2022年11月14日・埼玉県民の日。令和4年度伝統文化体験講座「石仏の楽しみ方講座」(越谷市生涯学習課主催/越谷市郷土研究会協力)二日目の石仏見学に同行。大間野村旧中村家住宅を起点に岩槻道や出羽堀跡など昔の綾瀬川沿いをたどって石仏や石塔をを巡った。
石仏の楽しみ方教室|2022年11月14日
石仏の楽しみ方教室は初日(13日)が講義、二日目(14日)が石仏見学。講師をつとめるのは越谷市郷土研究会・顧問の加藤幸一氏。私は、加藤氏のアシスタントとして、二日目の石仏見学に同行した。
主な見学先
見学先は◇岩槻道◇西浦橋◇出羽堀跡◇蒲生西町久伊豆神社◇成田山道標石塔◇虚空蔵堂◇追分◇一里塚◇藤助河岸跡◇蒲生久伊豆神社◇縄文時代の丸木舟発掘場所(綾瀬川)……など。
集合・受付
集合場所は越谷市大間野町(おおまのちょう)にある大間野村旧中村家住宅。集合時間は午前9時20分。受付をしたあと資料をいただいた。長屋門の前に移動。
諸注意
今回の参加者は14人。出発前に案内役をつとめる越谷市郷土研究会・顧問の加藤氏から諸注意と、本日の行程について説明があった。
渡邊会長あいさつ
出発に先立ち、NPO法人・越谷市郷土研究会の渡邊会長からあいさつがあった。
出発
午前9時30分。大間野村旧中村家住宅の長屋門をあとに石仏見学の出発。
今回の行程は、大間野村旧中村家住宅を起点に、岩槻道と出羽堀跡をたどって藤助河岸跡で折り返し、綾瀬川左岸川沿いを歩きながら大間野村旧中村家住宅に戻ってくる往路と復路のコースになっている。
岩槻道と古綾瀬川
長屋門を出て左折。長屋門の前を通っている道路は槍先通り(やりっちゃきどおり)。道路の右側を流れているのは新川(しんかわ)。新川の左岸に沿ったこの道(槍先通り)は岩槻道(いわつきみち)と呼ばれた古道。
新川は、江戸時代は古綾瀬川(ふるあやせがわ)と呼ばれていました。元の綾瀬川という意味で、かつては新川が綾瀬川の本流でした。
岩槻道
岩槻道(現・槍先通り)を道なりに進む。
西浦橋が見えてきた
正面に西浦橋が見えてきた。左右に流れているのは出羽堀。
西浦橋
西浦橋に到着。西浦橋の下を流れているのは出羽堀。西浦橋の下流側にある施設は出羽堀ポンプ場(上の写真の中央左端)。出羽堀は出羽堀ポンプ場から綾瀬川に落とされている。
西浦橋から綾瀬川までの流路は新しく作られた堀で「新出羽堀」とも呼ばれています。
橋のたもとへ
西浦橋を渡って左折。橋のたもにある石塔群を見学する。
石塔群
台石の上に並んでいる三基の石仏は向かって左は馬頭観世音(ばとうかんぜおん)文字塔、中央は馬頭観音(ばとうかんのん)像、右端は主尊不明の石塔。
馬頭観世音文字塔
左端の馬頭観世音文字塔は、江戸末期・安政6年(1859)造立。正面に「馬頭観世音」と刻まれている。
馬頭観音像
中央の馬頭観音像は、江戸中期・宝暦9年(1759)造立。頭上に馬頭(ばとう)をいただいた三面の馬頭観音立像が陽刻されている。胸の前で結んでいる印相(いんぞう)は馬口印(ばこういん)。
加藤氏の解説
馬頭観音像について、案内役の加藤氏が解説してくれた。
もともとは仏教的に信仰されていましたが、江戸時代の中期以降になると、運送馬を使う運送業者や農耕馬を使う農民の間で信仰されるようになりました。農村部では死んだ馬の供養塔としても建てられています。
馬頭と三面憤怒相
馬頭観音の顔の特徴は、頭の上に馬の頭をいただいていること。この石塔も頭の上に馬の頭を載せている。そして、三面(みっつの顔)で、憤怒相(ふんぬそう)をしている。
馬頭観音は「馬の頭をもつ観音」の意。さまざまな観音様の中で、馬頭観音だけが憤怒の相をしている。
馬口印
胸の前で、馬口印(ばこういん)と呼ばれる印相(いんぞう)を結んでいるのも馬頭観音の特徴。顔が三面ではなくひとつでも馬口印を結んでいれば馬頭観音だと分かる。
加藤氏が実際に馬口印を結びながら解説してくれた。
馬口印は、馬の口の様子をあらわしています。親指・中指・小指を立て、人差し指と薬指は曲げ、そして両手を合わせます。しかしながら石仏では細かい指の形を表現するのはむずかしいので、工夫してあらわされています。
大間野から蒲生へ
西脇橋を渡ると大間野から蒲生に入る。50メール先のY字路を右へ。
岩槻道と出羽堀跡
岩槻道(現・槍先通り)を直進。左手の住宅地は旧出羽堀跡。出羽堀の跡地に住宅が建っていることになる。岩槻道の南側(150メートルほどのところ)には綾瀬川が流れている。住宅や工場があるので、この区間からは綾瀬川は見えない。
岩槻道
岩槻道(現・槍先通り)を道なりに進む。