境内

神社の境内は、道路に面して、80センチほど(階段4段分)高い。
一の鳥居

階段を上ると、石畳の参道入口に、大きな石鳥居が立っている。平成7年(1995年)3月建立。鳥居の形式は明神鳥居(みょうじんとりい)。しめ縄が張られ、神額には「香取神社」と記されている。
力石

一の鳥居の脇(道路側)に、力石(ちからいし)が八基、並んでいる。
力石とは、江戸時代から明治時代にかけて、力比べや体を鍛えるために使われた石のこと。村いちばんの力自慢を競ったり、村落対抗の力くらべなど、娯楽としても盛んだった。
力持ち大会で優勝した人の名前や持ち上げた石の重さなどを刻んで神社や寺院に奉納された力石も見られる。
奉納力石

八基の力石のうち重さや年号などの銘が確認できるもの(奉納力石)は四基ある。
- 奉納 五十貫(188キロ)弘化四年(江戸後期・1847年)
- 奉納 四十貫(150キロ)嘉永四年(江戸後期・1851年)
- 奉納 三十七貫(139キロ)
- 奉納 香取大明神 三十二貫(120キロ)
関連記事
江戸後期、三野宮村(現・越谷市三野宮)出身で、日本一の力持ちとうたわれた三ノ宮卯之助(さんのみやうなすけ)が持ち上げて奉納した越谷市現存の力石について別記事にまとめてある。
江戸時代後期、日本一の力持ちとうたわれた怪力の持ち主が越谷の三野宮村(現在の越谷市三野宮)にいた。名前は三ノ宮卯之助(さんのみやうのすけ)。力持ちを見せ物として一座を結成。諸国を回って活躍した。越谷市内には卯之助が持ち上げて奉納した力石(ちからいし)が6個現存している。
記念碑

参道の中ほど(社殿に向かって左手)に、自然石の記念碑が二基、立っている。
向かって左手、大きいほうは、神社再興記念碑。大正2年(1913)建立。主銘は「神宮再興紀念碑」。裏面には、寄付金を奉納した氏子たちの名前が刻まれている。
向かって右手、小さいほうは、石垣記念碑。明治40年(1907)建立。石垣を寄進した記念に建てられた。主銘は「石垣紀念碑」。脇銘は「明治四十年一月吉日」ほか世話人と寄進者名が刻まれている。
手水鉢

二の鳥居の脇に手水鉢(ちょうずばち)が置かれている。明治6年(1873)寄進。主銘は「奉献」。側面の銘は「明治六年十二月吉日」ほか寄進者名。
二の鳥居

参道の中ほどにある石鳥居は二の鳥居。形式は明神型(みょうじんがた)。建立年代は確認できなかった。しめ縄が張られ、島木(しまぎ)の中央に「三つ巴」(みつどもえ)の神紋が浮き彫りされている。
二の鳥居に向かって右手の建物は、鷺後第一自治会館。住所は東大沢一丁目だが「鷺後」(さぎしろ)の地名が残っている。
本社

二の鳥居をくぐった参道の先にあるのは本社(香取社)。こぢんまりとしているが瓦葺き格子戸造りの風情ある神殿だ。
稲葉神社

本社(香取社)の隣にある境内社は秋葉神社。社(やしろ)の前にある石鳥居の柱には「昭和四十一年二月吉日建立」と刻まれている。
石鳥居は昭和41年(1963)建立だが、秋葉社は、平成になって改築されたと思われる。
神輿庫

稲葉社の手前にあるのは神輿庫(みこしこ/しんよこ)。神輿が格納されている。
今昔写真

鷺後香取神社の今昔
上段の白黒写真(※7)は、58年前、昭和43年(1968年)4月に撮影された、鷺後(さぎしろ)香取神社。下段のカラー写真は、同位置から撮影した現在の鷺後香取神社(2026年6月14日撮影)
白黒写真のブランコで遊んでいる手前のスカートをはいている女の子は今、66歳前後と思われる。
※7 出典:越谷市デジタルアーカイブ( 鷺後香取神社 )
場所

鷺後香取神社の住所は埼玉県越谷市東大沢1-15-12。場所は、浦和野田線の大沢地区センター交差点から逆川(さかさがわ)に向かった最初の十字路左脇( 地図 )。鷺後香取神社の看板が目印。駐車場はない。
参考文献
本記事を作成するにあたって、引用した箇所がある場合は文中に出典を明示した。参考にした文献は以下に記す。
越谷市役所『越谷ふるさと散歩(下)』越谷市史編さん室(昭和55年4月30日発行)
『わたしたちの郷土こしがや(第一集)』越谷市教育委員会(昭和56年8月30日発行)
『ときの風~ふるさと大沢今昔物語』大沢地区コミュニティ推進協議会(2018年4月発行)
『新編武蔵風土記稿 第十巻(大日本地誌大系)⑯』雄山閣(平成8年6月20日発行)
加藤幸一「大沢町・越ヶ谷町の石仏」平成13年度調査/平成31年7月改訂(越谷市立図書館蔵)
外山晴彦・『サライ』編集部編『歴史が分かる、腑に落ちる神社の見方』小学館(2007年7月15日 初版第6刷発行)
日本石仏協会編『新版・石仏探訪必携ハンドブック』青娥書房(2011年4月1日発行)
日本石仏協会編『石仏巡り入門―見方・愉しみ方』大法輪閣(平成9年9月25日発行)






