越谷市増林の林泉寺入口(平方東京線沿い)にある二基の庚申塔を調べた。調査した路傍の石仏を写真とともにお伝えする。場所は、増林駐在所から南東100メートル先の左手にある。
林泉寺入口の庚申塔
調査したのは 2024年4月18日。林泉寺参道入口、民家の生け垣の前に、青面金剛像を主尊とした庚申塔が二基、並んでいる。
- 青面金剛像庚申塔|寛政9年
- 青面金剛像庚申塔|明和5年
青面金剛像庚申塔|寛政9年
向かって右は、江戸後期・寛政9年(1797)造塔の庚申塔。石塔型式は駒型。陽刻されているのは、日月・青面金剛像・二鶏・邪気・三猿。
石塔にはヒビが入っていて、全体的に劣化が目立つ。白いカビのように見えるウメノキゴケもかなり付着している。建立から227年。歴史を感じる。
像容と持物
青面金剛像は剣人型(※1)
※1 青面金剛像は大別すると、「合掌型」(がっしょうがた)と「剣人型」(けんじんがた)がある。中央の両手で合掌しているのが合掌型。左手で、ショケラと呼ばれる人身(じんしん)の髪をつかみ、右手で剣を持っているのが剣人型。
持物は、左の上手に法輪、中手にショケラ、下手に弓。右の上手には鉾(ほこ)、中手に剣、下手に矢を持っている。
邪鬼・三猿
青面金剛に踏まれているのは邪鬼。邪気の下にいるのは三猿(さんえん)。向かって左から、言わ猿・聞か猿・見猿。
左側面
左側面の脇銘は「寛政九丁巳四吉祥日」
台石
台石には「上組」「願主」と刻まれている。この台石から、この庚申塔は増林村上組(ましばやしむら・かみぐみ)の庚申講中(※2)によって建てられたことがわかる。
※2 庚申講中(こうしんこうじゅう)とは、庚申待ちをいっしょにおこなう仲間のこと。
青面金剛像庚申塔|明和5年
向かって左の石仏は、江戸中期・明和5年(1768)造塔の庚申塔。石塔型式は駒型。瑞雲に乗った日月・青面金剛像・二鶏・邪気・三猿が陽刻されている。
造立から256年。ウメノキゴケの付着も多く、かなり風化が進んでいる。
目視で確認しずらかった箇所も多々あったので、以下、青面金剛像の持物や銘などは、越谷市郷土研究会・加藤幸一氏の調査報告「増林地区の石仏石塔」(※3)と照らし合わせた。
※3 加藤幸一「増林地区の石仏石塔」平成11・12年度調査/令和4年改訂(越谷市立図書館所蔵)17頁・72頁
像容と持物
こちらの青面金剛像も剣人型。持物は、左の上手に法輪、中手にショケラ、下手に弓。右の上手に鉾(ほこ)、下手に矢を持っている。
右中手で剣を持っていると思われるが、劣化がひどく、右中手の持物は確認できない。
二鶏・邪気・三猿
青面金剛の両足の横に二鶏。向かって左が、めんどり、右がおんどり。青面金剛に踏まれているのは邪鬼。邪気の下にいるのは三猿。向かって左から、言わ猿・聞か猿・見猿。
左側面
左側面の脇銘は「奉造立庚申供養」
右側面
右側面には「明和五戌子四月吉日」「願主」「講中」と、刻まれている。
場所
二基の庚申塔がある場所は、林泉寺の参道入口(越谷市増林3818)。増林駐在所の南東100メートル。平方東京線(埼玉県道・東京都道102号)沿いにある( 地図 )
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林泉寺については別記事で紹介している。
徳川家康ゆかりの寺として知られる越谷市・増林(ましばやし)の林泉寺(りんせんじ)を訪ねた。家康が鷹狩のさいに宿泊した御茶屋御殿があったことを示すといわれている「御殿境内」文字塔のほか、家康が馬の手綱を結んだ槙(まき)や口をすすいで手を洗ったとの言い伝えがある井戸などを見学した。
参考文献
本記事を作成するにあたって、引用した箇所がある場合は文中に出典を明示した。参考にした文献は以下に記す。
加藤幸一「増林地区の石仏石塔」平成11・12年度調査/令和4年改定(越谷市立図書館所蔵)
日本石仏協会編『石仏巡り入門―見方・愉しみ方』大法輪閣(平成9年9月25日発行)