のイチョウについては別記事にしてある。
2023年11月24日。黄葉を迎えた越谷市の天然記念物・北川崎聖徳寺のイチョウと根元にある天満宮文字塔を取材し、写真におさめてきた。場所は古利根川に架かる堂面橋から大杉公園通りを300メートルほど直進した右手にある。
三基の石仏
イチョウの根元に石仏が三基、並んでいる。
文字庚申塔
向かって左は、自然石の文字庚申塔。正面に「庚申塔」の文字が刻まれている。明治2年(1869)に再建されたもの。再建ではあるが、明治時代に建立された庚申塔は、越谷地域では数少ない。
地蔵像庚申塔
真ん中は、江戸前期・寛文11年(1671)造立の地蔵像庚申塔。石塔型式は舟型。正面の頭頂部に、地蔵菩薩を表わす梵字「カ」が刻まれ、中央に地蔵菩薩立像が浮き彫りされている。脇銘に「庚講供養 栄伝 尭識房」「寛文十一辛亥天十月吉日」のほか、講員八人の名前がみえる。
馬頭観音塔
右端は、江戸後期・嘉永3年(1850)造塔の馬頭観音塔。三面八臂(※1)の馬頭観音座像が陽刻されている。
※1 三面八臂(さんめんはっぴ)とは、顔が三つで腕が八本ある姿のこと。
関連記事|向畑観音堂の石仏
向畑観音堂の石仏については、別記事で詳しく解説しているので、本記事では簡単な説明にとどめた。
越谷市向畑(むこうばたけ)にある向畑観音堂。堂面の観音堂とも呼ばれている。かつては山王山華光院と称された真言宗の寺院であった。明治14年(1881)に、現在の新方小学校の前身ともいえる向畑学校が、観音堂を校舎に開校した歴史もある。敷地内には「孝心」文字庚申塔や馬頭観音像供養塔など石仏も多く見られる。
向畑観音堂の場所
向畑観音堂の住所は埼玉県越谷市向畑885-1( 地図 )。郵便番号は 343-0007。地図によっては花光院墓地で表記されていることもある。場所は堂面橋から大杉公園通りを250メートルほど直進した右手。駐車場は聖徳寺と兼用。
参考文献
本記事を作成するにあたって、引用した箇所がある場合は文中に出典を明示した。参考にした文献は以下に記す。
加藤幸一「新方地区の石仏」平成7・8年度調査/平成31年1月改訂(越谷市立図書館蔵)
越谷市役所『越谷ふるさと散歩(下)』越谷市史編さん室(昭和55年4月30日発行)
越谷市史編さん室編『越谷市金石資料集』越谷市史編さん室(昭和44年3月25日発行)