越谷市大沢にある照光院(しょうこういん)の石仏石塔のほか辞世の句が刻まれた墓石などを写真とともにお伝えする。
照光院

調査したのは 2026年5月29日。まずは照光院について簡単に触れておく。
創建年代は不詳。江戸後期・幕府が編さんした地誌『新編武蔵風土記稿』には、「照光院 新義真言宗、三ノ宮村一乗院末(※1)、梅花山と号す、本尊不動を安置せり、鐘楼安永八年六月鋳造の鐘をかく」(※2)とある。
※1 一乗院(いちじょういん)は越谷市三野宮に今もある。末とは末寺(まつじ)のことで本山(ほんざん)の支配下にある寺院のこと。一乗院が本山で、照光院は末寺となる。
※2 『新編武蔵風土記稿 第十巻(大日本地誌大系)⑯』雄山閣(平成8年6月20日発行)「大澤町」149頁
それでは照光院の「石造物」を見ていく。
石造物
調査する区域は五箇所。
- 参道
- 山門
- 境内
- 墓地|石塔
- 墓地|墓塔
参道
寺号標石

参道入口の右手にある石塔は寺号標石。正面に「真言宗 智山派 梅花山 照光院」の銘。平成11年(1999)8月建立。
天神社

参道を進んだ右手、石鳥居の奥にある小社(しょうしゃ)は天神社。
参道標石

参道左手にある石塔は参道標石。正面に「照光院参道」と刻まれている。
山門

墓塔

山門の両脇に墓塔が一基ずつ置かれている。向かって右手は、如意輪観音を主尊とした墓塔。江戸前期・寛文11年(1671)造塔。石塔型式は舟型。
墓塔

山門に向かって左手は、釈迦如来(立像)を主尊とした墓塔。江戸前期・天和2年(1682)造塔。石塔型式は舟型。
記念碑

釈迦如来を主尊とした墓塔の手前にある石碑は、昭和52年(1977)建碑の「大沢小学校創設記念碑」
正面の銘は「大沢小学校創設の地」。裏面には「明治十年二月この地に大沢小学校開校さる」「昭和五十二年開校百年事業実行委員会建之」と、刻まれている。
明治10年(1877)2月、照光院を校舎として大沢小学校が開校されたことを記念して建てられた。
大沢小学校の変遷
明治5年(1872)、明治政府が教育制度の確立をめざして頒布(はんぷ)された「学制」によって、越谷では、明治6年(1873)に、16校が開校。
大沢町では、照光院を校舎にして大沢学校が開校された。その後、大沢学校は、四丁野(しちょうの=現・越谷市宮本町)迎摂院(こうしょういん)に校舎を移し、四丁野学校と統合。啓明(けいめい)学校と称された。
明治10年(1877)2月、大沢町・大房村・大林村を小学区とし、再び照光院を大沢学校として、これを大沢小学校の創設とした。
大正2年(1913)1月、現・越谷市立地域スポーツセンター(旧・越谷市立第1体育館/大沢二丁目)の場所に、大沢尋常(じんじょう)小学校が落成。照光院から移転した。
霊場標石

「大沢小学校創設の地」記念碑の隣、ブロック塀沿いにある角柱型の石塔は、明治38年(1905)建立の霊場標石。
正面の銘は「新四国第二十八番」(※3)
右側面(向かって右側)は「阿弥陀如来」「大澤 照光院」、左側面(向かって左側)は、「明治三十八年三月建立」「大澤地蔵橋」ほか建立者名。裏面はブロック塀が邪魔して銘は確認できない。かろうじて「石工」の文字だけ読みとれた。
新四国第二十八番
(※3)「新四国第二十八番」とは「新四国」(武蔵国八十八箇所霊場)の「二十八番目の札所」のこと。
武蔵国八十八箇所霊場とは、「三郡送り大師」とも呼ばれ、南足立郡・北足立郡・南埼玉郡の三郡(現在の東京都足立区や埼玉県越谷市、吉川市などの周辺地域)にまたがる弘法大師ゆかりの八十八ヶ所霊場を巡拝するもので、江戸時代から伝わる伝統的な巡礼行事。
照光院は、88箇所霊場の28番目の札所だった。
ちなみに武蔵国八十八箇所霊場の1番目の札所は、東京都足立区の西新井大師(総持寺)、88番目は、川口市安行の宝厳院。





