越谷市東大沢三丁目・逆川緑の道沿いの天満宮(旧大吉村鷺代四ッ谷)にある二基の石仏石塔と境内の風景を現地で撮影した写真とともにお伝えする。

鷺代四ッ谷の天満宮

天満宮|越谷市東大沢三丁目

天満宮の創建年代は不詳。
 
神社の前を流れる逆川(さかさがわ=鷺後用水=さぎしろようすい)は、江戸前期の寛永年間に開発されたので、江戸前期には建立されていたと思われる。

鷺代四ッ谷

現在の天満宮の住所は、越谷市東大沢三丁目だが、ここはかつて、大吉村(おおよしむら=現・大吉)の「鷺代四ッ谷」(さぎしろ・よつや)と呼ばれた。
 
境内にある石仏(青面金剛像庚申塔)にも「大吉村」の銘が刻まれている。
 
1996年(平成8年)に、土地区画整理事業によって、大吉鷺代(おおよし さぎしろ)地区は、東大沢三丁目になった。



それでは、境内の石仏石塔から見ていく。調査年月日は、2026年6月14日・28日。

石仏石塔

二基の石塔

調査した石仏は 2基

  1. 青面金剛像庚申塔
  2. 光明真言塔

トタン葺きブロック囲いの鞘堂(さやどう)の中に二基の石塔が置かれている。

青面金剛像庚申塔

青面金剛像庚申塔

向かって右側は青面金剛像庚申塔(しょうめんこんごうぞう こうしんとう)。江戸中期・享保12年(1727)造塔。石塔型式は駒型。
 
最頂部に「日月」、中央に一面六臂(いちめんろっぴ=顔がひとつで腕が六本)の青面金剛像。青面金剛の左右の膝横に「二鶏」、青面金剛に踏まれているのは邪鬼。最下部に三猿(見猿・言わ猿・聞か猿)
 
台石の正面に願主8人の名前が刻まれている。

持物

青面金剛像

青面金剛の持物は、左手で人身(ショケラ)の髪をつかみ、右手に宝剣を持っている。左上手で法輪、左下手に弓、右上手で三叉鉾(さんさぼこ)、右下手に矢を持っている。

ドクロの首飾り

ドクロの首飾り

首下にドクロの首飾り(瓔珞=ようらく)をつけている。ドクロの首飾りをしている青面金剛像は越谷市内ではたいへん珍しい。
 
『陀羅尼集経』(だらにじっきょう)という経典の中で、青面金剛の姿について詳しく示されている箇所がある(大青面金剛呪法)。そこに、青面金剛が身につけている装飾品のひとつとして「髑髏瓔珞(どくろようらく)」の記載がある。
 
ドクロの瓔珞を身につけているこの青面金剛は、『陀羅尼集経』の規範(儀軌=ぎき)を忠実に守った造像といえる。

邪鬼・三猿

邪鬼・三猿

青面金剛に踏みつけられているのは邪気。三猿の言わ猿(向かって左端の猿)が右手に桃の実を持っている。

脇銘|左側面

脇銘

左側面(向かって右側面)には「奉造立庚申供養」「大吉村」と刻まれている。当時、この場所(現・東越谷三丁目)が「大吉村」だったことがわかる。

脇銘|右側面

右側面(左側面)の銘は鞘堂の壁がじゃまして確認できなかった。
 
この庚申塔を調べた越谷市郷土研究会・加藤幸一氏の調査報告「新方地区の石仏」によると、右側面には「享保十二乙未十一月吉日(乙は丁の誤り)」(※1)と刻まれているという。
 
これに従って、本記事では、この庚申塔の造立年代を「享保12年」とした。

※1 加藤幸一「新方地区の石仏」平成7・8年度調査/平成31年1月改訂(越谷市立図書館蔵)「鷺代四ッ谷の天満宮」68頁

光明真言塔

光明真言塔

向かって右側は、光明真言塔(こうみょうしんごんとう)。江戸中期・享保13年(1728)造塔。石塔型式は駒型。主尊(座像)、光明真言曼陀羅、銘が刻まれている。

主尊(座像)

上部に一仏(座像)が浮き彫りされているが、劣化と欠損によって、主尊名は判断できない。
 
光明真言(こうみょうしんごん)は、大日如来の智慧と慈悲を表した言葉なので、一般的には、光明真言塔の主尊には大日如来が刻まれていることが多い。
 
ただ、この座像の像容からは大日如来と断定はできないので、ここでは「一仏」(大日如来か)としておく。

光明真言曼陀羅

光明真言曼陀羅

中央に、密教の光明真言の梵字(23文字+休止符「ソワカ」)が、円形に刻まれている。

光明真言塔

下部の銘は「□□戊申歳十月□□」(※2)「三百万遍□□」「同行拾人」
 
「三百万遍」の銘から、この石塔は、光明真言を三百万遍唱えた記念に、建てられたことがわかる。

※2 造立年号を示す銘の部分が欠損していているが、干支は「戊申」(つちのえさる)と確認できる。江戸時代の「戊申」は、享保13年(1728)なので、この石塔は、江戸中期・享保13年(1728)10月に造塔された。




続いて境内の石造物や社殿などを見ていく。

境内