石塔群
石塔群は全部で9基。前列に5基、後列に4基。
巡礼供養塔
前列、向かって右端の石塔は巡礼供養塔。江戸中期・安永9年(1780)造塔。石塔型式は兜巾型(ときんがた)。正面最頂部に梵字の「ボ」が刻まれている。
梵字・ボ
梵字「ボ」は、准胝観音(じゅんていかんのん)を表わす種子(しゅじ)(※11)
※11 出典:庚申懇話会編『日本石仏事典(第二版新装版)』雄山閣(平成7年2月20日発行)「准胝観音」22頁に准胝観音の種子は「ボ」とある。
銘文
主銘は「奉造立 坂東 西国 秩父 百番供養□」。百番とは、日本百観音(にほんひゃくかんのん)のこと。この供養塔は、西国三十三所・坂東三十三所・秩父三十四所を合わせた100か所の観音霊場を巡礼した記念に建てられた。
脇銘は「安永九年次庚子」「七左衛門村」「六月中浣辰」「同行」「敬白」。右側面と左側面には計13人の名前が刻まれている。
文字庚申塔|享和2年
前列、向かって右から二番目の石塔は文字庚申塔。江戸後期・享和元年(1801)造塔。石塔型式は駒型。正面の最頂部に雲に乗った日月。主銘は「青面金剛」。左側面に「享和元辛酉十月吉日」、右側面には「七左衛門村講中」「拾三□」とある。
地蔵菩薩文字塔
前列中央は「地蔵菩薩」文字塔。江戸中期・正徳4年(1714)造塔。石塔型式は笠付き角型。正面最頂部に、地蔵菩薩を表わす梵字「カ」。主銘は「地蔵菩薩」。脇銘は「正徳四祀午」(※12)「十月吉日」
※12 脇銘の「正徳二二祀」の「二二」は「四」の異字体。「祀」は「年」と同義。「正徳二二祀」は「正徳四年」のこと。
文字庚申塔|天明2年
前列、向かって左から二番目は、江戸後期・天明2年(1782)造塔の文字庚申塔。石塔型式は駒型。最頂部に青面金剛を表わす梵字「ウーン」。主銘は「青面金剛」。脇銘は「天明二壬寅年」「三月吉祥日」「七左衛門村」「講中」
石塔の下部には、女性14人の名前が刻まれている。おはつ・おしち・おとわ・おみな・おひめ・おきん・おかう・おまつ・おきよ・おまん……。
女性だけで建てた庚申塔は越谷市内でも珍しい。
光明真言供養塔
前列、向かって左端は、光明真言供養塔。江戸中期・明和4年(1767)造塔。石塔型式は駒型。最頂部に梵字「ア」。主銘は「奉唱光明真言二千万遍供養為二世安楽也」。この石塔は、光明真言を二千万回読誦(どくじゅ)した記念に建てられた。
脇銘は「明和四亥三月吉日」「施主 七左衛門村中百四人」。そのほか、「願主 覚心」「居士」「信女」「信士」の戒名と、弥右門・はつ・はる・たま……などの名前が刻まれている。
文字庚申塔|寛延3年
後列、向かって右端は、江戸中期・寛延3年(1750)造塔の文字庚申塔。
石塔型式は隅丸角型。最頂部に梵字「ウン」。主銘は「奉造立庚申待供養講中」。脇銘は「寛延三庚午歳」「正月吉祥日」「七左右衛門村」「願主」のほか、石塔の下部に9人の名前。台石には三猿が陽刻されている。
文字庚申塔|宝永6年
後列、向かって右から二番目は、江戸中期・宝永6年(1709)造塔の文字庚申塔。
石塔型式は板碑型。最頂部に梵字「ウン」。主銘は「奉造立庚申供養」。脇銘は「宝永六年」「己丑三月七日」「武州七左右衛門」。最下部には「三猿」が浮き彫りされている。
施主
石塔の下部に、「施主」と題し、清鏡信尼のほか、おへん・おさな・おこぢよ・おまで・おなま・おひめ・おそめ……など、8人の女性の名前が刻まれている。この庚申塔も女性だけで建てたもの。
青面金剛像庚申塔
後列、向かって左から二番目は、江戸中期・享保8年(1723)造塔の青面金剛像庚申塔。石塔型式は駒型。最頂部に梵字「ウン」。「日月」「青面金剛像」「邪鬼」「三猿」が陽刻されている。
脇銘は「奉造立供養青面金剛像」「現世安穏後生」「善所祈所」「享保八歳次」「癸卯」「十一月庚申」
青面金剛像
青面金剛像は一面六臂(ろっぴ=腕が6本)。左上手に法輪、左下手に弓。右上手に錫杖(しゃくじょう)、右下手に矢を持っている。
右手に女人
右手で女人(ショケラ)の髪をつかんでいる。
三鈷杵(?)
左手で三鈷杵(さんこしょ)のようなものを握っている。断定はできないので「三鈷杵のようなもの」としておく。
文字庚申塔|寛保3年
後列、向かって左端は、江戸中期・寛保3年(1743)造塔の文字庚申塔。石塔型式は駒型。最頂部に梵字「ウーン」。主銘は「奉造立供養庚申待講中」。脇銘は「寛保三癸亥年」「十月吉日」。下部に「三猿」が陽刻されている。
台石
台石には、おてく・おたね・おねい・おはつ・おくめ……など、14人の女性の名前が確認できる。この庚申塔も女性だけで建てたもの。
この石塔群の中には、女性だけで建てた庚申塔が三基あることから、この地域、旧・七左衛門村では、女性の庚申講もさかんだったことがうかがわれる。
六地蔵
続いて、対面にある六地蔵を調べた。