竹道川と須賀用水の分流地点
埼玉県立大学に沿って250メートルほど歩く。左手に小さな水門が見える。道路を横断して水門に向かった。
ここは、須賀川用水と竹道川(たけみちがわ)の分流地点になります。
上の写真の左手が須賀川用水。水門のうしろから流れてくるのが竹道川(用水)。
寺西氏の解説
竹道川と須賀用水の分流地点で、今回のガイドツアーに参加した寺西氏から、埼玉県と越谷市の用水の現状についての解説があった。寺西氏は、見沼代用水などを管理する仕事に携わっていた方で、かなり詳しい話を聞くことができた。
移動|畑の風景
50メートルほど先の丁字路を左に折れて市道(20695号線)を道なりに進む。このあたりは畑がだいぶ残っている。
個人宅の「三ノ宮卯之助・力石」特別見学
個人宅に到着。このお宅には、日本一の力持ちとうたわれた三ノ宮卯之助(さんのみやうのすけ)が持ち上げて奉納した力石(ちからいし)が保存されている。ふだんは見ることはできないが、今回のツアーのために特別に見学させていただけることになった。
三ノ宮卯之助銘の力石
力石を見学。重さは約100キロ。卯之助の名前が刻まれた力石は越谷市に 6個現存していて、「三ノ宮卯之助銘の力石」の名で、越谷市の有形文化財(歴史資料)に指定されている。このお宅の力石はその中の ひとつ。
卯之助銘
力石に「さし石」(※8)と「卯之助」の文字が確認できる。上の写真の左側が「さし石」、右側が「卯之助」。卯之助は、江戸後期の人物で、出身地が三野宮村だったので、三ノ宮卯之助と呼ばれた。
※8 さし石(さしいし)とは、力試しや力比べに使った石のこと。力石と同義。
移動
家主にお礼を述べて、四番目のチェックポイントである三野宮香取神社に向かった。三野宮香取神社にも卯之助の力石が置かれている。
三野宮香取神社と力石
四番目のチェックポイント・三野宮神社(さんのみやじんじゃ)に到着。創建は不詳。江戸後期・幕府が編さんした地誌『新編武蔵風土記稿』三之宮村の項に「香取社 村の鎮守なり、密蔵院の持」(※9)とある。
※9 『新編武蔵風土記稿 第十巻(大日本地誌大系)⑯』雄山閣(平成8年6月20日発行)「三之宮」の項、145頁
石塔
境内には、2基の馬頭観音供養塔のほか、◇天神像塔◇「妙見・筑波山両大権現」文字塔◇「水神社」文字塔◇「稲荷大明神」文字塔◇石燈籠供養塔を兼ねた稲荷大明神塔◇伊勢参宮記念碑……などの石塔や記念碑がある。
三ノ宮卯之助銘の力石
三野宮香取神社の見どころは、境内にある越谷市の有形文化財に指定されている 4個の力石(ちからいし)。力石とは力比べや体を鍛えるために使われた石のこと。
4個の力石には、日本一の力持ちとうたわれた三ノ宮卯之助の銘が刻まれていて、それぞれ「大磐石」(だいばんせき)「白龍石」(はくりゅうせき)「三王石」(さんおうせき)「指石」(さしいし)の名称があります。
越谷市内には、三ノ宮卯之助銘の力石は 6個現存している。
関連記事|三ノ宮卯之助銘の力石
江戸時代後期、日本一の力持ちとうたわれた怪力の持ち主が越谷の三野宮村(現在の越谷市三野宮)にいた。名前は三ノ宮卯之助(さんのみやうのすけ)。力持ちを見せ物として一座を結成。諸国を回って活躍した。越谷市内には卯之助が持ち上げて奉納した力石(ちからいし)が6個現存している。
移動|大野島越谷線
三野宮香取神社をあとに、市道から大野島越谷線(県道325号)に入る。左手前方見える橋は三野宮橋(さんのみやばし)。