石仏調査|大道東部

カスミ越谷大袋店|南側

越谷市大道の町並み

八坂神社跡地から北東へ進み、大袋西口通り沿いにあるカスミ越谷大袋店の南側に着いた。
 
このあたりは、平成8年(1996年)からはじまった「西大袋土地区画整理事業」によって、町並みが一変してしまった。
 
かつては農地や農道だったところが整備されて住宅地になったので、以前の面影はまったく残っていない。

梵字庚申塔

大道路傍梵字庚申塔(出典)越谷市デジタルアーカイブ

「西大袋土地区画整理事業」が始まる前、大道が農村地帯だったころ、現在のカスミ越谷大袋店の南側路傍に、江戸後期・文政10年(1827)造塔の梵字庚申塔(ぼんじ こうしんとう)が一基、建っていた(上の白黒写真)
 
写真は、46年前、昭和54年(1979年)5月に撮影されたもの。出典は越谷市デジタルアーカイブ(※5)

(※5)越谷市デジタルアーカイブ( 大道路傍 梵字庚申塔

今昔風景

大道路傍梵字庚申塔(出典)越谷市デジタルアーカイブ

上の白黒写真(※6)は、梵字庚申塔があった当時の風景。昭和54年(1979年)5月撮影。現在のカスミ越谷大袋店の南側。46年前の大道は、のどかな集落だったことがうかがえる。

(※6)出典は越谷市デジタルアーカイブ( 大道路傍梵字庚申塔

現在の風景

越谷市大道の町並み

こちら(上の写真)は、梵字庚申塔があったあたりの現在の風景。2025年5月14日撮影。46年前とは景色が一変した。

梵字庚申塔の行方は不明

ここにあった梵字庚申塔の行方(ゆくえ)を近くの畑で仕事をしていた年配の男性に尋ねたが、「行方はわからない」との返事。
 
さらに近くの家の人にも聞いてみたが、「庚申塔があったことは覚えているが、今はどこに行ったのかは、わからない」とのことだった。
 
今回の調査では、梵字庚申塔の行方は不明、としておく。

文化財パトロール終了

文化財パトロール

12時。今回の文化財パトロールはこれで終了。班長をつとめた森田氏の尽力によって、予定していた箇所の石仏・石塔の現状をすべて確認できた。

本記事の写真について

本記事の写真は、2025年5月14日に行なわれた文化財パトロールで撮影したものだが、鮮明に撮れなかったものについては、2025年3月9日と4月10日の下見のときに撮影した写真を使った。

参考文献

調査にあたって、石仏や石塔の劣化や風化によって碑文が読みにくかったり、判読できない箇所も多々あった。正確を期するために、関係書籍や調査報告書と照らし合わせた。参考にした文献を以下に記す。

参考文献

加藤幸一「大袋地区石仏」平成9・11年度調査/平成27年12月改訂(越谷市立図書館蔵)
埼玉県神社庁神社調査団編『埼玉の神社(北足立・児玉・南埼玉)』埼玉県神社庁(平成10年3月31日発行)
『新編武蔵風土記稿 第十巻(大日本地誌大系)⑯』雄山閣(平成8年6月20日発行)
越谷市史編さん室編『越谷ふるさと散歩(下)』越谷市史編さん室(昭和55年4月30日発行)
庚申懇話会編『日本石仏事典(第二版新装版)』雄山閣(平成7年2月20日発行)
日本石仏協会編『日本石仏図典』国書刊行会(昭和61年8月25日発行)
日本石仏協会編『石仏巡り入門―見方・愉しみ方』大法輪閣(平成9年9月25日発行)
外山晴彦『サライ』編集部編『野仏の見方』小学館(2003年6月10日発行)