越谷市谷中町(旧谷中村)にある稲荷神社三社と境内にある石仏を調査した。調べたのは、稲荷大明神(谷中町三丁目)の水神塔、下組稲荷神社(谷中町二丁目)の庚申塔、三ッ谷稲荷神社(谷中町一丁目)の庚申塔と馬頭観音塔…他
谷中村
谷中村(やなかむら)は、江戸時代の村名で、現在の谷中町(やなかちょう)にあたる。江戸時代の元禄以前は「四丁野村の新田とか、四丁野新田谷中組と呼ばれていた。元禄8年(1695)に四丁野村から分村し、谷中村となった」(※1)
※1 加藤幸一「出羽地区の石仏」平成15年度調査/平成28年4月改訂(越谷市立図書館蔵)「旧谷中村の石仏」39頁
江戸後期に幕府が編さんした地誌『新編武蔵風土記稿』に「谷中村いにしえは四丁野村の新田にして、四町野新田谷中組、あるいは四丁野村内谷中村など唱えしが、元禄八年[中略]検地のとき、一村に分かちしと云」(※2)とある。
谷中村は、明治22年の町村合併で、出羽村(※3)に吸収合併された。
※2 『新編武蔵風土記稿 第十巻(大日本地誌大系)⑯』雄山閣(平成8年6月20日発行)「谷中村」144頁
※3 出羽村は、明治22年の町村合併で、谷中村をはじめ神明下・四丁野・七左衛門・越巻・大間野の六村を吸収合併してできた。現在の出羽地区にあたる。「出羽」の名は、この地区を流れている出羽堀から命名された。
旧・谷中村の稲荷社三社
上述の『新編武蔵風土記稿』「谷中村」の項に「稲荷社三宇」(※4)とある。今回は、『新編武蔵風土記稿』「谷中村」の項に記された、旧・谷中村(現在の越谷市谷中町)の稲荷社三社をめぐった。
※4 「宇」(う)は、神社を数えるときに、一宇、二宇などと使われる接尾語だが、本記事では、「宇」ではなく、一般的に神社を数えるときに使われている「社」(しゃ)を用いた。三宇=三社。
稲荷神社|谷中町三丁目
最初に巡ったのは、越谷市谷中町三丁目にある稲荷神社。住所は埼玉県越谷市谷中町3-80。
越谷市郷土研究会・顧問の加藤幸一氏によると「この稲荷神社は、かつては谷中村の鎮守であった。現在は上組(谷中町四丁目あたり)と中組(谷中町三丁目あたり)とで管理している」(※5)という。
※5 加藤幸一「出羽地区の石仏」平成15年度調査/平成28年4月改訂(越谷市立図書館蔵)「旧谷中村の石仏」40頁
水神塔
境内の石仏は一基。社殿に向かって左側の境内社横に水神塔がある。江戸後期・嘉永6年(1853)造塔。石塔型式は笠付き角型。
正面
正面中央に「□神宮」と刻まれている。上部が劣化で、はがれ落ちていて「□」の文字は確認できない。主銘は「水神宮」(※6)と思われる。
越谷市郷土研究会・加藤氏の調査報告「出羽地区の石仏」(平成15年度調査/平成28年4月改訂)には、この石塔の主銘が「水神宮」とあるので、調査当時は「水神宮」の銘が確認できたようだ。
※6 加藤幸一「出羽地区のの石仏」平成15年度調査/平成28年4月改訂(越谷市立図書館蔵)「旧谷中村の石仏」40-41頁
左側面
左側面には「嘉永六年丑七月吉日」と刻まれている。
右側面
右側面は、剥落(はくらく)がはげしく、文字は確認できない。
境内の風景
続いて境内の風景を紹介する。
鳥居
鳥居の前に石造りの幟立てがある。鳥居は石鳥居。様式は台輪鳥居(だいわとりい)。柱の後ろに寄進者名が見えるが、建立年代は確認できない。
神額
石造りの神額には「正一位 稲荷 大明神」と刻まれている。
参道
石畳の参道は、長さ50メートルほど。参道の両脇には松が植えられている。樹高はそれほど高くないが、手入れが行き届いている。
狛犬
社殿の前に一対の狛犬。平成10年(1998)12月に寄進された。台座のうしろには寄進者10人の名前が刻まれている。
この狛犬はオオカミのように見える。境内社に、ニホンオオカミを神格化した「大口真神」(おおぐちのまがみ)と書かれた神札が納められていることから、この狛犬はオオカミ(おいぬ様)と思われる。
おいぬ様|阿形
向かって右側、「奉」と刻まれた台座の上に座っているのは、口を開けた「阿形」(あぎょう)のおいぬ様。
おいぬ様|吽形
向かって左側、「納」と刻まれた台座の上に座っているのは、口を閉じた「吽形」(うんぎょう)のお犬様。
社殿
銅板葺き格子戸囲いの神殿は小さいながら比較的新しい。改築年代は不明だが、狛犬の寄進が平成10年(1998)12月なので、神殿の改築も同じ時期かもしれない。
境内社|祭神不明
神殿の両脇に境内社が二社祀られている。境内社も新しいので、社殿と同時期に二社とも改築されたと思われる。向かって右側にある境内社の祭神は不明。
境内社|御嶽神社
向かって左側の境内社は御嶽神社。
神札
祠の中には「御嶽神社祈祷神璽」「大口真神御符」と書かれた神札(しんさつ)が納められている。
御嶽神社(みたけじんじゃ)は、東京都青梅市御岳山にある神社で、ニホンオオカミを神格化した「大口真神」(おおぐちのまがみ)=「おいぬ様」が祀られている。
「大口真神御符」と書かれた神札には、「越谷市谷中講中殿」とある。谷中地区には、「谷中講」(やなかこう)と呼ばれる御嶽神社を信仰する御獄講(みたけこう)があったようだ。
谷中観音堂
稲荷神社のうしろ(北側)に、銅板葺きの屋根が見える(上の写真の黄色い▼印)。これは谷中観音堂。谷中観音堂の歴史や石仏などについては別記事で紹介している。
越谷市谷中町(やなかちょう)にある観音堂(西福院)の石仏と石塔のほか、境内の風景などを現地で取材した写真とともにお伝えする。また谷中に伝わる観音堂の白馬伝説も採りあげた。谷中観音堂の場所は、草加バイパス(国道4号)宮本五丁目交差点と谷中通りのほぼ中間地点にある。