越谷市増林上組(ましばやし・かみぐみ)の文字庚申塔を調べた。調査した路傍の石仏を写真とともにお伝えする。場所は、護郷神社(もりさとじんじゃ)から平方東京線に向かう小道の途中、小さな祠(ほこら)といっしょに並んでいる。
文字庚申塔と小祠
調査したのは 2023年12月10日。路地の脇、民家の生け垣の前に、文字庚申塔と小さな祠(ほこら)が並んでいる。
- 文字庚申塔|天保7年
- 小祠|稲荷社
まずは文字庚申塔から見ていく。
上組の庚申塔
文字庚申塔の造立は、江戸後期・天保7年(1736)。石塔型式は駒型。最頂部の左右に瑞雲に乗った月と太陽。中央に「庚申」と、大きく刻まれている。
三猿
石塔の最下部には「三猿」が陽刻されている。向かって左から「言わ猿」「聞か猿」「見猿」
脇銘|右側面
右側面の脇銘は「天保七丙申二月吉日」
台石
台石には寄進者16人の名前が刻まれている。
上組の庚申講
このあたりは増林の「上組」(かみぐみ)と呼ばれている。
越谷市郷土研究会の加藤幸一氏によると、「地元(上組)では2か月に一回(庚申の日とは限らない)の割合で「かのえ講」(庚申講のこと)が上組一区の中で持ち回りで行われていたが、戦後廃止されたたようだ」(※1)という。
※1 加藤幸一「増林地区の石仏石塔」平成11・12年度調査/令和4年改訂(越谷市立図書館所蔵)「上組の庚申塔」67頁
小祠|稲荷社
文字庚申塔の隣にある小さな祠(ほこら)は稲荷社。お稲荷様が祀られている。建立年は不詳。
新旧写真
昭和54年(1979)ごろに撮影された、この文字庚申塔と祠の写真が、越谷市デジタルアーカイブ(※2)で公開されているので、新旧写真を比べてみた。
上の写真の上段が、44年前、昭和54年(1979)ごろ。下段が今回調査した令和5年(2023)12月10日。庚申塔は、ほとんど劣化していない。損傷もない。祠は老朽化が著しい。屋根の上にあった鬼瓦が落ちてしまっている。
※2 出典:越谷市デジタルアーカイブ( 増林・文字庚申塔と祠)
場所
文字庚申塔と小祠がある場所は、護郷神社(越谷市増林3199)前の小道を平方東京線(埼玉県道・東京都道102号)に向かう途中の道ばた右手にある( 地図 )
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参考文献
本記事を作成するにあたって、引用した箇所がある場合は文中に出典を明示した。参考にした文献は以下に記す。
加藤幸一「増林地区の石仏石塔」平成11・12年度調査/令和4年改定(越谷市立図書館所蔵)
越谷市役所『越谷ふるさと散歩(下)』越谷市史編さん室(昭和55年4月30日発行)
日本石仏協会編『石仏巡り入門―見方・愉しみ方』大法輪閣(平成9年9月25日発行)
日本石仏協会編『新版・石仏探訪必携ハンドブック』青娥書房(2011年4月1日発行)