裏参道にある庚申塔以外の石仏
普門品読誦供養塔
江戸後期・文化6年(1809)造立の普門品読誦供養塔(※5)。石塔型式は兜巾型。正面の最頂部に聖観音を表わす梵字「サ」。主銘は「普門品読誦二十万巻餘供養塔」。脇銘は「天下泰平」「国土安全」。裏面には「□文化六己巳年八月廿七日 現住光暎代立」と刻まれている。
※5 普門品読誦供養塔(ふもんぼんどくじゅくようとう)とは、法華経の妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五(通称・観音経)を一定回数読誦(どくじゅ)した記念に建てた供養塔のこと。
左側面の銘
左側面の銘は「具一切功徳」「慈眼視衆生」「福聚海無量」「是故應頂禮」
右側面の銘
右側面の銘は「信心諸願主」「子々孫々隆」「念彼観音力」「如意皆圓道」
そのほか、台石には、世話人と寄進者の名前約250人、69の村名がびっしりと刻まれている。石工の名前は「松伏村 石工八左ヱ門」とある。
かつては別の場所にあった
『大相模地区の石仏』加藤幸一(平成16・17年度調査/令和元年9月改訂)大聖寺(p56)によると、この普門品読誦供養塔は「もとは大徳寺にあった」という。大徳寺は大聖寺の南西700メートルほどのところにあった寺院で、現在は墓地だけが残っている。
江の島弁財天文字塔
「江の島弁才天」文字塔。石塔の形式は駒型。江戸後期・天保3年(1832)造立。正面に「江ノ嶋辯才天」と刻まれている。左側面の脇銘は「天保三辰十月吉日」「天下泰平」「家内安全」、右側面には「為地先祖庄ヱ衛地」とある。もともとは別の場所にあった。
馬頭観音文字塔
裏参道には馬頭観音文字塔が五基ある。それぞれ別の場所にあったものだが、道路拡張などの理由で、ここに移された。
「馬頭尊」文字塔|明治25年
「馬頭尊」文字塔。隅丸型。明治25年(1892)造立。主銘に「馬頭尊」と刻まれている。脇銘には「明治廿五年八月」「野口氏」とある。
「馬頭尊」文字塔|明治26年
「馬頭尊」文字塔。板碑型。昭和26年(1951)12月造立。主銘は「馬頭尊」。脇銘は「明治廿六年十二月」「鈴木氏」と刻まれている。
「馬頭観世音」文字塔|天保年間
「馬頭観世音」文字塔。主銘は「馬頭観世音」と刻まれている。造立は江戸後期・天保年間。劣化と破損があるので脇銘は読み取りにくい。向かって右上に「天保」の文字がうっすらと確認できる。
「馬頭観世音」文字塔|明治25年
「馬頭観世音」文字塔。明治25年(1892)7月14日造立。主銘は「馬頭觀世音」。脇銘は「明治廿五年七月十四日」とある。石塔の右側が三分の一ほど欠けてしまっているので、ほかの銘は読み取れない。
「馬頭霊神」文字塔
「馬頭霊神」文字塔。石塔の形式は兜巾(ときん)型。江戸後期・嘉永4年(1851)造立。正面に「馬頭霊神」、左側面に「嘉永四亥八月廿九日」と刻まれている。本尊を「馬頭観音」ではなく「馬頭霊神」としているのは神道の立場(※6)と思われる。
※6 越谷市郷土研究会・加藤幸一氏は『大相模地区の石仏』平成16・17年度調査/令和元年9月改訂「大聖寺」の項(p58)で、この石塔の本尊について「観音とせず神道の立場で霊神としている」と指摘している。