2023年7月30日。北越谷西口のパーラー鯉のご主人が急逝。昭和55年(1980)創業のパーラー鯉は閉店した。もうあのパフェや料理が食べられないのかと思うとさみしいかぎり。夫婦二人三脚で43年間、地元に根ざしたパーラー鯉をしのぶ……。
パーラー鯉
パーラー鯉のご主人が心を込めてつくる料理やデザートは、どれも昭和のなつかしい味がした。奥さまの凛とした接客も心地よかった。外観も、内装も、料理も接客も、パーラー鯉は、すべてが「昭和」だった。昭和31年生まれのボクがひとりでくつろげる数少ないお店だった。
サンプルケース
店先に置かれた古びたサンプルケースは、パーラー鯉の象徴だった。ボクら昭和30年代生まれの大人たちにとって、食堂や喫茶店のサンプルケースは夢の世界への入口だった。ハンバーグにカレーライスにオムライス。中でもフルーツパフェとチョコレートパフェは、ボクらの憧れだった。
店内
店内に入ると、昭和の時代へタイムスリップしたかのような雰囲気に包まれた。木製のテーブルと椅子、壁、明るさを落とした照明、メニュー表……。すべてが懐かしい。
メニュー
パーラー鯉はメニューも豊富だった。軽食が14種類、卵料理が4種類、サイドメニューが3種類、ピラフやスパゲティなどの一品料理が18種類、肉のメニューが9種類。ナント、パーラー鯉の食事メニューは全部で48種類もあった。
飲み物が、コーヒー・紅茶・フルーツジュース・生ジュース・セーキ・スカッシュ・フロート類で43種類。デザートは、アイスクリーム・パフェ・オリジナルデザート・甘味類が24種類。
合わせて115種類ものメニューがあった。それをほぼご主人ひとりで切り盛りした。
料理
ご主人の作る料理はどれもおいしく、昭和50年代、学生時代に通った喫茶店の味だった。台形にカットされたサンドイッチ、ミートソースにナポリタン、そしてカレーライス。
ミートソース
とくにミートソースは、二十歳のとき、喫茶店で、生まれて初めてミートソースを食べて感動した、あの味を思い出し、感涙した。
パフェ
そしてなんといってもパーラー鯉の名物は、パフェだった。昭和の時代、ボクら子どもたちがあこがれた、あのパフェだった。あのパフェとは、サクランボが載っていて、アンゼリカが入っていて、グラスの底には原色のシロップ……という、昭和のパフェだ。
パーラー鯉のパフェは、全部で5種類あった。①フルーツパフェ②チョコレートパフェ③バナナパフェ④ピーチパフェ⑤パイナップルパフェ……。
ボクは5種類すべてのパフェを食べた。ご主人が作ったパフェをもう食べられないのかと思うと寂しいかぎりだが、今思うと、5種類全部を食べておいて、ほんとうによかったと心底そう思う。
関連記事
北越谷駅西口にあるレトロな喫茶店・パーラー鯉(こい)。創業は昭和55年(1980年)。時代の流れに迎合することなく王道の喫茶店メニューを夫婦で守り続けている。名物はパフェ。全5品。すべていただいた。昭和のパフェは健在だった。
マッチ
最後にマッチ。昔の喫茶店といえばマッチだった。趣向を凝らしたデザインのマッチ、いわゆる広告マッチと呼ばれるものが、どの店にもあった。そのマッチを集めるのもまた楽しみのひとつだった。
パーラー鯉にも懐かしのマッチがあった。茶色のマッチ箱に白文字で「パーラー鯉」とデザインされた広告マッチだ。ボクはタバコは吸わないが、残りあと6個というマッチを奥さまからいただいた。
今となっては、パーラー鯉の形見になってしまった。
哀悼
急逝したパーラー鯉のご主人を思い浮かべながら、哀悼の意を込めて、この記事を書いた。越谷からまたひとつ「昭和」の灯が消えた。とてもさみしい。パーラー鯉のご主人、ありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。
そして奥さまもいつまでもお元気で……。
関連記事
越谷に引っ越してきて42年。ずっと気になっていたんだけど、なかなか入るきっかけがなかったお店がある。ついにそのお店に行ってきた。店の名前はパーラー鯉(こい)。東武伊勢崎線・北越谷駅西口から100メートル。昭和レトロな喫茶店だ。